ビーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 15:25 UTC 版)
歴史
ビーカーの語源
実験器具である「ビーカー」という名称は、1877年に、14世紀における中世英語のbeaker(大きく口の開いた容器)からつけられたものである[40]。これは古ノルド語のbikarr[41]または中世オランダ語のbeker(ゴブレット:足つきの取っ手の無い酒杯[42])に由来している[40]。さらに、はっきりとは分かっていないが、その起源は、ギリシャ語のbikos[41](土器の水差し、ワイン壺、持ち手のある花瓶)から派生した、中世ラテン語のbicarium(古ザクセン語bikeri、古高ドイツ語behhari、ドイツ語Becher)だと考えられている[40]。この経緯について、ギリシャの錬金術師が酒杯(ギリシャ語ambikos)を蒸留器として用いて広まったことで、アラビア語のal-ambic(アランビックの語源[43])になり、ラテン語のbicariumに繋がったとする文献がある[44]。このように、歴史的にビーカーという用語は、飲み物を飲むための器としての意味で使われていた言葉だったのである。また、途中で英語のbeak(くちばし、転じて注ぎ口)とも同化した[40]。
ちなみに、水差しのピッチャーpitcherも、ビーカーと同様に語源はギリシャ語のbikosではないかと推測されている[45]。また、今でもイギリス英語では、beakerを(主にプラスチック製で取っ手の無い)コップという意味で用いている[46]。考古学における鐘状ビーカー文化、漏斗状ビーカー文化の「ビーカー文化」という名称も、特殊な飲用広口杯の遺物が発見されたことから来ている[47]。
実験器具としてのビーカーの起源
錬金術の時代、今でいうビーカーやフラスコのような器具は、ガラスや陶器で作られていた。現在でも使用されている理化学ガラス実験器具の多くは、錬金術の時代のガラス器具がルーツである[48]。
基本的な実験用ガラス器具の命名は、歴史的事実よりも実験器具販売業者の広告宣伝活動に関係しているため、ビーカーも、いつどこで、誰によって初めて提案されたのかは不明確である。少なくとも、著名な教科書を見ると、1789年に出版されたアントワーヌ・ラヴォアジエの『化学原論』にはビーカーは描かれていないが、1823年に出版されたイェンス・ベルセリウスの『Traité de Chimie(仏語題)』には注ぎ口と寸法を除いた図が掲載されている[49]。
グリフィンビーカーとベルセリウスビーカー
現在用いられているような注ぎ口と目盛りがあるビーカー(グリフィンビーカー)を考案して販売したのは、イギリスの化学者および出版業者であるジョン・ジョセフ・グリフィン(1802–1877)である[44]。グリフィンは化学を庶民にもたらすことに興味を持ち、化学に関する小冊子を出版して広く人気を得た。最終的にはグリフィンビーカーを含む様々な科学用品の販売を行った[50]。
一方、トールビーカーの別名であるベルセリウスビーカーは、スウェーデンの化学者で、元素記号や一般的な化学用語を提唱したことで有名なイェンス・ベルセリウス(1779-1848)に由来すると考えられている。しかし、彼が1830年までに遺した全8巻の教科書には、多くの分析装置が詳しく紹介されているにもかかわらず、「ベルセリウスビーカー」と呼べるような背の高いビーカーに関する記述は見つからない[51]。グリフィンの経営する実験用品店のカタログにおいては、この名称が使用されており、ベルセリウスビーカーは「背高型」ではなく「狭型」、グリフィンビーカーを「短型」ではなく「幅広型」と表現している[49]。1850年以降からこの名称が使われていることから、この名称はグリフィンによって、幅の狭いビーカーは旧来のものだとして、自分の幅の広いビーカーと差別化するために名付けられた可能性がある[51]。(実は過去に、グリフィンはベルセリウスの物質の命名法を批判しており、学術的地位に就いていないながら、体系的な改善案を本に著した。しかし、学会での反応は冷ややかなものであり、ベルセリウスからも無視されるという経緯があった[40])
ホウケイ酸ガラスの使用
やがてビーカーの原料に、化学薬品に強く、熱膨張率が低いために急な温度変化にも耐えやすい、ホウケイ酸ガラスが使用されるようになる。
1881年、初めてホウケイ酸塩ガラスを開発したのは、ドイツの化学者フリードリッヒ・オットー・ショットと物理学者のエルンスト・アッベである。当初は光学機器用のレンズに使用するためのガラス開発を行っていたが、作製したホウケイ酸塩ガラスが、光学機器用途だけでなく、化学実験室の過酷な環境にも適していると分かり、「イエナグラス」としてビーカーなどの実験器具に用いて販売した。イエナグラスは、第一次大戦まで市場で最高の製品だとみなされていた[52]。
その後、1910年代初頭にアメリカのガラス会社コーニングが、自社製品であるホウケイ酸ガラスのNonexを使って、耐熱皿を作れないか研究を始め、安全のために鉛を除去したPyrex(パイレックス)を開発した[53]。1916年から、Pyrexを用いた実験器具が販売されるようになり、化学物質への耐性に加え、熱衝撃と機械的ストレスに強いとして、すぐに科学界で人気のブランドになった[54][55]。PyrexによるPYREX®ビーカーは2021年現在でも販売されており、日本のJIS規格に対応したビーカーもリリースされている[56]。
- ^ a b 世界大百科事典 第2版
- ^ “Chemistry Laboratory Glassware Gallery” (英語). ThoughtCo.. Anne Marie Helmenstine (2019年9月5日). 2021年8月14日閲覧。
- ^ a b 小学館 デジタル大辞泉「グリフィンビーカー」
- ^ ビーカー、トールビーカー、コニカルビーカーの規格は、 JIS R3503「化学分析用ガラス器具」で定められている(後述)。
- ^ a b “ビーカー - 化学実験器具一覧”. sci-pursuit.com. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “実験用ガラス機器 FAQ | 柴田科学株式会社 - 環境測定機器・科学機器の製造販売”. www.sibata.co.jp. 2021年8月16日閲覧。
- ^ ビーカーは JIS R3505「ガラス製体積計」で提示される体積計には含まれていない。メスピペット、メスフラスコは含まれている。
- ^ a b c d e f “小学校理科 器具の使い方「ビーカーの使い方」”. 教育出版. 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e 国立教育政策研究所 (2012年3月 改訂). “ビーカー”. rika-net.com. 国立研究開発法人 科学技術振興機構. 2021年8月15日閲覧。
- ^ a b “理化学用ガラス | 柴田科学株式会社 - 環境測定機器・科学機器の製造販売 | Page 3”. www.sibata.co.jp. 2021年8月15日閲覧。
- ^ NHK. “ビーカーの扱い方-中学”. NHK for School. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “Parafilm® M All-Purpose Laboratory Film”. Amcor. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “時計皿 | すぐできる!なるほど★ザ★化学実験室 | 日本分析化学専門学校” (jp). www.bunseki.ac.jp. 2021年8月16日閲覧。
- ^ NHK. “ビーカーと試験管の洗い方”. NHK for School. 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b NHK. “ビーカーの洗い方-中学”. NHK for School. 2021年8月16日閲覧。
- ^ うえたに夫婦『ビーカーくんとそのなかまたち: この形にはワケがある! ゆかいな実験器具図鑑』誠文堂新光社、2016年7月1日、100頁。ISBN 978-4416616512。
- ^ 遠藤 忠利 (2014). “化学で用いるガラス器具の洗浄方法”. 鶴見大学紀要 第51号 第4部: 1-2.
- ^ “日本産業標準調査会:ログイン画面”. www.jisc.go.jp. 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b “ガラス破損事例 (pdfファイル 122KB) ”. AGCテクノグラス株式会社 (2017/2/15更新). 2021年8月16日閲覧。
- ^ うえたに夫婦『ビーカーくんのゆかいな化学実験: その手順にはワケがある!』誠文堂新光社、2018年2月2日、16頁。ISBN 978-4416518144。
- ^ a b “理化学用ガラス製品|ビーカー・フラスコ類、生地製品・ガラス管等理化学製品の企画・製造・販売”. www.harioscience.com. 2021年8月15日閲覧。
- ^ a b c d “ビーカーの種類と特徴”. 株式会社ミスミ. 2021年8月16日閲覧。
- ^ 小学館 デジタル大辞泉「トールビーカー」
- ^ “conical adjective - Definition, pictures, pronunciation and usage notes | Oxford Advanced Learner's Dictionary at OxfordLearnersDictionaries.com”. www.oxfordlearnersdictionaries.com. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “コニカルビーカー 目安目盛付 | 柴田科学株式会社 - 環境測定機器・科学機器の製造販売”. www.sibata.co.jp. 2021年8月15日閲覧。
- ^ 『改訂 化学基礎』東京書籍、2020年2月10日、145,147頁。ISBN 978-4-487-16547-6。
- ^ “NHK高校講座 | 化学基礎 | 第32回 中和滴定”. www.nhk.or.jp. 2021年8月15日閲覧。
- ^ a b c うえたに夫婦『ビーカーくんとそのなかまたち: この形にはワケがある! ゆかいな実験器具図鑑』誠文堂新光社、2016年7月1日、13頁。ISBN 978-4416616512。
- ^ “製品情報(器具) | ニッコー・ハンセン株式会社”. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “製品情報(器具) | ニッコー・ハンセン株式会社”. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “KN3131899 メジャーカップ 2L の販売価格と特徴、仕様 | 通販のテックジャム”. www.tech-jam.com. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “ビーカー PTFE(四弗化エチレン樹脂) 大野社 | イプロスものづくり”. ものづくり向けデータベースサイト イプロスものづくり. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “【BK】ステンレスビーカー | 日東金属工業株式会社”. 日東金属工業株式会社 | (2015年6月30日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ “ビーカー”. 野田琺瑯. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “合成石英ビーカー 富士理化工業 | イプロスものづくり”. ものづくり向けデータベースサイト イプロスものづくり. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “RIKEI-ZAKKA~理系雑貨のある暮らし~(インテリア通販)”. RIKEI-ZAKKA~理系雑貨のある暮らし~(インテリア通販). 2021年8月16日閲覧。
- ^ “リカシツ | 理化学+インテリア | 理系雑貨| 実験器具専門店”. リカシツ. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “science bar INCUBATOR”. science bar INCUBATOR. 2021年8月16日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年9月11日). “【話題の肝】ビーカー、フラスコ、試験管-を食器や生活雑貨にアレンジ 非日常性と機能美で静かなブームに…”. 産経ニュース. 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e “beaker | Origin and meaning of beaker by Online Etymology Dictionary” (英語). www.etymonline.com. 2021年8月14日閲覧。
- ^ a b Oxford Languages
- ^ “goblet noun - Definition, pictures, pronunciation and usage notes | Oxford Advanced Learner's Dictionary at OxfordLearnersDictionaries.com”. www.oxfordlearnersdictionaries.com. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “alembic | Origin and meaning of alembic by Online Etymology Dictionary” (英語). www.etymonline.com. 2021年8月14日閲覧。
- ^ a b Andrea Sella2011-07-28T15:08:16+01:00. “Classic Kit: Griffin's beaker” (英語). Chemistry World. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “pitcher | Origin and meaning of pitcher by Online Etymology Dictionary” (英語). www.etymonline.com. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “beaker noun - Definition, pictures, pronunciation and usage notes | Oxford Advanced Learner's Dictionary at OxfordLearnersDictionaries.com”. www.oxfordlearnersdictionaries.com. 2021年8月14日閲覧。
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビーカー文化」
- ^ 『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』ダイヤモンド社、2021年2月17日、191頁。ISBN 978-4-478-11272-4。
- ^ a b William B. Jensen (2017). “Some Named Glassware”. Museum Notes September/October 2017: 1-2.
- ^ “Beaker” (英語). National Museum of American History. 2021年8月15日閲覧。
- ^ a b Andrea Sella2021-02-05T14:41:00+00:00. “Berzelius’ beaker” (英語). Chemistry World. 2021年8月15日閲覧。
- ^ “Beaker” (英語). National Museum of American History. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “The Beginning of Pyrex” (英語). Behind the Glass (2015年5月13日). 2021年8月16日閲覧。
- ^ “Beaker” (英語). Smithsonian Institution. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “Beaker” (英語). National Museum of American History. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “PYREX®ガラス製ラボウエア、ビーカー、フラスコ、ボトル、ピペット、ディッシュ、Corning®ディスポーザブル試験管| Corning”. www.corning.com. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “日本産業標準調査会 JISR3503 化学分析用ガラス器具”. www.jisc.go.jp. 2021年8月15日閲覧。
- ^ 「呼び容量」とは、その器具のサイズを示すときに用いる容量である。たとえば、呼び容量が200mlのビーカーは「ビーカー 200ml」と呼ばれる。
ビーカーと同じ種類の言葉
- ビーカーのページへのリンク