バシコルトスタン共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 09:13 UTC 版)
地理
バシコルトスタン共和国はウラル山脈南部とその周辺の平原地域を含む。ペルミ地方、スヴェルドロフスク州、チェリャビンスク州、オレンブルク州、タタールスタン共和国、ウドムルト共和国と隣り合う。
河川・湖・山
共和国内には13,000を越える川が流れる。主要な川にベラヤ川(1,430km)、その支流のウファ川(918km)などがある。湖や貯水池が約2,700。最高峰はヤマンタウ山(1,638m)。
バシコルトスタン共和国内のウラル山脈南西斜面には峡谷、ステップ、草地、氾濫原、貯水池などがあり、特に洞窟、シンクホール、ポノール、天然橋、峡谷、地底湖などのカルスト地形が広がっている。一帯はヨーロッパの広葉樹林とシベリアの半北方針葉樹林という2つの森林生物群系の境界線にあり、2012年にユネスコの生物圏保護区に指定された[1]。
気候
- 年平均気温 0.3度(山間部), 2.8度(平野部)
- 1月の平均気温 -16度
- 7月の平均気温 +18度
歴史
ロシア内戦中は自治バシコルトスタンと言う反ボリシェヴィキの勢力が存在した。1919年3月23日より、バシキール自治ソビエト社会主義共和国。
第二次世界大戦後、第314収容地区(グラーグ)が設置され、シベリア抑留を受けた日本人捕虜が移送。強制労働に従事した[2]。
ソビエト連邦の解体に伴い、1992年3月31日よりロシア連邦の共和国。初代大統領はモルタザ・ギョバイドゥッラ・ラヒモフ(ムルタザ・ラヒモフ)。ラヒモフは2003年12月の選挙で3選されたが、そのときの選挙について欧州安全保障協力機構(OSCE)は不正が行われたと非難した。2006年に4選され、2010年7月に任期を残して辞任を表明。後継にはルステム・ハミトフが指名され就任した。2015年1月1日より元首格の職位を首長に変更。ハミトフが2018年10月11日まで同職を務めた後に辞表を提出、ラディー・ハビロフが暫定首長に就任した(2019年9月8日に正式に首長就任)。
2022年ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナに向けて多数のバシコルトスタン共和国出身の兵士が動員され、同年8月時点で171人が戦死した[3]。
政治
首長制。現職はラディー・カビロフ(第2代)。
- ^ “Bashkirskiyi Ural Biosphere Reserve, Russian Federation” (英語). UNESCO (2019年4月18日). 2023年3月14日閲覧。
- ^ 長勢了治『シベリア抑留全史』原書房、2013年8月8日、186頁。ISBN 9784562049318。
- ^ “ロシア戦死者、少数民族地域が突出…「激戦地への投入」差別的と反発の動き”. 読売新聞 (2022年8月13日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ 2002年 ロシア統計 6. Владение языками (кроме русского) населением отдельных национальностей по республикам, автономной области и автономным округам Российской Федерации(行政区別、ロシア語以外の言語の知識)(ロシア語)
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