ミュンヘン
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歴史
中世の街としての起源
街の創建は1158年とされている。これは日付が言及された最も古い唯一の文書からである。文書はアウクスブルクで署名されたものである[10]。当時、ヴェルフ家のハインリヒ獅子公 (ザクセン公兼バイエルン公) が1157年/1158年、フライジング(Freising)の司教が Oberföhring 近く、イーザル川に設置していた関税徴収橋(Zollbrücke)を破壊し、ライヘンハル(Reichenhall)からアウクスブルクに至る「塩街道」(Salzstraße)(付属する市場と造幣所を含め)を、イーザル川を約 5km 遡上したバイエルン公領に移し、ミュンヘンを都市として整備した[11]。1175年、公式に都市としての地位を得て、城壁が備えられた。
1180年のハインリヒ獅子公の破門以後、ミュンヘンはフライジングの司教の管轄下に入った。1240年にヴィッテルスバッハ家のバイエルン公がこの地に根を下ろした。1255年のレーゲンスブルクの帝国都市化とバイエルンの分割以後、オーバーバイエルン(Oberbayern)のミュンヘンはヴィッテルスバッハ家の公領本居地(Residenz der wittelsbacher Herzoge)となり、商工業が繁栄した。都市君主は公爵であったが、1294年には包括的な権利が付与されている。1400年ころには、塩取引・イタリア貿易を担う都市貴族による支配が形成された。1500年ころには、約14000人の人口を有する人口の多い都市になったが、中世をとおしてミュンヘンは地域的重要都市に留まり、その影響力はバイエルン公領内でもニュルンベルク、アウクスブルク、レーゲンスブルクの後塵を拝した[12]。
1314年に神聖ローマ帝国皇帝に選ばれ1328年に戴冠したルートヴィヒ4世により、ミュンヘンには塩の専売地位が与えられ、都市として強化され収入が保証された。15世紀後半、ミュンヘンはゴシック芸術が復活し旧市庁舎が拡張された。ミュンヘン最大のゴシック建築で現在の大聖堂であるミュンヘン聖母教会は1468年の着工から僅か20年で完成した。
再統合されたバイエルンの首都
1506年、再び統合されたバイエルンの首都となった。宮廷による芸術や政治の影響力が増した。(オルランド・ディ・ラッソやハインリヒ・シュッツ。後にモーツァルトやワーグナー)16世紀、ミュンヘンはドイツの対抗宗教改革やルネサンス芸術の中心であった。バイエルン大公ヴィルヘルム5世はイエズス会士に指示し、 聖ミヒャエル教会を対抗宗教改革の中心とした。また、ホフブロイハウスが建てられ1589年より茶色のビール(エール)の醸造が始まった。カトリック同盟 (ドイツ)が1609年にミュンヘンで形成された。1623年の三十年戦争時、マクシミリアン1世が選帝侯に選ばれその居城となったが、1632年にスウェーデン王グスタフ2世に街は占領される。1634年と1635年にはペストが大流行し、当時の人口の3分の1が死亡した。ミュンヘンはバイエルン選帝侯の統治下、バロック様式の生活の中心としてだけでなく1704-1742年にはハプスブルク家の占領下にもあった。
1806年、新たなバイエルン王国の首都となり、王国議会ラントタックや新しいカトリック教会のミュンヘン・フライジング大司教区が置かれた。その20年後にはルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ミュンヘン大学)がミュンヘンに移された。多くのミュンヘンの最上の建物はこの時期に建てられたか、最初の3人のバイエルン王の下で建設が進められた。ルイトポルト・フォン・バイエルンがバイエルン王国の摂政の時代、ミュンヘンでは大きな文化的、芸術活動が見られた。(フランツ・フォン・シュトゥックや青騎士など)
第一次世界大戦から第二次世界大戦
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ミュンヘンでの生活はとても厳しいものとなり、連合国によるドイツへの封鎖により食料や燃料の不足が起こった。1916年にはフランスによる空襲を3度受けている。第一次世界大戦後、街は政治的な混乱の中心となった。1918年11月の革命前夜、ルートヴィヒ3世とその家族はミュンヘンから逃れている。1919年2月、アントン・グラーフ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライによるバイエルン自由国の暫定首相クルト・アイスナーの暗殺後、バイエルン・レーテ共和国が宣言された。共産主義者が力を持った時、事件が起こる以前にミュンヘンに住んでいたウラジーミル・レーニンは祝電を送ったが1919年5月3日に共産主義の共和国はドイツ義勇軍により倒された。共和制の政府が再興したものの、ミュンヘンは右派や過激主義の温床となり、その中には国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)のアドルフ・ヒトラーもいた。
1923年、ヒトラーをはじめとする右派の諸団体はヴァイマル共和政を転覆させ権力を掌握することを試みた。このミュンヘン一揆は失敗に終わり、ヒトラーは逮捕され一時的にナチ党は機能しなくなった。しかし運動は継続され、ヒトラーの釈放後にはさらに勢力を拡大した。ミュンヘンは再びナチの本拠地となり、1933年のナチ党の権力掌握とともに、州政府も掌握された。また、親衛隊によって、初の強制収容所であるダッハウ強制収容所が、ミュンヘンから北西に16km離れた場所に建設された。ナチズムの台頭に重要な役割を果たしたことからミュンヘンは党運動首都 Hauptstadt der Bewegung と呼ばれた。ナチ党の本部褐色館はミュンヘンに置かれ、総統館 がケーニヒス広場 Königsplatz 周辺に建てられ今日でも残されている。ミュンヘンはイギリスとフランスが取った宥和政策の典型とされるミュンヘン会談が成就した場所として知られる。イギリスの首相ネヴィル・チェンバレンはチェコスロバキアのズデーテン地方の大ドイツへの併合を認め、ヒトラーの第三帝国への希望を十分に満たし、第二次世界大戦を引き起こす遠因を作ってしまった。一方で1942年6月から1943年2月にかけて学生が非暴力反ナチ運動を展開した白いバラの本拠地でもあった。中核メンバーであるハンス・ショル・ゾフィー・ショルはミュンヘン大学でのビラの配布後、逮捕され処刑された。ミュンヘンは第二次大戦中、連合国による激しい空爆を受けその数は6年間で71回に及んでいる。1945年4月30日、アメリカ軍がミュンヘンを占領した[13]。
第二次世界大戦後
1945年のアメリカによる占領の後、ミュンヘンは細部に至るまで完全に再建され他の戦争で荒廃した西ドイツの都市に比べても保守的な計画により戦前の道路網などは保たれている。1957年には人口が100万人を超えた。
1972年、ミュンヘンオリンピックの開催都市となったがこの間、イスラエルの選手がパレスチナ人テロリストに殺害されるミュンヘンオリンピック事件が起こった。武装テロ組織黒い九月が9人の選手を人質に取った。最終的に人質11人と警察官1人、武装集団5人の計17人が死亡する惨事となった。市内の大量輸送機関として機能しているミュンヘン地下鉄やミュンヘンSバーンなどの鉄道網が整備されたのもこの時代である。ほとんどの市民は高い質の生活を謳歌している。マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングが実施した世界で最も居住に適した都市の調査ではミュンヘンは2007年に8位となった[14]。同社が行った他の調査ではミュンヘンは世界で39番目に物価が高い都市であり、ドイツの大都市の中では一番上位である[15]。ミュンヘンは経済的にもその繁栄を享受しており、情報技術やバイオテクノロジー、出版はそれに寄与している。2006年現在、環境汚染は低い状態で、市議会は市内の幹線道路沿いの微粒子の割合に関心を持っている。空気中の微粒子に関しては欧州連合の微粒子に関する立法制定以来、グリーンピースのような環境団体が市議会や州政府に厳しい姿勢で臨むように要求するため大きな抗議集会を開いている[16]。
今日、ミュンヘンの犯罪率はハンブルクやベルリンなど他のドイツの大都市に比べ低い状態にある[17]。高い生活の質や安全性からミュンヘンには英語話者の住民の間では「トイタウン」という愛称が付いている。ドイツ人の住民からは "Millionendorf" 「百万人の村」と言う愛称で呼ばれている。
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- ^ http://www.gamesbids.com/eng/winter_olympic_bids/future_bids_2018/1216135909.html
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