サン・クリストバル・デ・ラス・カサス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 07:05 UTC 版)
サン・クリストバル・デ・ラス・カサス San Cristóbal de las Casas | |
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愛称 : "ホベル" "ウエイサカトラン" | |
座標 : 北緯16度44分12秒 西経92度38分18秒 / 北緯16.73667度 西経92.63833度 | |
行政 | |
国 | メキシコ |
州 | チアパス州 |
市 | サン・クリストバル・デ・ラス・カサス |
市長 | マリアーノ・ディアス・オチョア |
地理 | |
面積 | |
市域 | 484.00 km2 (186.87 mi2) |
標高 | 2100 m (6890 ft) |
人口 | |
人口 | (2005年現在) |
市域 | 166,460人 |
人口密度 | 343.92人/km2(890.78人/mi2) |
都市圏 | 142,364人 |
その他 | |
等時帯 | 中部標準時 (UTC-6) |
夏時間 | 中部夏時間 (UTC-5) |
公式ウェブサイト : http://www.sancristobal.chiapas.gob.mx/ |
2003年、メキシコ政府観光局により同州で初めてプエブロ・マヒコに選ばれた[1]。
歴史
この地域には数千年前からマヤ族のツォツィル族とツェルタルの人々が暮らしてきたが、1528年、スペインからのコンキスタドールの侵略を受ける。ディエゴ・デ・マザリエゴスに率いられた軍隊は道中でソケーやチアパネックの人々を殺戮し、 現在の市街地がある地域を占領。ビジャレアル・デ・チアパ・デ・ロス・エスパノーレスと名付け、チアパスの中心都市とした。
1535年3月1日、スペイン国王の命によりサン・クリスバル・デ・ロス・ジャノスと改名。
1536年7月7日、シウダ・レアル・デ・チアパと改名、市になる。
1829年7月27日、シウダ・デ・サン・クリストバルと改名。
1848年5月31日、ついに現在の名称であるサン・クリストバル・デ・ラス・カサスになる。
1934年2月13日、シウダ・ラス・カサスに変わるが、 1943年11月4日、ラファエル・パスカシオ・ガンボア博士によって現在の名称に差し戻しになった。
何度も街の名称が変更されているが、現地の人々は伝統的にホベル(Jovel; ツォツィル語: Jobel[2])と呼び続けている。また、数十年前まではウエイサカトラン(Hueyzacatlan)という名称も使われていた。
サパティスタ民族解放運動
1994年1月、サパティスタ民族解放軍がサン・クリストバルを含むチアパス州の4つの都市において武装蜂起した。 住人の多くはサパティスタに反対する立場であったが、貧困層は彼らに協調した。 やがてサパティスタの活動が対話路線に変換するに従って支持を増し、2006年には彼らの指導者がメキシコ全土をまわるという 政治キャンペーンがサン・クリストバルからスタートした。今では街中にサパティスタ関連のポスター、 人形、Tシャツなどが見られ、観光資源の一つとなっている。
- ^ “Listado de Pueblos Mágicos(SECTURによるプエブロ・マヒコの規定、と一覧)”. Sectur (2014年). 2015年1月28日閲覧。
- ^ “hobel” in Laughlin, Robert M. (1975) The Great Tzotzil Dictionary of San Lorenzo Zinacantán. Washington: Smithsonian Institution Press.
- ^ a b c “In Town With Little Water, Coca-Cola Is Everywhere. So Is Diabetes.”. ニューヨークタイムズ. 2024年3月25日閲覧。
- ^ “メキシコの小さな都市の健康を蝕む巨大企業の思惑「水は週2回、コーラは毎日2リットル」で広がる健康被害”. KODANSHA (2018年8月2日). 2024年3月25日閲覧。
- 1 サン・クリストバル・デ・ラス・カサスとは
- 2 サン・クリストバル・デ・ラス・カサスの概要
- 3 人口推移
- 4 脚注
- サン・クリストバル・デ・ラス・カサスのページへのリンク