下館事件
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控訴審
控訴審の経緯
1994年(平成6年)12月9日、東京高裁で控訴審がはじまった[22]。
弁護側は、1審に続いて強盗殺人を否認[95]。捜査段階で強盗の意思や共謀を認めた供述調書は能力に欠ける通訳人によって作成されたものであり信用性に欠けると主張した[50][95]。控訴審でも一審に続いて通訳人らの証人尋問が行われたが、弁護人を務めた加城千波弁護士によると、裁判所からは尋問内容を事前に書面で提出するよう求められ、「通訳人を試すような質問をしてはいけない。侮辱するような質問もしてはいけない」と念を押されたという[95]。
このほか、弁護側は、令状もないまま、千葉県市原市のホテルの客室に侵入し、遠く離れた下館警察署まで連行し、貴金属などを提出させたのは任意捜査の限界を超えて違法であり、これらによって収集された証拠には証拠能力がないと改めて主張[50]。さらに、殺人については正当防衛ないし過剰防衛にあたるとする主張[95]の裏づけとして刑法学者の意見書を提出した[140]。この意見書は、被殴打女性症候群という心理学的理論によりアメリカ合衆国では虐待から逃れるための殺害も正当防衛にあたると認められていると指摘し、下館事件でも適用されるべきだとするものであった[140]。また、3人が被害者から奪ったとされるパスポートや身分証明書は本来3人自身のものであり、財産罪で刑法上保護されるべき財物とは言えないとし、3人がパスポートや身分証明書を取り返そうとしたことをもって強盗罪は成立しないと主張した[50][95]。そして、これらや3人の置かれていた状況などの情状に照らして、一審の懲役10年は重過ぎるとして量刑不当を訴えた[50][140]。
控訴審判決
1996年(平成8年)7月16日、東京高裁で控訴審判決が言い渡された。松本時夫裁判長の言い渡した判決は、「原判決を破棄する。被告人3名をそれぞれ懲役8年に処する。被告人らに対し、原審における未決勾留日数中各八〇〇日をそれぞれの刑に算入する」であった[50]。
判決理由で松本裁判長は、まず捜査段階における通訳人に求められる能力について論じ、「捜査段階においては、捜査官らの取調べも、これに対する被害者等の供述も、犯罪に関するとはいえ、社会生活の中で生じた具体的な事実関係を内容とするものであり、特別の場合を除いて、日常生活における通常一般の会話とさほど程度を異にするものではない」とした上で、「日常生活において、互いに日本語で話を交わすに当たり、相手の話していることを理解し、かつ、自己の意思や思考を相手方に伝達できる程度に達していれば足りる」とし、「捜査段階である限り、漢字やかなの読み書きができることまで必要ではなく、法律知識についても、法律的な議論の交わされる法廷における通訳人の場合と異なり、通常一般の常識程度の知識があれば足りる」と判示した[12][24][50][95]。また、弁護側が主張する通訳人の能力や基本姿勢について「いわば完璧なものを求めるに等し」いものであるとし[50][148]、「捜査官に対して迎合的であったり、被疑者、あるいはその他の関係者等に対し予断や偏見を抱いたりすることが許されないのは当然である」が[12][50][148]「現在多数の刑事事件で通訳の行われている実情に照らし、結局のところ、誠実に通訳にあたることが求められているというだけで足りる」と判示し[12][50][95][148]、捜査段階での通訳人らの能力は「通訳能力を欠如していたものではないことは十分に肯認できる」と判断して弁護側の主張を退けた[50]。
また、ホテルでの捜査や下館警察署への連行、所持品の領置等が違法捜査でありそれらで得られた供述や証拠品に証拠能力がないとの弁護側の主張についても、そのいずれの時も「警察官らが被告人らに強制にわたるような実力を行使したということは全く認められ」ないなどと認定し、「被告人らの入っていた客室に鍵を開けて立ち入り、被告人らに職務質問をしたり、パスポートの提示を求めたりし、次いで、被告人らを自動車で下館警察署まで同行し、さらに被告人らにその所持する現金や貴金属類などの任意提出を求め、被告人らの提出した所持品につき領置手続をとった一連の行為は、警察官職務執行法の要件を備え、また、任意捜査として許容される範囲を逸脱したものでないことが明らか」とした[50]。
3人が最も強く否定していた強盗の意思については、「被告人らが、(被害者)においては未だ血が流れ、肌も温かく、果してすでに絶命したかどうかはっきりしない状態にあるのに、その体からその身につけていた貴金属類を次々と奪い取っていったということは、当初からそのような行為に出る意思があったことを強く窺わせる」とし、「本件が、金銭的な利得のみを目的とした犯行でないことは明らかである。被告人らが、(被害者)を殺害しようとした動機は、主として、(被害者)の下で束縛されて売春などを強制されているという状態から逃れたいということにあったことは確かである」と認めつつ、「従たる目的とはいえ、殺害することを手段として、(被害者)から被告人ら名義のパスポートを含め、これを入れていると窺える前記ウエストポーチと皮製赤色手提鞄、さらには(被害者)の身につけている貴金属類を強取する意思のあったこと、また、右のような意味での強盗の共謀が(中略)、(被害者)を殺害することの共謀と一体となって成立したことは、十分に肯認できる」と判断した[50]。そして、パスポートや身分証明書も一般論として「強盗罪の客体たる財物となる」として「強盗罪における保護法益については、財物を事実上所持する者が法律上正当に所持する権限を有するかどうかにかかわらず、現実にこれを所持している以上、物の所持という事実状態を保護し、不正の手段、例えば暴行脅迫という実力行使によってこれを侵害することは許されないと一般に解されている」と判示し、「(被害者)の所持していた右各パスポート等を被告人らが実力で奪取する行為は許されないというべきである」として「右各パスポートについても、強盗殺人罪が成立することは明らか」と断じた[50]。
最後に、弁護側の量刑不当の主張については、「犯行の態様も、極めて残虐」「本件の犯情は極めて悪く、被告人三名の刑事責任はいずれも重大」とする一方で、犯行に至った事情として以下の事実を認定した[50]。
被告人三名が本件犯行に至った背景には、被告人らの置かれていた悲惨な境遇があり、そのような境遇の中で被告人らが味わされ〔ママ〕た苦悩の深刻さは絶大なものであったことは否定できない。すなわち、被告人らは、いずれも、日本で働けば金になるという誘いに乗って日本に来た者であるが、日本に到着すると、直ちにパスポートを取り上げられ、事情も分からぬまま、被害者から三五〇万円という多額の借金を返済するよう要求され、スナックでホステスとして無報酬で働かされながら、借金返済のために過酷な条件で売春を行うことを強制されるに至っていたものである。そして、被告人らが、このような境遇に落ち込むに至ったことにつき、背後にかなり大がかりな人身売買組織や売春組織があるものと思われる。また、被害者のもとで無理やり働かされるようになった後は、売春の相手方となった男たちからも自分の人格を無視され、屈辱的な行為を強制された上、売春の対価として得た金もすべて被害者に取り上げられるに至っている。日常の生活においても、被害者とともに同じ家屋に住まわされ、勝手な外出や電話を禁止され、かつまた、部屋代や買い与えられた衣類などの代金も借金に上乗せされ、三日間売春の相手方が見つからなければ罰金を科されることにもなっていたのである。加えて、被害者は、被告人らに対し、もし逃げ出すようなことがあれば、必ずお前たちを探し出して殺すし、タイに住むお前たちの両親も殺すなどと言って、被告人らの逃げ出すのを抑えつけようと図り、一方、被告人らにおいても、タイ語しか話すことができず、日本にやって来てから日の浅かったこともあり、日本の社会の仕組みなどについてもほとんど知らず、その意味でも、法的にも私的にも他に助けを求めようとするには、実際上著しく困難な状況にあったことはたしかである。
その上で、「強盗殺人罪の法定刑のうち無期懲役刑を選択して酌量軽減の上、被告人三名をそれぞれ懲役一〇年に処した原判決の量刑は、なお重過ぎ、このまま維持することは相当でない」として[50]原判決を破棄、懲役8年とした[14][50][140][148]。
3人が強く否定していた強盗殺人罪の認定は変わらず、弁護側の主張のうち量刑不当だけを認めた判決であった[140]。弁護側が、被殴打女性症候群を示して主張した正当防衛についても[140]、「正当防衛行為に当たらないことが明らか」とし[50]、踏み込んだ言及はなかった[140]。
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