ボロブドゥール遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 07:47 UTC 版)
観光と巡礼
1984年2月22日、インドネシアのスハルト大統領(当時)は、国家的行事として、ボロブドゥールの修復完成記念式典をおこなった。そのなかでスハルトは、ボロブドゥールが国民的宗教財産である旨の演説をおこなっているが、これは少なからず波紋をまねいた。1985年にはイスラーム過激派がボロブドゥールに侵入し、円形壇のストゥーパ9基を破壊する挙に出た(1985年のボロブドゥール爆撃)。インドネシアにおける仏教徒は、国民全体のわずかに0.4%にすぎない。遺跡周辺の村々では仏教徒はほぼゼロと言える[14]。
とはいえ、ボロブドゥールは今や年間100万人の観光客が訪れる観光地となっている。ただしそれは、政府が外貨を獲得する代償として、地域住民が負担を強いられる原因ともなった。遺跡環境整備のための周辺農地の収用である。これは強制的な立ち退きを含むものであり、耕地面積の狭小な農民にとって大きな痛手となった。遺跡公園となった外側の土地も、はっきりした買収費が払われていない部分が多かった[15]。
今日、ボロブドゥールには、数多くのインドネシアの児童生徒が社会見学や学習旅行、遠足のために訪れるが、仏教徒がわずかなインドネシアでは管理は株式会社化し、イベントやアトラクションを考えて経営する遊園地化してしまった。しかし、ボロブドゥールは仏教徒にとって重要な意味をもつ場所であることは言うまでもない。数多くの仏僧や一般信者が参詣につめかけるようになり、寺院としての本来の役割を担うようになった。
上述のような問題や批判がある一方で、国民統合の象徴のひとつとして国内外からの強い関心が払われている。
ボロブドゥールでは、年に1回、5月の満月の夜にワイサック(Waisak → ウェーサーカ祭)と呼ばれる祭りが開かれている。この日はインドネシアの公式の祝日にもなっていて、国内外から熱心な仏教徒がムンドゥッ寺院に集まり、経典を唱えながら西に向けて行脚し、さらに、ボロブドゥールの回廊を登って涅槃に至るという一大行事となっている。
- ^ a b c d ブリタニカ百科事典
- ^ アンコール遺跡の地質学 、26-28頁
- ^ a b c NHK美の回廊をゆく② (1991) 、79頁
- ^ a b NHK美の回廊をゆく② (1991) 、125頁
- ^ NHK美の回廊をゆく② (1991) 、121頁
- ^ ボロブドゥールをストゥーパとみなすのは、ひとつの定説となっているが、インドには同様のストゥーパが皆無なことから、この定説に疑問を呈している学者もいる。
- ^ NHK美の回廊をゆく② (1991) 、83頁
- ^ NHK美の回廊をゆく② (1991) 、127頁
- ^ Hary Gunarto (ハリー・グナルト), Digital Preservation of Borobudur World Heritage and Cultural Treasures, Journal of Ritsumeikan Studies in Language and Culture, VOL 19, No 2, Kyoto, Nov. 2007, pp. 263-278.
- ^ a b NHK美の回廊をゆく② (1991) 、132頁
- ^ 呪術的な要素を取り入れた、チベットやネパールなどに伝わった仏教の一派。
- ^ 現在では南東端の一部だけが公開されている。
- ^ このことが、一方で農地の収用と農民の立ち退きを招来する要因となっていることは本文中記載の通りである。援助をおこなった日本に対して、現地では感謝の声も多い反面、非難の声もある。
- ^ 村井吉敬・佐伯奈津子・間瀬朋子著『エリア・スタディーズ113 現代インドネシアを知るための60章』 明石書店 2013年 141ページ
- ^ 村井吉敬・佐伯奈津子・間瀬朋子著『エリア・スタディーズ113 現代インドネシアを知るための60章』 明石書店 2013年 140ページ
固有名詞の分類
- ボロブドゥール遺跡のページへのリンク