スティーブ・フィンリー スティーブ・フィンリーの概要

スティーブ・フィンリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 23:22 UTC 版)

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スティーブ・フィンリー
Steve Finley
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 テネシー州ユニオンシティ
生年月日 (1965-03-12) 1965年3月12日(56歳)
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1987年 ドラフト13巡目
初出場 1989年4月3日
最終出場 2007年6月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

ボルチモア・オリオールズ

1986年のMLBドラフトアトランタ・ブレーブスから11巡目に指名を受けたが契約せず。1987年のMLBドラフトボルチモア・オリオールズから13巡目に指名を受け入団。1989年4月3日ボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たすが、守備の際に負傷しいきなり故障者リスト入りの憂き目に会う。1990年に22盗塁を記録するなど頭角を現す。1991年1月10日グレン・デイビスとの交換トレードで、カート・シリングピート・ハーニッシュと共にヒューストン・アストロズに移籍。

ヒューストン・アストロズ

移籍1年目の1991年は打率.285・170安打・10三塁打・34盗塁を記録する。1992年は全試合出場を果たし、打率.292・177安打・13三塁打・44盗塁と更に成績を伸ばした。1993年は故障の影響もあり全体的に数字を落としたが、13三塁打はリーグトップだった。1994年MLBストライキでシーズンが打ち切られたが、自身初の二桁となる11本塁打を記録した。12月28日デレク・ベルダグ・ブロケイルら6選手との交換トレードで、ケン・カミニティロベルト・ペタジーニらと共にサンディエゴ・パドレスに移籍。

サンディエゴ・パドレス

1995年は打率.297・36盗塁を記録し、初のゴールドグラブ賞を受賞。1996年は長打力が増し、打率.298・195安打・45二塁打・30本塁打・95打点・126得点を記録、チームの12年ぶりの地区優勝に大きく貢献する。自身初のポストシーズンとなったセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは12打数1安打に終わり、チームも3連敗で敗退した。2年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票でも10位に入った。1997年オールスターゲームに初めて選出される。1998年は打率.249・14本塁打、キャリアワーストの103三振など不振だったが、チームは2年ぶりに地区優勝を果たす。古巣アストロズとのディビジョンシリーズでは打率.100に終わるが、ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.333と活躍し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。しかしニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは打率.083と振るわず、チームも4連敗と一蹴された。シリーズ直後にフリーエージェントとなり、12月18日アリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年契約を結び移籍。

アリゾナ・ダイヤモンドバックス

1999年は34本塁打・10三塁打、キャリアハイの103打点を記録し、ルイス・ゴンザレスマット・ウィリアムズジェイ・ベルと『100打点カルテット』を形成、前年地区最下位だったチームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは打率.385と活躍するものの、チームは1勝3敗で敗退した。2000年は3年ぶり2度目のオールスターゲームに選出される。2001年は14本塁打・73打点に留まるが、チームは2年ぶりの地区優勝。カージナルスとのディビジョンシリーズでは打率.421を記録するなど、チームを初のリーグ優勝に導く。ヤンキースとのワールドシリーズでも打率.368・1本塁打と活躍し、史上最速となる球団創設4年目での世界一に輝いた。2002年は復活し、25本塁打・89打点、キャリアハイの出塁率.370を記録。チームは2年連続で地区優勝を果たすが、ディビジョンシリーズでカージナルスに3連敗で敗退。4年契約を満了し10月29日にフリーエージェントとなるが、12月7日に再契約。2003年は38歳にしてリーグトップの10三塁打を記録。2004年はチームが地区最下位に低迷し、7月31日レジー・アバークロンビーらとの交換トレードで、ブレント・メインと共にロサンゼルス・ドジャースに移籍。

ロサンゼルス・ドジャース

移籍後は13本塁打・46打点を記録。10月2日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でサヨナラ満塁本塁打を放って逆転勝利し、チームは9年ぶりの地区優勝を果たした。シーズン通算で36本塁打・94打点を記録し、39歳にしてキャリアハイの本塁打数となった。自身4度目の対戦となったカージナルスとのディビジョンシリーズは1勝3敗で敗退。10月28日にフリーエージェントとなり、12月11日アナハイム・エンゼルスに移籍。

引退

2005年は打率.222・12本塁打に留まるが、チームは2年連続の地区優勝。ポストシーズンでも打率.150に終わり、チームもリーグチャンピオンシップシリーズシカゴ・ホワイトソックスに1勝4敗で敗退した。12月22日エドガルド・アルフォンゾとの交換トレードでジャイアンツへ移籍。2006年6月14日の古巣ダイヤモンドバックス戦で、初回先頭打者本塁打を放って通算300本塁打に到達し、史上6人目の300-300(300本塁打・300盗塁)を達成した。41歳ながらリーグ4位タイの12三塁打を記録するが、打率.246・6本塁打に終わる。オフにフリーエージェントとなり、2007年2月24日コロラド・ロッキーズと契約。しかし打率.181・1本塁打と結果を残せず6月13日に解雇され、引退。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1989 BAL 81 241 217 35 54 5 2 2 69 25 17 3 6 2 15 1 1 30 3 .249 .298 .318 .616
1990 142 513 464 46 119 16 4 3 152 37 22 9 10 5 32 3 2 53 8 .256 .304 .328 .632
1991 HOU 159 656 596 84 170 28 10 8 242 54 34 18 10 6 42 5 2 65 8 .285 .331 .406 .737
1992 162 686 607 84 177 29 13 5 247 55 44 9 16 2 58 6 3 63 10 .292 .355 .407 .762
1993 142 585 545 69 145 15 13 8 210 44 19 6 6 3 28 1 3 65 8 .266 .304 .385 .689
1994 94 417 373 64 103 16 5 11 162 33 13 7 13 1 28 0 2 52 3 .276 .329 .434 .763
1995 SD 139 630 562 104 167 23 8 10 236 44 36 12 4 2 59 5 3 62 8 .297 .366 .420 .786
1996 161 721 655 126 195 45 9 30 348 95 22 8 1 5 56 5 4 87 20 .298 .354 .531 .885
1997 143 615 560 101 146 26 5 28 266 92 15 3 2 7 43 2 3 92 10 .261 .313 .475 .788
1998 159 674 619 92 154 40 6 14 248 67 12 3 3 4 45 0 3 103 9 .249 .301 .401 .702
1999 ARI 156 663 590 100 156 32 10 34 310 103 8 4 2 5 63 7 3 94 4 .264 .336 .525 .861
2000 152 623 539 100 151 27 5 35 293 96 12 6 2 9 65 7 8 87 9 .280 .361 .544 .905
2001 140 548 495 66 136 27 4 14 213 73 11 7 2 3 47 9 1 67 8 .275 .337 .430 .767
2002 150 577 505 82 145 24 4 25 252 89 16 4 1 3 65 7 3 73 10 .287 .370 .499 .869
2003 147 582 516 82 148 24 10 22 258 70 15 8 0 3 57 4 6 94 6 .287 .363 .500 .863
2004 104 456 404 61 111 16 1 23 198 48 8 4 6 5 40 1 1 52 9 .275 .338 .490 .828
LAD 58 250 224 31 59 12 0 13 110 46 1 3 3 2 21 0 0 30 5 .263 .324 .491 .815
'04計 162 706 628 92 170 28 1 36 308 94 9 7 9 7 61 1 1 82 14 .271 .333 .490 .823
2005 LAA 112 440 406 41 90 20 3 12 152 54 8 4 1 4 26 3 3 71 6 .222 .271 .374 .645
2006 SF 139 481 426 66 105 21 12 6 168 40 7 0 3 4 46 2 2 55 6 .246 .320 .394 .714
2007 COL 43 102 94 9 17 3 0 1 23 2 0 0 0 0 8 1 0 4 2 .181 .245 .245 .490
MLB:19年 2583 10460 9397 1443 2548 449 124 304 4157 1167 320 118 91 75 844 69 53 1299 152 .271 .332 .442 .774
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 10(1989年 - 1990年)
  • 12(1991年 - 2004年途中、2005年 - 2007年)
  • 16(2004年途中 - 同年終了)



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固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ジョナ・ベイリス  ケーシー・フォッサム  スティーブ・フィンリー  ラリー・シーツ  トム・アッカー
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 エド・ロイルバック  フアン・カストロ  スティーブ・フィンリー  レジー・スミス  バーリー・グライムス
ボルチモア・オリオールズの選手 ジェフ・コーナイン  フアン・カストロ  スティーブ・フィンリー  ラリー・シーツ  ボブ・ターリー
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 ティム・ウォーレル  フレディ・サンチェス  スティーブ・フィンリー  レジー・サンダース  レジー・スミス
サンディエゴ・パドレスの選手 ショーン・バーグマン  ティム・ウォーレル  スティーブ・フィンリー  レジー・サンダース  モーガン・エンスバーグ
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 トレント・ダーリントン  エドゥアルド・ペレス  スティーブ・フィンリー  パット・ボーダーズ  ボブ・ターリー
ヒューストン・アストロズの選手 マーク・メランソン  アーロン・ポインター  スティーブ・フィンリー  パット・ボーダーズ  モーガン・エンスバーグ
コロラド・ロッキーズの選手 マイク・ランシング  ダネル・コールズ  スティーブ・フィンリー  エンジェル・エチェバリア  フリアン・タバレス
アリゾナ・ダイヤモンドバックスの選手 ティム・ウォーレル  ケーシー・フォッサム  スティーブ・フィンリー  レジー・サンダース  アレックス・カブレラ

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