レオーン4世 レオーン4世の概要

レオーン4世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 08:35 UTC 版)

レオーン4世
Leōn IV ho Khazaros / Λέων Δʹ ὁ Χάζαρος
東ローマ皇帝
レオーン4世(左)と息子コンスタンティノス6世(右)
在位 775年9月14日 - 780年9月8日

出生 749年1月25日
死去 (780-09-08) 780年9月8日(31歳没)
配偶者 エイレーネー
子女 コンスタンティノス6世
王朝 イサウリア朝
父親 コンスタンティノス5世
母親 エイレーネー(チチャク
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イコン破壊運動(イコノクラスム)に対して寛容な態度を取ったため、イコン破壊運動は鳴りを潜めた。病弱で[2]、780年に30歳で死去。残された子供のコンスタンティノス6世が幼かったため、レオーンの皇后のエイレーネーが摂政として実権を掌握した[3]

参考文献

  • 井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝』 筑摩書房、1996年

  1. ^ Leo IV Byzantine emperor Encyclopædia Britannica
  2. ^ 井上、p. 116
  3. ^ 井上、p. 117


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