ペルーの歴史 民政移管とペルー内戦(1980年- )

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ペルーの歴史

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民政移管とペルー内戦(1980年- )

毛派ゲリラセンデロ・ルミノソの党旗。

第二次ベラウンデ・テリー政権は当初民主化の象徴として国民的な期待を背負って誕生したが、しかし、災害や深刻な経済危機で政権運営は多難を極め、ベラスコ時代の地主支配層解体後の農村部における権力の真空状態を背景に、1980年に毛沢東主義センデロ・ルミノソが農村部に、1984年にはキューバ派のトゥパク・アマルー革命運動(MRTA)が都市部にと、左翼ゲリラが徐々に勢力を伸ばした[156][157]

1985年に当時35歳だったアラン・ガルシア大統領を首班とするAPRA政権が発足し、APRAは結成以来ようやく61年目にして初めて政権を握った[158]。ガルシアは国民の支持を背景に民族主義を掲げ、外交ではIMFへの債務の繰り延べなどの強硬な路線をとる一方で、内政では貧困層の救済に尽力したが、1987年にはこのようなポプリスモ経済政策は行き詰まり、経済の縮小、ハイパー・インフレーションの発生、治安悪化が大問題となり、国民の支持と行政力を失って退陣した[159]1990年当時にはセンデロ・ルミノソはアヤクーチョを中心拠点にシエラの大部分を占領し、パンアメリカンハイウェイや主要幹線道路までがセンデロ・ルミノソに押さえられてリマは包囲され、センデロ・ルミノソによる革命が間近に迫っているかのような情況だった[160]

このような危機的状況下にて行われた大統領選挙では、文学者のマリオ・バルガス・リョサを破って「変革90」を率いた日系二世のアルベルト・フジモリ(フヒモリ)が勝利し、フジモリは南米初の日系大統領となった。綱領も示さないまま、既存政治勢力への失望の結果により当選した彼は、それでも「フジ・ショック」と呼ばれたショック政策によるインフレ抑制と、財政赤字の解消による経済政策を図って、新自由主義的な改革により悪化したペルー経済の改善を実現するなど素人とは思えない業績を残した[161]。さらに、このような強権的なやり方が反発され、また議会を自らの行った改革の障害と見做すと、1992年4月5日にフジモリはアウトゴルペを実施して議会を解散し、憲法を停止して非常国家再建政府を樹立した。このようにして確立した権力を最大限に活用してMRTAの指導者ビクトル・ポライとセンデロ・ルミノソの指導者アビマエル・グスマンを逮捕し、組織を壊滅状態に追いやるなど治安回復に大きな成果を挙げたが、この自主クーデターは、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国から「非民主的」と非難されたため、それを受けて同年11月には憲法制定議会の選挙を行い、一院制、大統領権の強化を盛り込んだ1993年憲法を国民投票で発布にこぎつけ、内外の非難をかわした[162][163]。フジモリは1995年の選挙で元国際連合事務総長ペレス・デ・クエヤルを破って再選された[164]。フジモリ政権は日本との友好関係を強化し、日本はこの時期にペルーへの最大の援助国となったが、このことは1996年トゥパク・アマルー革命運動による日本大使公邸占拠事件発生の要因となった[165]。この事件は特殊部隊の出動によって犯人側の全員射殺という結果で幕を閉じたが、この事件を境にフジモリは徐々に権威的な様相を見せ始め、政治の司法、マスコミへの介入が進んでいった[166]。また、こうした中で、1998年にはエクアドルとの国境紛争に勝利し、両国の間で長年の問題となっていた国境線を確定した[167]。2000年にはフジモリは強引なやり方で三選を果たしたが、徐々に独裁的になっていった政権に対する国民の反対運動の高まりや、汚職への批判を受け、11月21日に訪問先の日本から大統領職を辞職した[168]。フジモリの失脚後、顧問のブラディミロ・モンテシノスに行わせていた買収工作や諜報機関の存在が明らかになり、フジモリ政権はペルー史上最大の腐敗政権として幕を閉じた[169]

2001年の選挙により、「可能なペルー」から先住民(チョロ)初の大統領、アレハンドロ・トレドが就任した[170]親米政策を堅持し、貧困の一掃と雇用創出、政治腐敗の追及を公約とした政権は、しかし経済政策は成果を上げることはできず、国民の支持は2002年の8月には16%にまで低下した[171]。左翼ゲリラによるテロ活動も復活し治安は悪化している。このため国内では貧困層を中心にフジモリ待望論が広がっており、国民の3割がフジモリを支持しているとされる。これに危機感を抱いたトレド政権はフジモリ大統領を引き渡すよう日本政府に要請しているが、日本政府は引き渡しを拒否し続けているため、ダビッド・ワイスマンスペイン語版英語版 副大統領ら強硬派は日本との国交断絶を主張した。2005年11月、トレドはアジア太平洋経済協力首脳会議を利用して日本の小泉首相に首脳会談を申し入れた。しかし、小泉は日程を理由に断った。

2006年に再選したアラン・ガルシア

2006年の選挙により、アメリカ革命人民同盟(APRA、アプラ)から再びアラン・ガルシアが大統領に就任した。7月28日、フジモリ元大統領の長女ケイコら新議員等を前に就任演説で、人口の半数を占める貧困層の生活水準向上に全力で取り組む考えを示した。また、行政機関の根深い汚職体質にメスを入れ、地方分権に積極的に取り組む方針を打ち出した。1985年、36歳で大統領に就任したガルシアは腐敗一掃の期待を集めた。しかし、所属政党のAPRA関係者で政府の要職を独占したため、汚職は逆に悪化。さらに、経済・治安政策で失敗を繰り返し、国家を破綻に追い込んだ。その反省に立ち、今回の内閣では、APRA党員の起用を閣僚16名中6名にとどめた。


註釈

  1. ^ 最初期のペルー副王領は現在のペルーのみならず、ポルトガル領ブラジル以外のパナマより南の南アメリカ全体を統括していた[16]
  2. ^ ドビンズの推計値は増田、柳田(1999:13)からの孫引きであることを明記しておく。
  3. ^ 皮肉にも彼の子孫のエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナは、彼とは異なり20世紀後半のラテンアメリカの革命闘争に従事したのであった。
  4. ^ 日本とペルーが1873年に国交を結ぶきっかけとなったマリア・ルス号事件は、この過程で発生した事件であった[72]
  5. ^ オンセ=onceはスペイン語で11を意味する。
  6. ^ この面積に関しては20万km²と主張している資料も存在する[124]

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