上海市 歴史

上海市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 08:22 UTC 版)

歴史

明時代の上海の風景
上海の市壁である上海老城廂(17世紀)
明時代の上海の地図
外灘の風景(1928年)

上海の地は古代のの時代に始まり、以降は、東呉南斉の時代を経て、代には華亭県の一部だったが、蘇州河の南に上海浦という村ができ、代には上海鎮とよばれるようになった。これに対し黄浦江下流の現虹口区あたりには下海廟も存在した。元代には上海に市舶提挙司が置かれ港町として発展し始めた。1292年上海県となったが、それ以前は華亭県に属した。

代のアヘン戦争を終結させた1842年南京条約により、上海は条約港として開港した。これを契機としてイギリスやフランス、アメリカ合衆国などの上海租界が形成され、日本も租界を開き、虹口区は「小東京」と呼ばれた。1865年に香港上海銀行が設立されたことを先駆として、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。1871年には、香港-上海-日本長崎を結ぶ海底電信ケーブル大北電信会社が敷設したことから、上海租界は北京より逸早く電信ネットワークに組み込まれ、国際電信が可能となった。1873年には、日本の岩倉使節団が帰路に上海に立ち寄り、当時の上海の様子を「米欧回覧実記」に記している[15]上海共同租界は各国によって構成された独自の警察力・軍事力(上海共同租界工部局警務処英語版万国商団中国語版)を保有した。

日清戦争の後、外国企業を中心に全般的投資ブームが起こった。下関条約で工業企業権が諸外国に与えられ、工場建設が促進された。1896年に露清銀行が出店した。1897年末に香港上海銀行の株価は176%のプレミアムを記録した。1899年インドシナ銀行が進出してきた[16]。上海は英領香港の高税率に対して課税が緩く、また租界も用意されたので、香港のユダヤ資本が上海に向かって全面的に移転し、たとえばサスーン家などのセファルディ系ユダヤ人グループが第一次世界大戦後に全盛を極めた[17]

1920年代から1930年代にかけて、上海は中国最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心に中国金融の中心となった。上海は「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。こうした上海の繁栄は、民族資本家(浙江財閥など)の台頭をもたらし、階級闘争的な労働運動が盛んになっていた。

1925年に上海から始まった五・三〇事件は、中国における大規模な民族運動とされるが、同時に社会主義的労働運動の台頭を示した事態であった。こうした状況を懸念した浙江財閥は、蒋介石と提携し反共クーデター(上海クーデター)を決行させた。なお、中華民国の下で1927年に上海特別市となり、1930年5月、上海直轄市が成立している。

黄浦江越しの浦東の夜景

1932年には、上海日本人僧侶襲撃事件などを原因に第一次上海事変が起きた。1935年には、中山水兵射殺事件や日本人が経営する商店が襲撃される事件が起きた[18]。1937年には、大山中尉殺害事件後に第二次上海事変が勃発した。中国軍機の爆撃を受けた上海共同租界では多くの市民が犠牲となったが、日本軍によって上海共同租界への中国軍の侵攻は阻止された。1941年には、太平洋戦争の勃発と共に上海共同租界は日本軍に接収された。1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港に撤収したが、1950年代から1960年代にかけては工業都市として発展した。

1978年の改革開放政策により、再び外国資本が流入して目覚ましい発展をもたらし、上海市指導部から江沢民朱鎔基呉邦国曽慶紅黄菊中国共産党政治局常務委員などの指導部を輩出した(上海閥)。

1992年以降本格的に開発された浦東新区が牽引役となって高度経済成長を続け、2010年には世界189カ国が参加した史上最大の国際博覧会である上海万博を開催して国際都市としての上海は復活を遂げた。

2019年12月以降の新型コロナウイルスの流行は上海の市民生活にも多大な影響を与え、特に2022年3月28日以降、市内で感染者が急増したことに伴い、厳格なロックダウンが実施された[19]。当初は2分割して東側と西側の順番でロックダウンを実施する予定であったが[20]、同年4月5日に全市を対象とした無期限のロックダウンに切り替えられた[21]。長期にわたるロックダウンの影響で食糧不足も発生するなど、市民生活にも影響を与えた[22]。その一方で4月16日には、生産活動継続・再開の条件となる感染予防ガイドラインを発表し、市内の産業活動再開に向けて動き出すことになった[23]。 結局、ロックダウンの解除は2か月以上経過した6月1日深夜となった[24]


注釈

  1. ^ 英語のshanghaiには動詞として「力づくで船に連れて行く」、転じて「誘拐する」「強制する」の意味もある。これは19世紀に欧米で船員をかき集めるため強制募集隊が組織され、町の若者たちをだまして上海行きの船へ連行したことに由来する。
  2. ^ 「滬」は、竹を柵状に並べて魚を捕る仕掛けの意である。

出典

  1. ^ Communiqué of the Seventh National Population Census[1 (No. 3) -Population by Region]”. 中国統計局 (2021年5月11日). 2023年8月22日閲覧。
  2. ^ 上海市(中国)との交流大阪市 2023年8月11日閲覧
  3. ^ 2022年上海常住人口多少?60岁及以上占比多少?数据来了上海市虹口区人民政府 2023年8月11日閲覧
  4. ^ 上海の22年GDP0.2%減、ロックダウンでアジア経済ニュース 2023年8月11日閲覧
  5. ^ 世界の都市総合力ランキング(GPCI)森記念財団都市戦略研究所 2023年8月11日閲覧。
  6. ^ 平凡社大百科事典 第6巻(サ~シャ)、p.1342、1985年3月25日初版、平凡社
  7. ^ 申”、“沪”的由来 上海概覧、歴史沿革、上海市人民政府
  8. ^ 岩波 新漢語辞典、p.783、ISBN 4-00-080080-9、1994年4月13日第2刷、岩波書店
  9. ^ Danielson, Eric N., Shanghai and the Yangzi Delta, 2004,ISBN 978-981-232-597-6, pp. 8–9
  10. ^ 今最高気温40.8℃ 明日再“奔”40℃”. 上海市公共気象服务中心. 2013年8月7日閲覧。
  11. ^ Experience Template”. 2023年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月14日閲覧。
  12. ^ 上海市の概略”. 長崎県日中親善協議会. 2015年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月19日閲覧。
  13. ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
  14. ^ 上海市 - 区划地名网
  15. ^ 久米 邦武 編『米欧回覧実記・5』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、331〜335頁
  16. ^ 浜下武志 「中国通商銀行の設立と香港上海銀行」 一橋論叢 84(4)
  17. ^ 潘光 中国国内三大ユダヤ移民グループの国籍と 法律問題(1840∼1945) 『北東アジア研究』第10号(2006年1月)
  18. ^ 『日本外交文書』 昭和期II第一部第四巻(上・下)「上海における日本人水兵射殺事件」”. 外務省. 2011年10月8日閲覧。
  19. ^ 上海ロックダウン3週間、正常化遠く…「教訓はどこにいったのか」(讀賣新聞オンライン、2022年4月19日)
  20. ^ 上海、2分割で都市封鎖 コロナ拡大、全住民検査(秋田魁新報電子版、2022年3月27日)
  21. ^ 上海のロックダウンが延長、市内全域に拡大(BBC NEWS、2022年4月6日)
  22. ^ 上海住民「ご飯を食べたい」と叫ぶ動画、配給滞り抗議頻発…ゼロコロナの見直し求める声(讀賣新聞オンライン、2022年4月10日)
  23. ^ 上海封鎖下で操業へ、政府が企業ホワイトリスト(化学工業日報、2022年4月20日)
  24. ^ 上海市、6月1日に都市封鎖解除 感染「実質制御」で正常化へ前進”. ロイター (2022年5月30日). 2022年5月30日閲覧。
  25. ^ 計生法修正案獲通過,元旦後出生的二孩都合法”. 人民日報. 2020年7月20日閲覧。
  26. ^ 新修改的《上海市人口与計画生育条例》有関問答”. 上海市人民政府. 2020年7月20日閲覧。
  27. ^ 全面二孩非“全面二胎” 生了双胞胎不能再生了”. 中国新聞網. 2020年7月20日閲覧。
  28. ^ 高口康太 (2016年2月19日). “「農村=貧困」では本当の中国を理解できない”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4552.php 2016年2月19日閲覧。 
  29. ^ 海外在留邦人数調査統計 平成28年版
  30. ^ 2006年まで上海市高級人民法院(高等裁判所)の統計
  31. ^ [1]
  32. ^ [2]
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  34. ^ Cities Rank Among the Top 100 Economic Powers in the World Chicago Council on Global Affairs 2016年10月28日閲覧。
  35. ^ インドGDP、29年に日本超え 日経センター中期予測”. 日本経済新聞 電子版. 2020年9月28日閲覧。
  36. ^ The Global Financial Centres Index Long Finance 2020年5月13日閲覧。
  37. ^ [4]
  38. ^ [5]
  39. ^ 中国人ドライバーを悩ませるナンバープレート制度とは?【北京の交通事情】”. Gazoo (2018年5月14日). 2020年4月14日閲覧。
  40. ^ 小谷まなぶ (2011年2月25日). “上海市内の高速道路規定 上海ナンバー優位主義”. アゴラ. 2020年4月14日閲覧。
  41. ^ 京滬高速鉄道開通、中国鉄道の新時代を切り開く
  42. ^ 【平成の長崎】長崎上海号 優雅な姿 平成8(1996)年 - 長崎新聞
  43. ^ LCCよりコスパ 日中定期フェリー、関西で健在 - 日本経済新聞
  44. ^ Number of 150m+ Completed Buildings - The Skyscraper Center”. www.skyscrapercenter.com. 2020年2月14日閲覧。
  45. ^ 韓正率中共代表団訪問泰国 上海曼谷締結友好城市 - 中国新聞(2016年5月16日閲覧)






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