井伊直宗 井伊直宗の概要

井伊直宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 20:24 UTC 版)

 
井伊直宗
時代 戦国時代中期
生誕 不明
死没 天文11年1月29日1542年2月13日)?[1]
戒名 化蔵院殿心翁昌安大居士[2]
墓所 龍潭寺浜松市浜名区引佐町井伊谷[3]
如意院(浜松市浜名区引佐町東久留女木)[4][5]
官位 宮内少輔受領名[1]
主君 今川義元
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直平、母:井平安直娘[6]
兄弟 直宗直満直義直元、井平直種[6]
女(今川義元側室→義元養妹→関口親永室?)[1][7]
養兄弟?:南渓瑞聞 [注釈 1]
浄心院(井平直郷娘)[6]
直盛
テンプレートを表示

人物

井伊氏は遠江の国人であるが、父直平の代から今川氏の家臣となっていた。父から家督を譲られて当主となったが、天文11年(1542年)正月29日、今川義元に従い三河国田原城攻めに参加したが戦死[10]。子の直盛が跡を継いだ。

直宗の妻・浄心院は如意院を建立し、菩提を弔った[4]

没年とされる天文11年(1542年)は『寛政重修諸家譜』に基づくものである[1]が、同年には今川氏による田原城攻めは行われておらず、三河攻めは天文15年(1546年)の後半以降からであるため、疑問が存在する。『朝野旧聞裒藁』収録の「井家新譜」では天文20年(1551年)1月、『井伊氏系図』では天文23年(1554年)[2]とされている。また、戦国史研究者の大石泰史は天文11年(1542年)は崩し字を写し間違えたことによる誤りで、実際は天文16年(1547年)に田原城で戦死した可能性が高いのではないかとしている[11]

また、『井伊家伝記』『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』などの史料では直宗の事績についてほとんど記されず、子の直盛が天文8年(1539年)段階から文章を発給するなど当主的な活動をしていることや、直平・直盛の年齢差が場合によっては17歳になることから、直宗の存在を疑う向きもある[12]

また鈴木将典によると、同時代史料を見ると井伊直宗と井伊直親は実在した形跡がなく、後世に作成された系図で初めて存在が見られるとし、その存在を疑問視している[13]

脚注

参考文献


注釈

  1. ^ 各種系図では実子か養子かの記載が無いが、龍潭寺が所蔵する『南渓過去帳』には「実田秀公居士 南渓父」と記されており、直平の法名(桂雲院殿西月顕祖大居士[8])とは異なるため、南渓は養子と推定されている[9]

出典

  1. ^ a b c d e 『寛政重修諸家譜 第4集』、1111頁、564コマ目。
  2. ^ a b c 『井伊氏系図』、2コマ目(直宗 共保十四代)。
  3. ^ 龍潭寺境内墓所図(井伊家歴代・龍潭寺歴代住職 南渓・傑山・昊天・家臣)”. 龍潭寺. 2017年9月23日閲覧。
  4. ^ a b 夏目 2016, p.147.
  5. ^ ゆかりの地|井伊直虎サイト”. 「おんな城主 直虎」推進協議会. 浜松市産業部観光・シティプロモーション課. 2017年9月23日閲覧。
  6. ^ a b c “井平城(浜松市北区引佐町伊平) 武田の予想超える行軍裏付け”. 産経新聞 (産経新聞社). (2017年5月7日). https://www.sankei.com/article/20170507-4F7O7VKQ2BMVRNJZ75WAF3KKFM/ 2017年9月23日閲覧。 
  7. ^ 『井伊年譜』1巻、19-20コマ目。
  8. ^ 『井伊氏系図』、2コマ目(直平 共保十三代)。
  9. ^ 小和田 2016, p.94.
  10. ^ 大石 2016, p.120.
  11. ^ 大石 2016, pp.120-122.
  12. ^ 大石 2016, pp.123-124.
  13. ^ 鈴木 2017, p.130.


「井伊直宗」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「井伊直宗」の関連用語

井伊直宗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



井伊直宗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの井伊直宗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS