キングダムの登場人物一覧 秦

キングダムの登場人物一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 09:48 UTC 版)

王族(秦)

嬴政(えいせい)
第三十一代秦王。嬴政参照。
成蟜(せいきょう)
声 - 宮田幸季 / 阿部敦(VOMIC)
演 - 本郷奏多
舞 - 鈴木大河IMPACTors / ジャニーズJr.)、神里優希(Wキャスト)
政の異母弟。王族は崇高な存在であるという考えから、自らの血筋に誇りを持ち、臣下を道具の如く扱うばかりか、有能な部下であっても平民であるが故に優秀であることを許せず殺してしまうほどに平民を見下していた。
当初は皇太子としての育てられたが、紀元前250年に嬴政が邯鄲から戻ったことでその地位を失う。その一件や政の母が舞妓だという理由から政を憎み、王位を奪うため竭氏と組んでクーデターを起こすも失敗。軟禁されていたが、呂不韋の相国就任後に政によって一派共々解放され、見返りに協力を行う。合従軍戦では、李牧を止めるべく出陣する政に王宮を任され呂不韋を監視する。この際に中華統一の道を聞いたことで兄を認めるようになり、信が感嘆するほど人間的にも大きく成長する。
始皇八年に支持基盤である屯留を侵攻されるも、自ら出征して趙軍を一時的に撃退。ところが屯留代官・蒲鶮に拘束された上に、反乱軍の首謀者に仕立て上げられてしまう。しかし、中央からの鎮圧軍との戦闘の最中に幽閉先から脱出。瑠衣の救出に向かうも、遭遇した蒲鶮兵との交戦で重傷を負うも自ら蒲鶮を討ち取り、駆け付けた信に政を託し、瑠衣に一派の取りまとめを頼み息を引き取った。
瑠衣(るい)
声 - 折笠富美子
の正室で、秦国公女。北東の大都市・屯留出身。幼い頃に成蟜の元に先の王妃として嫁ぐも、嬴政が邯鄲から戻ったことでその地位を失い、その事で嬴政を敵視していた。成蟜が反乱に敗れた際には最後まで側にいた。
始皇八年、高齢の曾祖母を見舞いに屯留に帰郷していたが、趙軍の奇襲を受ける。その後、趙軍を撃退した成蟜軍が蒲鶮によって反乱軍に仕立て上げられ、自身も幽閉されていた。鎮圧軍との戦闘中に成蟜に助け出されると、末期の夫から一派の取りまとめを託され、呂不韋打倒を誓った。秦国統一編では、政の加冠の儀に列席し、政と呂不韋の対談にも立ち会い、政の語る中華統一の真意に涙した。
麗(れい)
声 - 篠原侑
始皇七年に、嬴政と向の間に生まれた娘。扶蘇の異母妹。秦国統一編では、樊琉期に命を狙われるが、飛信隊に救われた。
扶蘇(ふそ)
嬴政と妃との間に生まれた息子で、秦国太子。秦国統一編では、樊於期に命を狙われるが、昌平君が手配した近衛兵に救われた。
穆公(ぼくこう)
第九代秦王。政と成の先祖。故人。山の民に軍馬を殺されたにも関わらず、馬肉に合う酒を振る舞う粋なところを見せた。
紀元前647年、敵国のが飢饉となった際には食料を送る(泛舟の役)が、翌年秦が飢饉となった際には晋に援助を求めるも拒絶される。さらに翌年、晋は飢饉の隙をついて秦に侵攻、激怒した穆公は自ら先陣に立ち戦うも晋軍に包囲される。そこへ三百人の山の民が救援に現れ、穆公を救った後に晋王まで捕らえた(韓原の戦い)。
こうして結ばれた交流は一代限りで途絶えたが、その威徳は未だに忘れ去られてはおらず、穆公の離宮を整備し続けた程である。
昭王(しょうおう)
声 - 金尾哲夫
演 - 草刈正雄
国第二十八代目秦王。政と成の曽祖父。故人。在位五十五年の大半を戦に費やし、戦神と呼ばれ、秦国中の武人に慕われた。晩年には、目元を隠す仮面のようなものを付けていた。
孝文王(こうぶんおう)
第二十九代秦王。政と成蟜の祖父。故人。昭王の死後秦王となるも、即位して3日で亡くなった。
荘襄王(そうじょうおう)
第三十代秦王。政と成蟜の父。故人。呂不韋の力で秦王となるも、操り人形同然だった。

成蟜軍

寿白(じゅはく)
声 - 中博史
成蟜傘下家臣。成蟜の元教育係を務めた老臣で、瑠衣と共に失脚後の成蟜を見捨てなかった数少ない忠臣。嬴政によって復権された後の成長した成蟜を頼もしく思っている。始皇八年に成蟜に同行して従軍するが、屯留城内で蒲鶮によって成蟜と共に拘束され、成蟜と同じ牢に幽閉される。その後、成蟜と共に脱獄するが、瑠衣を救出に向かう途中で蒲鶮兵に発見されて、成蟜を庇って死亡。
袁夏(えんか)
声 - 武虎
成蟜傘下将軍。屯留救援戦において、成軍の副将として参戦。しかし蒲鶮が本性を現した際、蒲鶮に斬り掛かろうとして龍羽に不意打ちで殺される。
龍羽(りゅうう)
声 - 咲野俊介
成蟜傘下将軍。屯留救援戦において、成軍の副将として参戦。しかし裏で蒲鶮と通じており、屯留城内で袁夏を斬殺し成蟜を拘束。そして屯留の反乱では、反乱軍の指揮官として討伐軍と交戦。本来の計画では、裏で内通していた趙軍と共に討伐軍を殲滅して、壁の首を手土産に趙へ亡命する予定だったが、飛信隊の参戦によって戦況が不利となり屯留城へ撤退。反乱の終盤で、なおも壁の首を狙って奇襲をかけるが、それを察知していた壁が伏せていた弓隊によって射殺された。

廷臣(秦)

昌平君(しょうへいくん)
声 - 諏訪部順一
演 - 玉木宏
呂不韋四柱→政傘下家臣。秦軍総司令官兼右丞相。公子。得物は矛。蒙武とは幼馴染で親友。軍略家だが、戦場では先陣を切る文武両道の名将。幼少期は蒙武よりも強く、側近の介億には頭脳は李牧級と評される。また、軍師学校を開いて軍師を育成している。キングダム連載開始前の読み切り『蒙武と楚子』の主人公の一人。
元は楚の公子であったが秦に人質として送られ、そこで蒙武と出会い親友となる。だが秦と楚の同盟が破棄されたことで楚に帰れなくなり絶望するも、蒙武と共に秦で将軍になると決意する。
そして六将・胡傷に軍略を教わり、丞相となった呂不韋にに登用され呂不韋四柱となる。さらに秦軍総司令として活躍し、呂不韋の相国就任に伴い右丞相となる。合従軍編では国門・函谷関での集中防衛の策を練り上げ、また蕞防衛戦を前に介億を派遣している。
秦国統一編では、加冠の儀の前に飛信隊に暗号文を送り危機を伝え、咸陽には麾下軍を配置し、加冠の儀が終了した直後に呂不韋陣営から離反。兵一千を率いて咸陽に駆け付け、毐国将軍・ワテギを討ち取り勝利する。
始皇十年の李斯復帰直後に政に鄴攻略を進言し、そのための戦略を始皇十一年に完成させる。始皇十二年には、魏へ三年間の同盟を楚の城・什虎城を秦軍と魏軍が陥落させて魏に譲るという条件で提案する。
昌文君(しょうぶんくん)
声 - 仲野裕 / 秋元羊介(VOMIC) / 玄田哲章(PSP)
演 - 髙嶋政宏
舞 - 小西遼生
政傘下家臣。秦左丞相。堅実な性格であり、義理堅く忠義深い為周りからの信頼は厚い。かつては武人として活躍しており実戦経験は豊富であり、王騎からは無骨な賢人と高く評価されていた。
若い頃は王騎やとともに戦場に立っていた武人だが嬴政の即位後は文官へと転身、王都奪還編後は文官として自らの派閥を秦王派として立ち上げる。王都奪還の際に無力であった己を恥じ、文官の極みである丞相を目指すことを誓い、呂不韋の相国昇格の後、成蟜派の協力もあり左丞相となった。
合従軍編終盤の蕞攻防戦では、政に同行し参戦し西壁を守る。秦国統一編では、加冠の儀に列席し、儀式後に昌平君と共に兵一千を率いて、咸陽攻防戦に参戦。翌年、政と斉王の会談を受けて幽閉されていた李斯を招く。六大将軍復活後、桓騎が扈輒軍の捕虜を虐殺した知らせを受けた時は、すぐに政に従って桓騎の元へ出向き、不遜な態度のままの桓騎に激怒していた。
李斯(りし)
声 - 青木強 / 奥村翔(第4シリーズ)
呂不韋四柱→政傘下家臣。「法の番人」の異名を持つ。確実さを重視する生真面目な性格のため、呂不韋の考えを理解出来ず振り回されることが多かった。
呂不韋の丞相就任後真っ先に登用され、その後は呂不韋四柱として活躍する。秦国統一編では、呂不韋を王位につけるために咸陽の守備兵を少なくするという暗躍を行ったことで、咸陽攻防戦後に入牢。しかし翌年に、その存在が不可欠と判断した昌文君の懇願により復帰し、政の側近に加わる。
蔡沢(さいたく)
声 - 千田光男(第1-4シリーズ)→麻生智久 (第5シリーズ)
呂不韋四柱→政傘下家臣。「剛成君」という称号を持つ。昭王時代の丞相であり、秦国筆頭外交官として各国の交渉を担当。「強者にのみ仕える」という考え方を持っている。
燕で生まれたが身一つで遊説し、秦丞相・范雎との舌戦により丞相の席を譲り受ける。また、祖国・燕でも重職に付き、呂不韋の丞相就任後はその四柱となった。
合従軍編では斉王に謁見し、秦国滅亡で得る利益の概算の倍の値を支払うことを条件に斉の合従軍離脱を成功させた。始皇十年、容態が悪い中で斉王と李牧を咸陽まで招き、政と斉王の会談を実現させ自身も同席した。そして、中華統一後の統治のあり方を問う斉王に対して政が話した「法治国家」という答えに満足し、李牧との会談に向かう政を見送り激励した後、眠るように息を引き取った。また、蔡沢は燕との同盟の段取りも済ませており、国葬並みの葬儀が行われた。
壁(へき)
声 - 遊佐浩二 / 小西克幸(PSP)
演 - 満島真之介
嬴政傘下家臣、秦千人将→三千人将→将軍。名家出身だが生真面目で気取らない性格で信の兄貴分。基本戦術を得意とするが、奇策や奇襲といった戦法には対応が遅れがちになることが多い。漂の死に最も悲しみの態度を見せた人物であり、信に漂と別れた時の振る舞いを語っていた。「山の民」の元に訪れた際、楊端和に一目惚れする。
王都奪還編では別働隊に参加、宮中の秘密通路を通って王弟たちの元へと向かうが、その途中で待ち構えた左慈と遭遇。一太刀を浴びせるものの重傷を負わされるが生還。この際力不足を実感し、より力をつけ大将軍を目指すことを誓う。蛇甘平原編で千人将として登場。山陽編においては王翦軍に配属される。千人将として基本戦術を習得し、地形を利用して優勢な敵相手に踏みとどまるなど成長が見られた。合従軍編では三千人将に昇進し、蕞攻防戦では麃公軍の残兵を指揮していた。
王弟謀反編では将軍に昇進、屯留の反乱軍の鎮圧軍総大将に任命された。飛信隊と合流後、成蟜救出を託して鎮圧に専念し反乱軍将軍・龍羽を討ち取る。秦国統一編では加冠の儀に列席し、終了後に昌文君と共に咸陽攻防戦に参戦。鄴編では、三軍連合軍の一員として参戦。鄴を兵糧攻め後一万の軍を率いて山民族軍の援護に向かった橑陽戦の二日目に預かっていた全兵糧の半分を焼き払われる失態を犯すが、九日目の決戦では犬戎王・ロゾを討ち取った。
当初の構想では成蟜反乱時に戦死する予定だったが、史記文中の「将軍壁死」(将軍の壁が死んだ)に別解釈(壁=城壁内にて将軍が死んだ)が出たため生き残ることになったと、コミックス35巻末あとがきで語られている。
肆氏(しし)
声 - 高瀬右光(第1-2シリーズ) / 関口雄吾(第3シリーズ)
演 - 加藤雅也
朅氏参謀→嬴政傘下家臣。文官としての能力なら昌文君より上と評される。
元は竭氏家臣で、反乱の総指揮を執っていたが敗れ鎮圧後、反逆罪を不問とされ一部の竭氏残党を任される。竭氏にいたころから政を高く評価しており、自身を登用してくれた恩から尽力して働く。刺客襲来編では、信を護衛に呼び寄せて暗殺阻止に貢献。後に才能を認められて、政の側近の一人として信任を得る。
漂(ひょう)
声 - 福山潤(幼少期:金田アキ) / 斎賀みつき(VOMIC)
演 - 吉沢亮(幼少期:南出凌嘉
政傘下家臣。信とは同じ下僕の幼馴染。共に大将軍になることを夢見て、武芸の稽古に明け暮れた。対戦成績は1253戦334勝332敗587引き分け+2戦分(勝敗不明)。
政と瓜二つの容姿により、昌文君に身請けされ王宮に影武者として仕官。その際姓を与えられることとなり、姓思案している時に政が李(すもも)を食べていたのを目にしたことで「李(り)」と決め、「李漂(り ひょう)」と名乗った。そのことを政が信に話したことで、信が「李信」と名乗ることとなる。王弟反乱の際、重傷の身を押して村へと戻り、信に全てを託して力尽き死亡した。壁曰く、初陣ながらも影武者としての役割を全うし、窮地に陥りながらも兵を鼓舞し、戦う姿は既に将であったという。葬儀の際には、隣村から弔問する者がいるほど様々な人に慕われていた。
生と死の狭間の世界では役割を制限された魂の状態で信と再会し、信と昔話をしながらあの世への入り口である朱い階段へと到着するが、直前で信が大将軍になる夢を思い出したことで現実世界への穴が出現し、彼が生還したことを見届けたのちあの世へ戻った。
介億(かいおく)
声 - 松田健一郎
昌平君傘下家臣。軍師学校の教官。
合従軍戦編では、昌平君の命により百の兵を率いて蕞攻防戦に参戦。北壁を担当し、特製の守城兵器で防衛しつつ、絶妙な采配で各所に兵を送って蕞防衛に貢献する。秦国統一編では加冠の儀に参列し、終了直後に昌平君と共に呂不韋陣営から離反。その後、昌平君に同行して咸陽攻防戦に参戦。
鄴編では、昌平君たちと共に鄴攻略の戦略を苦労して完成させた。王翦軍が鄴を陥落させると、昌平君の命で王翦軍に兵糧を送るために出陣し、列尾で扈輒・舜水樹軍と対峙する。実は黄河を渡って兵糧を運ぶ青忠水軍の陽動だったが、李牧に見抜かれていた。
蒙毅(もうき)
声 - 水沢史絵(第1-2シリーズ)/ 市川太一(第3シリーズ-)
演 - 萩原利久
蒙家の次男。軍師候補生で昌平君の軍師養成学校で学び、そのまま側近になる。若輩ながら、蒙恬も認める軍才の持ち主。
河了貂と知り合り彼女を軍師養成学校に勧誘し、馬陽編では河了貂を連れて戦場の見学へ赴いている。合従軍編では蕞攻防戦に、秦国統一編では昌平君に同行して咸陽攻防戦に参陣。さらに、昌平君たちと共に鄴攻略の戦略の練り上げにも参加した。始皇十二年の楚の什虎侵攻に軍師として従軍。魏の返答を待たずに出撃しようとする父の蒙武を諫めようとするが止められなかった。
江亜(こうあ)/金良(きんりょう)
声 - 関口雄吾(金良)
昌平君傘下家臣。蒙毅や河了貂と同じ軍師養成学校の軍師候補生。蒙毅によく付き従っており、蕞攻防戦でも無理矢理連れてこられた。
道剣(どうけん)/ 単元(たん げん) / 田慈(でん じ)
声 - 星野充昭(道剣)/ 林和良(単元) / 森田成一(田慈)
演 - 杉本哲太 (道剣)
昭王時代の家臣。政が邯鄲にいた際、その脱出の手引きをするため、紫夏に協力を要請。脱出戦の際に死亡。

呂不韋陣営

呂不韋(りょふい)
声 - 玄田哲章小野寺悠貴(青年時代)
演 - 佐藤浩市
秦右丞相→相国。一介の商人から臣下の最高位である相国にまで昇りつめ、さらに秦王の座まで狙う。元は商人であったが天才的な商才で巨万の富を蓄える。その商才は政界進出後も発揮され、来秦させた李牧が秦趙同盟を持ち掛けた際にはさらに要所の城を譲らせている。人を見る目も優れ、子楚を「奇貨」として巨額の投資をした結果、子楚は秦王に呂不韋は丞相となり朅氏と共に秦を二分する大勢力となる。李斯と昌平君を見いだし、丞相就任後には真っ先に登用している。また、昌平君からは商鞅范雎に比肩する偉人と評されている。
王弟反乱鎮圧後は、政に代わって政治を執り行っている。後に、丞相よりさらに上の相国という地位に就く。合従軍編後、大王派に勢力争いで押されるも再び逆転。始皇八年には謀略で成蟜を葬り、さらに著雍編の後に、食客に編纂させていた一大書物『呂氏春秋』が完成し公開。
秦国統一編では、毐国の乱を利用して秦王になろうと企む。政との対談では、自身の中華を金を操って統治するという持論を語る。そして、政の語る中華統一の真意を聞いた直後に政の成長に思わず涙ぐんだ。そして、咸陽からの知らせで政との長年の政争に敗れたことを受け入れ、審議を経て始皇十年には、相国を罷免され河南での隠居を命じられる。鄴攻略戦後に再起の噂があり、始皇十二年に河南城を訪問した政と会話を交わす。1か月後、毒酒を飲んで自殺したと秦の朝廷に報告があったが、実際には影武者による偽装死であり、呂不韋は自由の身となり政の中華統一への道を見届ける為に放浪の旅に出ていた。
李斯(りし)
呂不韋四柱の一人。李斯参照。
昌平君(しょうへいくん)
呂不韋四柱の一人。昌平君参照。
蔡沢(さいたく)
呂不韋四柱の一人。蔡沢参照。
蒙武(もうぶ)
呂不韋四柱。蒙武参照。

竭氏陣営

竭氏(けつし)
声 - 辻親八 / 遠藤大輔(VOMIC)
演 - 石橋蓮司
秦左丞相。呂不韋打倒を目論む野心家であり、王位を奪った後の国政委任を約束した成と共に謀反を起こした。
その後、山の民が咸陽に現れた際、山の民の戦力の欲しさと盟を結びたいという言葉を信じたせいで山の民に紛れた政一派の咸陽侵入を許してしまう。本殿での戦いでランカイが敗れたため成を見捨てて逃げ出すも騰に阻まれた上、河了貂の吹き矢を受けて怯んだところをバジオウとシュンメンに斬殺された。
肆氏(しし)
竭氏傘下家臣。王弟反乱の総指揮を、執り行っていた。肆氏参照。
魏興(ぎこう)
声 - 青木強
演 - 宇梶剛士
竭氏傘下将軍。上級武官。肆氏の片腕にして、精鋭弓隊を率いる。
王都から逃げた政達を兵を率いて追跡し、政が潜伏していた黒卑村の住民達を皆殺しにする。王都での政一派との戦闘中、乱入した王騎の前に立ちはだかり、偽の昌文君の首を差し出した件で斬り掛かるが返り討ちにされ戦死。
実写映画版では、竭氏死後、謀反人になることを恐れてなおも抵抗するが王騎に阻まれる。政の中華統一という目的に賛同せずに斬りかかるが、信に斬り殺された。
左慈(さじ)
声 - 高塚正也
演 - 坂口拓
竭氏傘下将軍。上級武官。肆氏の片腕にして、竭氏の人斬り長と呼ばれる。服を汚されただけで相手を真っ二つにするほど気性が荒い。
王都奪還戦で策を読んだ肆氏の指示により、別働隊が通ると予測した回廊で待ち構え、壁や信たちと対峙。選抜された勇猛な山の民を圧倒するほどの武力を持ち、力と速さを兼ね備えた自らの剣を天下最強と豪語するも、壁に負わされた傷で剣が鈍り、信に敗死。
実写映画版では、序盤に兵を率いて政の追跡の指揮を執り、口封じに信がいた村を焼き払っている。終盤にランカイと入れ替わる形で回廊ではなく、本殿で信達と対峙して敗死する。

諸侯(秦)

蒲鶮(ほかく)
声 - 平林剛
屯留代官。騒動前年から屯留に現れた新参者のようで成蟜はおろか瑠衣ですらその存在を知らなかったが、治政能力はあったようで城主である瑠衣の曾祖母からは信任を得ていた。しかし裏で呂不韋と通じており、始皇八年に成蟜軍が趙軍を撃退した前後に瑠衣を拘束した上に、城内で成蟜を拘束した。そして成蟜を首謀者に仕立て上げて、屯留の反乱を引き起こした。
本来の計画では、鎮圧軍が屯留城内に侵入した時点で成蟜の首を刎ねて差し出し、褒美として瑠衣と屯留を手中に収める予定だったが、成蟜に脱獄されて真相露見の危機に陥る。兵と城内を追うも、待ち構えていた成蟜に斬殺された。その後、遺体は成蟜派の家臣達に辱められた。
翡翠(ひすい)
景城城主の娘で、容姿端麗で聡明な女性。
父の死後、権限を氷雷に乗っ取られ策略で蝸牛と結婚させられそうになる。前日に出会った信に諦観と本音を涙ながらにぶつけると信に救出を約束され、信の過去を知ったことで如何なる状況でも諦めない精神力を手に入れた。別れ際に信への想いを心中に隠そうとしたが、信の方から再会を約束されたことで、その日を楽しみに景城城主として堅実に統治する。
氷雷(ひょうらい)
景城代官。翡翠の父である城主の死後、権力を手中に収めて景城を牛耳っていた。翡翠を追い出すために魏と取引して政略結婚させようとしたが、魏将軍・蝸牛に裏切られ一族ごと根絶やしにされた。

秦軍

秦六大将軍(旧)

王騎(おうき)
声 - 小山力也 / 中田譲治(PSP)
演 - 大沢たかお
六大将軍の一人。得物は大矛。かつて昌文君と共に昭王に仕え、中華全土から讃えられた武人。本家の王翦らと違い、分家の出。ありとあらゆる戦場にどこからともなく参戦し、その武で猛威を振るったことからついた異名が「秦の怪鳥」。オカマっぽい口調で慇懃無礼な言葉遣いや「ココココ」などという独特な笑い方をするが、個人的武勇と戦場全体を見渡せる知略の双方を兼ね備える、最強の六大将軍。またの出生の秘密を知る一人であり、想われ人でもあった。
昭王に心酔し、その亡き後は一線を退いていた。気まぐれで竭氏陣営に付き昌文君と争うが、昌文君から政の評価を聞き竭氏陣営にいながら秦王派を援護する行動[注 3] に出る。王都奪還戦では終盤に兵を率いて登場し、竭軍将軍・魏興を討ち戦いを止めて政と問答し、未熟と一蹴しつつ彼を認める。蛇甘平原編では、魏国に亡命した廉頗を見舞いに行く途中で通り掛かり、あくまで丘に登りたいという名目で魏軍を一蹴しそこで邂逅した信に大将軍が如何なる存在かを示唆した。呉慶戦死後、魏将軍・白亀西の前に立ちはだかり撤退させた。
馬陽編にて突如として復帰し、蒙武を退けて秦軍総大将となる。序盤は飛信隊を使って趙将軍・馮忌を葬り、後に趙将軍・渉孟を自ら討ち取るが、深追いし過ぎた蒙武の救援に向かったところを趙本軍と李牧の別動隊との挟み撃ちに遭う。そして、ほぼ互角だった煖との一騎討ちにて、止めの一撃を加える好機を得るも「中華十弓」の魏加から不意に狙撃されたために煖の矛に胸を貫かれた。その後、致命傷を負いながらも包囲を突破し、騰や蒙武、信に言葉を残し、最後に信に大矛を託して力尽き死亡した。出陣直前に政を仕えるべき主と認め、昭王に託されていた遺言を伝えていた。
白起(はくき)
六大将軍筆頭。故人。危険を冒さず、相手がムキになるほど力を抜いて勢いをかわす戦い方をし、廉頗から「六大将軍の中でも最もやりづらい」「正真正銘の怪物」と評される。
長平の戦いにおいて秦軍総大将を務め、投降した趙兵四十万人を全員生き埋めにするという無慈悲な決断を下した[注 4]
(きょう)
声 - 高梁碧
六大将軍の一人。六将の中で最も謎に包まれているとされる人物。故人。六将最年少にして、苛烈さは六将随一と言われており、かつて戦ったことのある廉頗も笑いながら殊更酷いと思い返す程。
その正体は、昭王の実の娘。昭王の子ながら生母の身分が低く、暗殺を危惧した母親によって王騎の屋敷に引き取られた。母親はその後焼身自殺し、あたかも娘と共に心中あるいは権力争いによって殺害されたかのように見せかけ、娘を守った。
本人はその事実を知らず召使いとして育てられ、同時に王騎を間近で見てきたことにより武人へと成長。戦場へ出るより前の幼いころに王騎と「将軍になって城を百個とったら妻にしてください」という約束をしており、そのために召使いという身分であったが、王騎の側近として幾度も戦場へ出ていた。
その後、昭王との対面で互いに親子であることを感じ取るが、公に出来ず暗黙の了解となる。このころより、素性を探られることを防ぐために顔の上半分を覆う兜を付けるようになった。それから戦果を挙げ続け、将軍となりさらに戦の才能を開花させ、六人目の大将軍に任命された。馬陽に侵攻した際、突如現れた煖との一騎打ちで力及ばず落命。皮肉にも馬陽が約束の百個目の城であった。この事実が与える影響が大きいと判断した王騎と昌文君によって、病死したことになっていた。
王齕(おうこつ)
六大将軍の一人。故人。六将随一の怪力豪将と呼ばれ、得物は長柄大斧。かつて人知れず楚へ侵攻した際、汗明との一騎討ちに敗れて撤退していると汗明は語ったが、真偽は不明。
胡傷(こしょう)
六大将軍の一人。故人。六大将軍唯一の軍師出身にして随一の智将。自由に戦っていたという六将も、実際には胡傷が戦略の大枠を作り、皆がそれに従っていたと言われている。昌平君の師でもあり、王翦を高く評価していた。
司馬錯(しばさく)
六大将軍の一人。故人。

秦六大将軍(新)

蒙武(もうぶ)
声 - 楠大典 / 渡辺優里奈(幼少期)
演 - 平山祐介
呂不韋四柱の一人で秦将軍→大将軍→六大将軍第一将。蒙驁の子であり蒙恬・蒙毅の父。得物は大。戦闘方法は、己の武力を筆頭に士気を高めた兵で一気に押し潰す、軍師泣かせの力技。列国からは猪突猛進という評価を受けているが、兵の士気を上げるために戦を使って練兵をする等、軍への理解は深い。
馬陽編では、秦軍副将となる。序盤こそ武力で勢いに乗るが、終盤では趙荘の策によって壊滅寸前の窮地に陥る。その後、王騎を戦場から離脱させるために突破口を開き、王騎から秦軍の顔になるべき一人とこれからのことを託される。合従軍編では、騰軍と共に楚軍を担当。15日目に楚大将軍・汗明を一騎討ちの末に討ち取って汗明軍に再起不能の打撃を与えたばかりか、撤退する合従軍を猛追してさらに打撃を与えた。その後の論功行賞では、第一功として大将軍に任命された。
毐国建国宣言後、秦国に侵攻してきた楚軍を蒙恬と共に迎撃した。始皇十二年に楚の什虎に三万の兵を率いて侵攻し、魏の返答を待たずに開戦。中央突破による満羽軍本陣壊滅を狙うが、出陣した満羽を見て標的を変更するも辿り付けず失敗。魏軍と合流後は騰と共に満羽・項翼軍と対峙。乱美迫軍の助攻を得て騰軍とともに満羽軍に突撃し、満羽軍近衛兵団「迅戈」を撃破して満羽と一騎打ちするが、先に敵本陣が陥落したため決着を付ける前に什虎軍が撤退する。始皇十三年、六大将軍第一将に任命される。
(とう)
声 - 加藤亮夫
演 - 要潤
王騎傘下筆頭将軍。王騎軍副官→秦将軍→大将軍→六大将軍第二将。得物は剣。常に王騎の傍に控えており、普段は飄々としてポーカーフェイスを崩さない御茶目な紳士だが、王騎から「私に見劣りしない」と評価される実力を持つ。自ら先陣を率いることが出来る高い武力に軍師並みの頭脳を併せ持ち、呉鳳明が長年に亘り王騎の副将をして来た実績と経験からくる隙のなさなどから秦将の中で一番警戒している程である。王騎へ答える時は、「ハ。○○です」と答えることが多い。片手に持った剣を高速回転させ、撫で斬りにする。その際、「ファルファルファル」という独特の擬音が出る。
馬陽編では、終盤で趙軍本陣に突撃して趙将軍・趙荘を討ち取り、その後で王騎から王騎軍の全てを託された。合従軍編では、七将の一人として蒙武軍と共に楚軍と対峙。初日に楚将軍・臨武君を一騎討ちで討ち取り、その後は媧燐軍と激闘を繰り広げた。著雍編では、秦軍の更なる強化を見据え、信と王賁に主攻を託し、攻略に成功。この功により、秦国第二位の大将軍に任命された。
鄴編では、鄴陥落後に魏の前線から北上し、趙軍に塞がれていた列尾を落とすべく向かうも、敵が撤退したことで難なく制圧する。什虎では蒙武への援軍のために二万を率いて録嗚未と共に参戦し、千斗雲軍と対峙。魏軍と合流後は蒙武と共に満羽・項翼軍と対峙。乱美迫軍の助攻を得て騰軍とともに突撃し、本陣を落として寿胡王の生け捕りに成功する。始皇十三年、六大将軍第二将に任命される。
王翦(おうせん)
声 - 堀内賢雄
蒙驁傘下将軍→秦将軍→大将軍→六大将軍第三将。王賁の父親で、王一族の現頭首。得物は矛。元蒙驁軍所属。
恐ろしい形相を模した鎧に身を包み、目元を隠す仮面を付けており、作中では素顔を晒したことがない。秦六将・胡傷に「軍略の才だけで六大将軍の席に割って入ることの出来る」、三大天・廉頗から「白起に匹敵」、秦国内では「王騎と同等」と評価される名将だが同時に秦国一の危険人物とされ、長年冷遇されていた。その理由として、自らが王になりたいという野望を抱いているからという噂がある。戦い型は無謀な賭けはせずに常に常勝の策を持って戦に臨んでいるため、蒙驚の下で一緒に副将を務めていた桓騎からは「負ける戦は絶対に始めない」と評されている。
山陽編では秦軍左軍を指揮して姜燕軍と対峙し、壁軍を囮に使い窪地に姜燕軍を誘い込み包囲するが、廉頗が現れたことで分が悪いと判断し後退。その後、秘かに築いていた山砦に籠城、虎視眈々と出撃の機会を狙っていたがそのまま終戦となる。合従軍編では、燕軍を担当。15日目には燕軍を終始翻弄しつつ、さらに函谷関の裏手に現れた楚軍を一掃して、函谷関陥落の危機を救った。
鄴編では三軍の総大将として参戦。列尾では李牧による罠を見抜くと、昌平君の戦略を放棄し己の立てた戦略による継戦を決断し、列尾を放棄し全軍で趙国王都圏に侵攻。そして、鄴に難民達による兵糧攻めを仕掛けた後、鄴を桓騎軍に任せ、鄴を解放しようとする趙軍を迎え撃つべく朱海平原で秦軍中央軍から総指揮を担う。十五日目の中央軍同士の会戦では李牧の戦術を見破り戦況を優位に進め、朱海平原での決戦が決着した後は、鄴へ向かった李牧軍を速度を重視した精鋭を選抜して追撃する。その後、鄴に潜入させた配下達に兵糧を焼き払わせたことにより、生じた難民達の暴動によって鄴を陥落させる。さらに出撃前に鄴の陥落後に発生すると予測した兵糧問題を、昌平君に頼んで秦国とは逆側の斉国に援助してもらうことで打開。のちに趙軍が鄴一帯から撤退したことで鄴攻略に成功。その後、最前線で扈輒軍と対峙している。始皇十三年、六大将軍第三将に任命される。武城を攻めている最中に自ら邯鄲へ偵察に赴くが、そこで李牧が築いた長城を発見。その後、北方の宜安の攻略を目指すが、始皇十四年の閼与戦で自軍の予想外の損失を被ったことで、閼与城で自軍の立て直しを行うことになり、宜安戦には同行しなかった。
楊端和(ようたんわ)
山民族王兼秦大将軍→六大将軍第四将。山の民参照。
桓騎(かんき)
声 - 伊藤健太郎
蒙驁傘下将軍→秦将軍→大将軍→六大将軍第五将。元は秦南方の野盗団の首領。元蒙驁軍所属。独自の兵法を駆使し、自軍の将校ですら予測不能な奇策を得意とする軍略家。勝つためなら民間人への残虐な行為や非道な策や、自軍の兵の多くの死も厭わず、将軍となっても投降兵諸々を殺してしまう残忍な性格の持ち主。その根底にあるのは下の者を理不尽に虐げる上の者と、それらに見て見ぬふりをして現状を変えようとしない中間の者、それら底辺以外の全てに対しての激しい怒りである。傘下の兵や将校達は元々はそれぞれ別の野盗団であり、桓騎がそれらを一つ一つ説得したり、潰したりしていって取り込んでいった。周りに対しては王にでさえ傲岸な態度を取る一方、自身や一家を野盗から引き上げた蒙驁には敬服している。李牧によると桓騎は、先読み・心理戦の天才ではあるが、基本戦術を学ぶ間も無く戦に出てきたことで、桓騎の今までの戦いでは、全て「奇襲」「奇策」だけで勝っており、まともな正攻法での勝利は一度も無いため、「奇策以外の手段を知らない」のが桓騎の弱点だと語っている。
桓騎が13歳前後の頃、倒れていた桓騎は偲央に救われ、そのまま偲央が作った行き場の無い孤児たちの集団と共に暮らすようになる。だが狼甫一家の者に仲間が虐殺されるも、偲央は仲間が皆殺しにされることを避けるべく見逃そうとするが、桓騎は奪われるままでは駄目だと仲間の仇を取る。そして狼甫一家が報復に動く前にその頭目を殺し、報復に来た狼甫一家の刺客の死体を解体して弄んだ。これを仲間にもやらせて繰り返すことで刺客は恐れて来なくなり、こうして今の砂鬼一家が出来上がった。さらに桓騎は砂鬼一家の多くがかつて受けた虐待の全てを報復すると語り、かつて砂鬼一家の一人・召の顔を焼いた領主に同じ目に合わせた。桓騎と偲央は互いに深く愛し合っていたが、その偲央が紀波城の城主に見せしめで虐殺されてしまう。桓騎は報復を図るも城壁を前に手出し出来ず、桓騎は砂鬼一家を去る。
そして南方で自らの一家を築き、雷土や摩論、黒桜など多くの野盗団を取り込み、桓騎一家は軍隊に及ぶ規模にまで膨れ上がる。そうなった時桓騎は偲央の仇・紀波城を攻め落とし、その城の住民全員の首を自ら斬り落とした。これにより桓騎は「首切り桓騎」と呼ばれるようになる。その後桓騎の元に次々と討伐隊が送られるがそれをことごとく返り討ちにし、その過程で蒙驁を捕縛する。そこで蒙驁から野盗を止めて自身の配下になるよう勧誘されて、桓騎はこれを受け入れ蒙驁の副将となり蒙驁から自身をじーさんでは無く「白老」と呼ぶように言われたことで蒙驁を「白老」と呼ぶようになった。[3]
山陽編では、秦右軍を指揮し、遊撃戦で介子坊軍を翻弄。敵伝令兵に変装して廉頗四天王・玄峰を討ち、その後も敵本陣を奇襲して魏大将軍・白亀西を討って勝利に貢献。合従軍編で函谷関の守将の一人に抜擢され初日に「巨大井闌車」を焼き尽くし死守。さらに15日目には「巨大井闌車」を逆に利用し地上に降り、張唐と自軍の僅かな兵で韓軍本陣に奇襲をし、張唐に成恢を討ち取らせる貢献を果たす。秦国統一編で函谷関から敗走する毐国軍を迎え撃ち、毐国王・嫪毐を生け捕る。
黒羊編では、総大将として飛信隊と共に慶舎軍と対峙。3日目に敢えて一切何もしないことで慶舎を怒らせ、4日目には慶舎を誘い込んで討ち取りに掛かる。信が慶舎を討ち取った後に総大将が紀彗に変わったのが分かると、捕らえていた趙兵を拷問したことで紀彗の過去と離眼兵の関係を知り、その後は手段を択ばぬ非道な戦略により、予想よりも圧倒的に少ない損害で黒羊を奪取する。
鄴編では、三軍連合軍の一角として参戦。王翦が鄴へ兵糧攻めを仕掛けた後は、鄴包囲軍を担当する。鄴の兵糧が焼かれて失ったことを知ると、兵士らを使い降伏を呼び掛けて城内の難民達の暴動を煽る。そして、難民達によって城門が解放されるとすぐに攻撃を仕掛けて鄴を陥落させる。
始皇十三年、六大将軍第五将に任命される。その後多くの犠牲を払いながらも進軍を進め、扈輒軍との戦を始める。大軍勢の扈輒軍に圧倒され味方も次々と脱走を始めて総崩れとなる中、岳白軍を撃破した飛信隊に虎白軍五千が向かった隙を突いて敵軍本陣を急襲。逃げようとする扈輒達を先回りして近衛隊と交戦し、扈輒を討ち死させた。その後、数万人の扈輒軍の捕虜をすべて処刑する暴挙を起こし、政が自ら前線に駆け付けて尋問をする。だが、摩論の弁明と扈輒を討ち取って戦に勝利した功績で、一応は不問となる。
始皇十四年には、宜安攻略軍・十四万の総指揮を担当するが、宜司平野で趙北部軍全軍・三十一万の包囲攻撃を受ける。それでも持ち前の機転で自軍に有利な状況を作って包囲網から脱出し、李信たちが陥落させた宜安城へ向かう。そして、宜安城で李信たちと合流した後、赤麗城が趙軍に奪還されたことを知ると、宜安城を放棄して肥下城への森林地帯へ向かい、李牧を肥下城への森林地帯へと誘き出し奇襲を仕掛ける。そして李牧を追い詰め自らも李牧を斬りつけ負傷させるが、援軍に来た上和龍・虎白軍に取り囲まれ、桓騎軍は一斉攻撃を受ける。李牧は桓騎に投降するよう勧告したが桓騎はそれを拒絶し、李牧と刺し違えるべく突撃する。その最中、桓騎は虎白を、ゼノウは上和龍を討ち取り奮闘したが、最後は李牧軍に討たれその生涯に幕を閉じた。
蒙武軍
丁之(ちょうし)
声 - 佐久間元輝
蒙武傘下将軍。蒙武軍副官。隆々とした豪傑。得物は矛。合従軍編では、来輝とともに汗明軍の両端に攻勢を仕掛け奮戦する。
来輝(らいき)
声 - 奥村翔
蒙武傘下将軍。蒙武軍副官。隆々とした豪傑。得物は矛。合従軍編では、丁之とともに汗明軍の両端に攻勢を仕掛け蒙武の為に死力を尽くす。什虎編では、満羽と一騎討ちをする蒙武の代わりに、蒙武軍を引き連れて楚軍本陣へ向かう。
騰軍(王騎軍)
録嗚未(ろくおみ)
声 - 田尻浩章(第1-2シリーズ)/ 関口雄吾(第3シリーズ-)
王騎軍第一軍長→騰軍第一軍長→騰傘下将軍。軍内最強にして随一の激情家。
馬陽編において万極軍と交戦中に王騎の死の知らせを受けて激昂し暴走、万極軍に大打撃を与えた。合従軍編で、楚将軍・臨武君と一騎討ちを繰り広げるが力およばず敗北し、騰に救出される。次に媧燐軍戦象隊に苦戦をするも指揮官を討ち、次に乱戦を生き残り、干央軍と共に媧燐軍の背後に急襲。著雍編では将軍に昇進しており、魏軍本陣を陥落させるための三主攻の一つを任された。戦後、王賁と共に蒙武軍の援護のために楚国国境へ向かい、毐国編で媧燐軍を迎撃した。鄴編では騰に従軍して扈輒軍と対峙し、列尾を奪取。
什虎編では騰に従軍して蒙武への援軍として参戦し、玄右軍と対峙するが援軍に現れた項翼・白麗軍に側面を強襲される。魏の援軍襲来で仕切り直すと、千斗雲軍と交戦し千斗雲と一騎打ちを繰り広げるが乱美迫に乱入される。その際、味方が魏軍と思わず睨み合うが、一喝して楚軍に攻勢を仕掛ける。
隆国(りゅうこく)
声 - 加藤亮夫
王騎軍第二軍長→騰軍第二軍長→騰傘下将軍。軍内随一の智将。
馬陽編では驀進する蒙武を止められず、趙荘の策によって壊滅的な被害を負った。王騎の最期に立ち会い、騰が王騎軍を託されたことへの証人となった。その後は、参謀の役割に就いている。合従軍編では、前線で暴れる騰に代わり、本陣で総指揮を代行。著雍編では将軍に昇進し、戦後は魏国境での総指揮を任され、飛信隊と共に転戦する。礼儀作法、用兵術などに疎い信を厳しく指導している。
鱗坊(りんぼう)
王騎軍第三軍長→騰軍第三軍長。毒舌家。得物は矛。
馬陽編で、渉孟と争った。その後、王騎の死の知らせを受けると言葉を発せず、泣き崩れた。合従軍編で秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と同金とともに迎撃。函谷関攻防戦で録嗚未とともに臨武君に襲い掛かろうとするが、楚軍千人将・白麗の矢で頭部を撃ち抜かれ戦死。
干央(かんおう)
声 - 赤城進 / 稲垣拓哉(VOMIC++)
演 - 高橋光臣
王騎軍第四軍長→騰軍第四軍長→騰傘下将軍。死闘を最も得意とし、軍の突破力は王騎軍で一二を争う。
馬陽編の序盤で馮忌軍と対峙し、馮忌を討ち取った信の名を高らかに宣言する粋な計らいを見せた。その後、龐煖の夜襲にいち早く反応して攻撃を仕掛けるが、援軍としてやってきた万極と交戦し、隙を突かれ負傷。合従軍編で、媧燐軍戦象隊に苦戦をするも堅実な攻めで撤退させ、次の乱戦を生き残り、録嗚未軍と共に媧燐軍の背後に急襲。著雍編では、将軍に昇進。
同金(どうきん)
王騎軍第五軍長→騰軍第五軍長。
馬陽編では王騎の死の知らせを受け号泣していた。合従軍編で、秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と鱗坊とともに迎撃するが、臨武君に討たれ戦死。
王翦軍
亜光(あこう)
王翦傘下将軍(第一将)。王翦からの信頼も厚く、李牧も高く評価する名将。策謀に理解があるが、それ以上に小細工を好まず自身と自分の分身とも呼べる自軍の兵による武力頼りの強引な力技を好む。また、長年に渡り王翦軍の第一将を務めてきたことで、自身も王翦が使用する戦術を複数使用出来る。正面からのぶつかり合いでは無敗。
鄴編では、王翦が密かに鄴に赴いた際に護衛を務め、朱海平原では秦軍右翼の指揮を担うも、九日目に防陣を破った馬南慈と尭雲の両者の攻撃を受けて重傷を負う。その後、亜花錦と玉鳳隊が駆け付けたことで一命を取り留めたが、意識不明の重体となる。しばらく昏睡状態だったが鄴陥落後に復活し、列尾に向けて出陣する。王翦の六大将軍就任後、平陽・武城攻略の為に最前線で趙軍と交戦する。司馬尚に討たれ戦死。
麻鉱(まこう)
王翦傘下将軍(第二将)。亜光と並ぶ名将。亜光と同様に優れた武力を持つが、亜光とは違い策謀を好む。徹底的な練兵を重ねた麾下軍の練度は王翦軍最強とされる。
鄴編では、朱海平原の決戦初日で、秦軍中央軍から左翼へ王翦軍第二軍を率いて楽華隊に翻弄される紀彗軍に、波状攻撃を仕掛けて追い詰めつつあったが、李牧に急襲され戦死。
田里弥(でんりみ)
王翦傘下将軍(第三将→第二将)。王翦軍随一の智将であり、主に王翦の補佐を担当。自らは矛は振るわない将であるが、麾下軍は臨機応変に戦場で対応出来る剛柔を併せ持ち、王翦軍最賢とされる。
朱海平原決戦十五日目に倉央と共に共伯軍と対峙し、朱海平原での決着がついた後は、鄴へ向かった李牧軍を追撃するための、精鋭軍以外の十分の八の残軍を指揮する役目を任され、残軍を率いて陥落した鄴へ到着した。王翦の六大将軍就任後、平陽・武城攻略の為に最前線で趙軍と交戦。自軍を囮役にしようと目論んでいるとして桓騎の計略を警戒する。
倉央(そうおう)
王翦傘下将軍(第四将→第三将)。堅物揃いの傘下の中では珍しく軽口を好む猛将。王翦傘下の将軍らと同じく優れた知略を持っているが、自ら先陣を切れる高い武力をもっており、本人曰く「自分は戦い専門」。
朱海平原決戦十五日目に、田里弥と共に共伯軍と対峙。李牧軍の撤退後は李牧軍を追撃する為の精鋭軍の一員に選ばれ、王翦らと共に鄴へ向かう。王翦の六大将軍就任後、平陽・武城攻略の為に最前線で趙軍と交戦。
虞寧(ぐねい)
王翦傘下将軍。亜光軍副官。王賁の元教育係。四十五年間戦場に出続ける歴戦の老将。朱海平原決戦九日目に藺家十傑・堯雲の足止めに失敗し、戦死。
糸凌(しりょう)
王翦傘下将校。倉央軍副官。得物は双剣。倉央とは恋仲で、倉央と同じく高い武力を持ち、自ら先陣を切れる力の持ち主。常に左目が髪で隠れた描写で描かれている[注 5]
朱海平原決戦十五日目に、王翦からの指示で共伯軍へ、倉央と共に先陣を切り猛威を振るう。大乱戦の最中李牧軍本陣まであと一歩で迫るも龐煖に阻止され、立て直しのため一時退却。再度、李牧軍本陣を狙い、立ちはだかった趙将軍・共伯を一騎打ちの末に討ち取り、右軍から駆け付けた馬呈と対峙するが決着は着かなかった。李牧軍の撤退後は精鋭軍に選ばれ、李牧軍の追撃へと向かった。
段茶(だんさ)
王翦傘下将軍。亜光軍所属で、柔軟な思考が出来る良将。また、勝ち戦には能力以上の力を発揮する。子供は娘だけが五人いる[4]。朱海平原決戦九日目に意識不明の重体となった亜光に代わり、大将代理を担当。亜光と王賁不在の戦場で、信を新たに大将に据える。終盤、馬南慈軍を足止めしていたが、馬南慈軍の機動力を読み違えたことで森からの王翦軍本陣への突破を許してしまう。
丁陽(ちょうよう)/高順(こうじゅん)
王翦軍将校。
麻鉱軍所属で、朱海平原戦の初日の麻鉱戦死と参謀全滅の報に動揺し、放心の所を蒙恬に叱責され、彼の指揮で立て直しを図り、全滅を阻止。以降、臨時将軍となった蒙恬に従い、紀彗軍と戦う。
関常/松琢/宮康/亜花錦
元王翦軍将校、#玉鳳隊参照。
桓騎軍
黒桜(こくおう)
声 - 川島悠美(第2シリーズ)/ 永峰遙(第3シリーズ-)
桓騎軍五千人将→桓騎傘下将軍。配下からは「姐さん」と呼び慕われる女傑。弓の名手で一流の戦術家。面食いで、部下の扱いは容姿で差がある。桓騎に惚れている。料理が非常に下手。
黒羊編では、副官として中央丘の右翼で紀彗軍と戦い、紀彗を黒羊戦の鍵を握る人物だと警戒した。扈輒軍との戦いでは中央軍を指揮し、桓騎達が扈輒を討つと竜布軍の迎撃し撃退した。政との尋問では、桓騎の斬首を命じられた豹司牙に立ちはだかるも、逆に剣を折られることになった。趙北部戦で、肥下城への森林地帯で李牧軍を奇襲し討ち取る寸前まで追い詰めるが、趙軍の援軍が次々と駆け付けたことで果たせず、趙兵の槍に背後から腹部を貫かれて致命傷を負って、桓騎軍の最後の突撃の寸前で力尽きて騎馬から転げ落ちて息絶える。
雷土(らいど)
声 - 小松史法(第2シリーズ)/ 佐久間元輝(第3シリーズ-第4シリーズ)/ 乃村健次(第5シリーズ-[5]
桓騎軍五千人将→桓騎傘下将軍。粗暴な性格だが、戦況を見極めることに長けており、野盗時代に培った知恵と経験を駆使する。その実力は高く、かつて桓騎が雷土とその一家を取り込もうとした時には相当苦労した。現在は桓騎の考えが読めなくても桓騎を黙って信じるなど信頼が厚い。
黒羊編では、左翼軍大将として岳嬰軍と戦い、初日に慶舎による策で危機に陥った時には、ゼノウと共にかつて野盗時代に使用していた笛「火兎」を吹いたことで、危機を脱しその後ゼノウらと共に中央丘にいた趙軍を襲撃した。鄴編では、鄴解放軍の迎撃に当たり、鄴へ到着した疲労困憊の李牧軍をゼノウ一家と迎え撃つ。
扈輒軍との戦いでは右翼軍を指揮し、龍白軍と対峙し劣勢に立たされていたが、オギコから桓騎の作戦を聞いて後退する。その最中、龍白を誘い出し討つが、駆け付けた竜布に捕らえられた。扈輒軍本陣に連行され、凄惨な拷問の末に死亡。しかしどれだけ拷問を受けても最期まで口を割ることはなかった。
摩論(まろん)
声 - 佐久間元輝
桓騎軍五千人将→桓騎傘下将軍。桓騎軍随一の智将。黒桜同様、野盗時代からの配下で自称「紳士」と呼称し、常に丁寧な口調で話すが、どこか相手を見下す慇懃無礼な性格。料理が得意。
黒羊編では、参謀として中央丘の左翼で金毛軍と戦う。鄴編では、同じく参謀として鄴解放軍の迎撃を担う。鄴の陥落時には、忍耐弱い野盗の集りの自身らが忍耐勝ちした事に安堵していた。本人曰く「ある意味奇跡」。戦後の論功行賞では、桓騎の代理で咸陽に訪れる。
扈輒軍との戦いで桓騎達が扈輒を討つと、扈輒の討ち死を扈輒軍全体に報せ投降を促し捕虜とするが、桓騎の命令ですべての捕虜を処刑。そこに政が兵を引き連れて現れ、尋問では斬首を命じられたことで慌てて割って入って捕虜の処刑について弁明、桓騎の斬首は取り止めとなる。趙北部戦で、肥下城への森林地帯で李牧軍へ奇襲をかける際に桓騎の指示で桓騎本陣から離れた場所に配置され、奇襲が失敗し始めた頃にオギコが駆け付けて、桓騎からの伝言を聞いた後、自身の一家やオギコと共に李信の下へと合流し、オギコから李信へ桓騎の伝言を伝え終えた後、飛信隊と共に趙北部からの脱出を開始する。そして、国境線を突破して倉央軍と合流すると閼与城へ帰還し、半月後に秦国への帰途に就く途中で李信に生前の桓騎の「生き残った奴らに以前みたいなクソみたいな生き方をさせるな」という遺言通りに、生き残った桓騎軍の残党を率いて傭兵団を始める意向であることを語った。
ゼノウ
声 - 蓮岳大[6]
桓騎軍五千人将→桓騎傘下将軍。桓騎軍最強の武力かつ随一の獰猛さを誇り、死地にも嬉々として突っ込んでいくため、戦狂いとまで言われるゼノウ一家棟梁。桓騎兵曰く「桓騎軍の中でも砂鬼一家と並んで最もヤバイ一家」蒙武よりも一回り大きい体格と、野牛の首を素手で捩じ切る程の膂力の持ち主。
黒羊編では初日は桓騎の指示で雷土軍とともに行動し、趙軍を圧倒するも慶舎による策で危機に陥ると、雷土から「火兎」を使うよう言われ使用することで危機を脱し、その後は合流した雷土達と中央丘にいた趙軍を襲撃した。2日目には左翼で動かない理由を雷土に問い質し、自分らの出番があると聞かされると納得した。4日目には飛信隊を襲撃した慶舎を逆に追い詰め、五日目の最終戦では飛信隊と共に中央丘奪取の立役者になる。
鄴編でも従軍し、兵糧が乏しくなったことで暴れ出す寸前にまで陥っていた。到着した李牧軍を雷土達とともに迎え撃つが、鄴が開門すると李牧軍との交戦を勝手に止め、鄴から逃げ出す難民達を押し除け真っ先に入城し、趙兵を殲滅した。扈輒軍との戦いでは一家ととも隠れ潜んでおり、敵本陣が手薄になると一家を率いて敵本陣を急襲する。趙北部戦で、肥下城への森林地帯で李牧軍に奇襲するが、駆け付けた上和龍に致命傷を負わされる。しかし、桓騎の最後の号令で息を吹き返し、上和龍の頭を掴んで握り潰して相打ちとなり、戦死する。
リン玉(りんぎょく)[注 6]
声 - 八代拓[7]
桓騎軍千人将→桓騎傘下将軍。精鋭騎馬隊指揮官。曲者揃いの桓騎軍の中では比較的良識派。
黒羊編では騎馬隊を発揮出来ない森林地帯のため桓騎の傍らに待機。桓騎軍と飛信隊が衝突した際、那貴と入れ替わりで桓騎軍に一時加入していた尾平を割って入らせたことで同士討ちを阻止した。
鄴編では、鄴解放軍を相手に騎馬隊を指揮し奮戦する。
扈輒軍との戦いでは黒桜とともに中央軍を指揮する。中央軍が分断されてからは、集中攻撃を受けて追い詰められ、総崩れとなった後は追撃を受けるもなんとか逃げ切り、戦後は黒桜達と合流する。趙北部戦で、肥下城への森林地帯で李牧軍を奇襲し、傅抵と一騎討ちするが、奇襲が失敗した後で傅抵から一騎討ちをした誼で一思いに死なせてやると提案されるが、最期は桓騎の傍にいたいから断って桓騎の下へと向かい、最後まで桓騎と行動を共にして戦死する。
朱摩(しゅま)
桓騎傘下将軍。数は少ないがゼノウ一家と匹敵するほどの武力を持つ朱摩一家の頭領。双剣の使い手。
扈輒軍との戦いでは敵本陣襲撃に従軍し、逃亡を図る扈輒達を桓騎とともに先回りし、護衛をせん滅して扈輒を死に至らしめる。宜安城から肥下城へ向かう途中の森林地帯の戦いで、手薄になった李牧軍の本陣を桓騎たちと共に奇襲し、カイネと交戦して追い詰めるが、助けに来た李牧の突きの一撃で頭部を左目ごと貫かれて戦死する。
衣央(いお)
残虐さでは桓騎軍随一とされる、奇妙な覆面の怪人らの砂鬼一家の首領。覆面で素顔を隠している怪人物だが、始皇十四年の宜安城攻略戦の前に李信たちの目の前で覆面を脱いで、黒髪の美女であることが判明する。砂鬼一家は拷問を好み、桓騎軍の兵からは「ゼノウ一家と並んで桓騎軍の中で最もヤバい一家」「拷問し死体を弄ぶ」「砂鬼に捕まることが中華一の不運」と言われており、常に凄まじい死臭を纏っている。桓騎軍で尋問や拷問を担当する。那貴によると、砂鬼は桓騎軍最古参とのことで、かつて那貴が砂鬼一家のある人物から桓騎についての話を聞いていたが、幹部らも砂鬼については詳しい事は知らず、真相は長らく不明だった。
黒羊編では捕らえていた趙兵を拷問し、黒羊丘近辺に住む村人達の屍で作った「贈り物」を紀彗に届けて脅し、勝敗を決定づける。扈輒軍との戦いでは、勝利後に雷土を拷問した拷問官の生き残りに、雷土の顛末を吐かせた。
始皇十四年の宜安戦では、砂鬼一家が普通の戦闘には不向きである為に、桓騎の命令で別働隊として氾善隊と行動を共にしていたが、そのため趙北部軍全軍の包囲網の外で難を逃れた。その夜、森に潜伏していたところに飛信隊と遭遇し、那貴から桓騎一家の最古参であると聞いている砂鬼一家に、宜安城へ連れていく条件として桓騎の過去や根源について教えろと交渉され、城攻めに飛信隊らの力が必要だと判断したことで、覆面を脱いで素顔を見せて那貴の「砂鬼が桓騎一家の最古参」を否定し「桓騎が砂鬼一家の最古参だ」と訂正した上で、自身が知る桓騎の過去の一部を語った。話の中で衣央は「砂鬼は桓騎一家に属してはなく、昔のよしみで横にいるだけだと」と言った。そして、残りの話は宜安城の城内で話すと告げて、飛信隊・楽華軍に同行して宜安城を陥落させる。そして、宜安城の城内で約束通りに、自身が知り得る残りの桓騎の過去を話した。その後、合流した桓騎の指示で宜安城の城内に数多の死体を「解体」して晒しものにして、死体に「肥下の惨劇を史に刻む」という伝言を刻んだ。その後、森林地帯での李牧軍への奇襲では桓騎軍には加わっておらず、飛信隊に同行していたが、その理由は李牧軍への奇襲が失敗に終わった場合に砂鬼一家を生き残らせる為であり、閼与城へ帰還してから半月後、秦国への帰途に就く途中で摩論から一緒に傭兵団をやらないかと勧誘されるが断り、砂鬼一家と共に自分たちの「聖地」に帰る意向であることを告げた。
偲央(しお)
桓騎が拾われた当時の砂鬼一家の首領で、衣央の姉[8]。桓騎を拾った後、自分たちを虐待する狼甫一家の住み処を桓騎の提案で潜入して、狼甫一家の幹部数人と共に頭目・狼甫の寝込みを襲って殺した。しかし、弱体化した狼甫一家からの復讐の刃から逃れる為に、やむなく自分たちが住んでいた山間の空き地[9]を放棄して、衣央たちや桓騎と共に一家で旅立った。ある日、狼甫一家の二人が桓騎に「解体」されて晒しものにされたのを見て、桓騎がこれが「この先、お前達が誰一人傷つけられないための手段」たと告げたことで、衣央たちも生き延びる為に桓騎から方法を教わったことが、『砂鬼一家』の始まりとなった[10]。その後、何度も狼甫一家からの刺客を「解体」して晒しものにしたことで、やがてある日を境に狼甫一家からの刺客は来なくなり、桓騎の言った通りとなった。しかしその後、偲央は桓騎たちの勢力拡大を疎んだ紀巴城城主の部下に拉致されて[11]、乱暴された末に手足を斬り落とされるという凄惨な死を遂げて、それを契機に桓騎は砂鬼一家を離れて自分で桓騎一家を作り出して勢力を拡大し、妹の衣央が砂鬼一家の首領となった。
召(しょう)
砂鬼一家の一員である男性で、砂鬼一家の設立前から常に頭巾を被っていた。その理由は、幼い頃に親に売られて偲央たちが暮らしていた一帯の領主の下僕にされただけでなく、その変態領主に面白半分に顔を焼かれて逃げ出したという凄惨な過去があった為である。
宜安城が陥落した後、宜安城の城内で衣央が桓騎の過去の残りの部分を話した後で、那貴が知りたがっていた、桓騎についての中で桓騎の根底に流れる怒りについて話すために、李信たちに桓騎率いる砂鬼一家が自分の顔を焼いた領主を襲った日のことを語り始めて、桓騎たちが寝台に縛り上げた領主を桓騎が召の報復として領主の顔を半分焼いた後で、砂鬼一家に底辺の者達の砂鬼一家の「仇」が高い身分の者たちだけでなく、その中間にいる普通の連中も「怒り」を向けるべき存在であり、桓騎が底辺の者たち以外の全ての人間を憎悪・否定し「怒り」を向けていると語って、李信と那貴たちを絶句させた。その後、森林地帯での戦いで楽彰軍に重傷を負わされるが、那貴一家に助け出される。しかし、既に致命傷を負っており、李信たちに桓騎の過去を語り終えると、衣央たちに先に僕たちの「聖地」で待っていると言い残して、息を引き取った。
オギコ
声 - 福山潤
桓騎軍千人将。落ち着きがなく馬鹿っぽい言動が多い。だが、腕っぷしは確かで馬術にも長けているが、壊滅的なまでに弓が下手。桓騎軍の中でも浮いた存在だが、桓騎への忠誠心は厚く、桓騎からは気に入られており、信頼されている。桓騎が千人将に抜擢した理由は「面白いから」。
黒羊編では何故か飛信隊への伝令として訪れるが、あまりに怪しすぎたため飛信隊の兵に止められていた。扈輒軍との戦いでは伝令として動き、傷だらけになりながらも雷土の元に駆け付けて桓騎からの作戦を伝える。
馬印(ばいん)
桓騎軍将校。摩論軍所属の伝令兵。黒羊編では、一日目に失態を起こした信に対し片腕を斬るように命じるも、この一件に関しては那貴が預かる事で事無きを得た。扈輒軍との戦いの最中に焦燥しながら飛信隊の元へ伝令で駆け付け、飛信隊に援軍を要請。戦場に向かう最中に信らに今までの戦局を教え、摩論からの伝言を伝えた後は本軍に飛信隊の参戦を教えに行った。扈輒軍に勝利後、再び飛信隊の元へ訪れ、平陽へ向かえと伝えた。
氾善(はんぜん)
桓騎軍将校。攻城戦専門の部隊を率いており、独自に設計と製造を重ねて井蘭車を作り上げ、かつて交際していた女性の名前から「紅春」と名付けた。だが、完成した今でも移動途中に井蘭車が揺れたりふらつくなどの問題もあり、そのため敵軍からは「ふざけた井蘭車」と酷評されている。平陽城攻略戦では、紅春を使って平陽城を落とすことに貢献した。宜安城攻略戦では桓騎軍の本軍とは別の道を使って宜安城に向かっており、飛信隊や楽華軍と共に宜安城を攻略した。その後、戦闘は不向きだったことで、一命を取り留めた田有たちを運ぶ荷車の陰に隠れていたことで生き残り、帰国の途中で摩論の傭兵団で新たな「紅春」を製造することを李信たちに告げる。
那貴/呂敏
桓騎軍将校。飛信隊に転属。#飛信隊参照。

その他の秦大将軍

蒙驁(もうごう)
声 - 伊藤和晃
秦国筆頭大将軍。「白老」の異名を持つ。蒙武の父にして、蒙恬・蒙毅の祖父。自ら前線で武勇を示すのではなく本陣で全体の指揮を執り、不利な戦況でも柔和な笑みを崩さずどっしりと構えている。攻城戦を得意とし、戦闘で負傷した部隊への見舞いや兵卒に対しても親愛のこもった檄を飛ばすなど、末端への配慮も欠かさない。六大将軍のことは偉大さゆえに嫌っていた反面、憧れ尊敬してもいた。周囲から凡将との評価に反し、人材登用においては中華一と評される。考えに行き詰まると一兵卒に変装し、自軍陣営内を徘徊する癖がある。かつて連敗続きで野盗団の討伐に回されたが、そこで桓騎一家と対峙するも敗北し縄についてしまい殺される寸前の中、桓騎を直接見たことで、桓騎の内情を見透かした上で、桓騎の強さを評価し「自分の力と思いをぶつけるためにもっと広い世界で戦ってみないか」と言い、そのためには"力"が必要だから野盗を辞めて自分の副将として自分の元に来ないかと勧誘し、桓騎がこの提案にあっさりと乗ったことで、桓騎が自身の副将になった。[12]
元々は斉国出身。伍長から昇進を重ねてきた歴戦の将であったが、廉頗によって幾度も敗北させられたことから故郷での出世の道を諦め、蒙武と共に秦へ移住。
山陽編において、因縁の相手である旧趙国三大天・廉頗と四十年ぶりに対決。一兵卒に扮して徘徊していた時に邂逅した信との会話で当初の弱腰を払拭し、廉頗を倒すことを決意する。終盤、廉頗が本陣がある丘の裏手に現れると、彼のためだけに四十年間練り上げた秘策を用いて迎撃し、廉頗からも高く評されるが突破され、本陣に迫られる。そこで挑んだ一騎討ちでは廉頗を馬ごと弾き飛ばす怪力で善戦するも左腕を失う。しかし、桓騎による魏軍本陣陥落の報に接した廉頗が降参したことで、目的であった山陽攻略に成功。
戦争終結後、この時の負傷から事実上は引退状態にあるとされたが、合従軍編において国門函谷関の守将を任され死守した。始皇七年に危篤状態となり、信と蒙恬が駆け付けた際に一時意識が戻り、王賁と三人で高みへ登れと二人を激励して死去。
麃公(ひょうこう)
声 - 斎藤志郎
演 - 豊川悦司
秦国大将軍。大きく見開いた目と、鋸の歯のようなギザギザの歯が特徴の巨漢。敵軍に突撃する際は棘をあしらった仮面と盾を装備し、大矛を振う。王騎や昭王も認める六将級の猛将だが、王からの咸陽への招聘を無視して長年前線を拠点としていたことから、中央での知名度は低かった。後に信から王騎と同じくらい強いのに何故六大将軍に入れなかったのか理由を聞かれた時に、本人は六大将軍に入らなかった理由を「興味が無かっただけ」と言い、自分から見れば「夢追い人」だった六大将軍とは違って、自分には戦場が全てで戦で勝利してその夜美味い酒を飲めれば満足だったからと信に言っている。
戦を「燃え盛る大炎」という独特の感性で表し、戦の局面が動く時と判断した際の決断は大胆で、戦が最高潮に達した時は、自ら出陣して敵総大将の首を狙うといった独特な戦い方をする。言わば知略や軍略よりも本能で戦う武将で、李牧・王翦が「本能型の極致」と称賛するほどであった。
蛇甘平原編では滎陽攻略のため出陣し、蛇甘平原で魏軍と対峙。信達の奮戦で大炎を感じ取ると自ら出撃。魏将軍・朱鬼を瞬殺し、魏火龍七師・呉慶を一騎討ちの末に討つも、自軍の損害を省みて帰国。
合従軍編では、函谷関攻防戦の前に魏軍を足止めするため交戦するも、魏国大将軍・呉鳳明が仕掛けた罠を察して撤退。その際、援軍に現れた飛信隊を指揮下に加える。函谷関攻防戦では、序盤に趙軍と相対し、三倍もの兵力差を物ともせず互角に渡り合う。初日の夜に信を臨時の二千人将に任命する。終盤には李牧軍の暗躍を察知して猛追。趙三大天・李牧の迎撃策を看破して本陣へ迫るも、出現した趙三大天・龐煖との一騎討ちで、致命傷を受けるも片腕を折る。死の間際、加勢しようとする信へ盾を投げ渡して自分に構わず咸陽へ行くよう命じ、「火を絶やすでないぞォ」と言い遺して龐煖に討たれ戦死。
張唐(ちょうとう)
声 - 浦山迅
秦国大将軍。十五歳で初陣して以来五十年間、戦歴を重ねた老将。しかし昭王時代には六大将軍の影に隠れており、それ故に彼らを嫌っていた。性格は頑固そのもので、秦国軍人であることを誇りに思っている。反目する桓騎の才能だけは認めている。
合従軍編で咸陽に招集され、函谷関の守将の一人になる。だが韓軍の毒兵器により余命を悟ると、桓騎軍と共に韓軍を襲撃して韓大将軍・成恢を討ち取った。桓騎には「秦国一の武将となれ」と言い残して力尽き、死亡した。
蒙驁軍
桓騎
蒙驁軍副将。桓騎参照。
王翦
蒙驁軍副将。王翦参照。
土門(どもん)
声 - 玉木雅士
蒙驁傘下将軍。山陽戦では、栄備と共に本隊の正面軍を率いる。初戦では第一陣を指揮し、不利な戦況では自ら前線に立ち、兵を鼓舞する。始皇十一年の鄴攻略戦にも参戦し、金安での本陣への呼び出しに最後に到着した信を叱った。
羅元(らげん)
声 - 竹内栄治
蒙驁傘下将軍。山陽編では、輪虎に郭備ら八人の千人将を討たれて蒙恬に危機を忠告されるもそこまで深刻に受け止めておらず、山陽へ進軍中に奇襲を仕掛けた輪虎に討たれる。
栄備(えいび)
声 - 竹内栄治
蒙驁傘下将軍。山陽戦では、本隊の正面軍を率いる。最終局面では輪虎の突破力を目の当たりにして敗北を悟り、果敢に突撃をするも輪虎に討たれた。「若君」である蒙恬にも軍律違反には厳しく接する気骨ある武将であり、同時に信ら若手の将の才能を認め、後事を託す度量を持ち合わせていた。
乱銅(らんどう)
蒙驁軍千人将。制圧後の高狼城で部下達と乱暴狼藉を働き、それを咎めた信に逆上して斬り掛かるが、返り討ちに遭い重傷。後に蒙恬の働きで信は軽い罰で済み、部下達は罰せられることとなる。
郭備(かくび)[注 7]
声 - 土田大
蒙驁軍千人将。知勇兼備の武人で将来が期待されていた良将。実は下僕出身であり、子のいない郭家の養子となった。そういった経歴から、信の活躍に共感と親近感を覚えていた。
山陽編では、近利関攻めで敵が玉鳳隊と飛信隊に集中している隙に別門から突破し陥落させる。戦後、軍議に行く途中に飛信隊と対面して激励するも、直後に輪虎に暗殺された。後に信が臨時千人将に抜擢された時、七百人が郭備隊から補充されるも郭備が生前に信のことを好意的に語っていたことから、すんなりと信の指揮下に入ることを受け入れた。
楚水
蒙驁軍将校。#飛信隊参照。
麃公軍
岳牙(がくが)
声 - 佐久間元輝
麃公傘下将軍。麃公軍副官。麃公が若いころから仕える、歴戦の猛将。蛇甘平原編や合従軍編で麃公の傍で仕え、終盤には李牧軍を猛追し、麃公と共に敵本陣まで辿り着く。そして、新趙国三大天・李牧を討とうと奮戦するも戦死。
縛虎申(ばくこしん)
声 - 宇垣秀成
演 - 渋川清彦
麃公軍千人将。自他共に厳しい激情家。信が初陣の時の上官。将の目的は勝利であり、そのために如何なる犠牲も躊躇わないという考えの持ち主。苛烈な性格のため猪突猛進という印象を与えているが、勇猛と無謀の違いを信に諭すなど本人なりの考えを持っている。配下の部下にも篤く信頼されていた良将。
蛇甘平原編で、要所の丘を奪取するために無謀とも思える突撃を敢行、満身創痍になりながらも頂上へ到達し、魏将軍・宮元と相討ちになって戦死。
蒼源(そうげん)
麃公軍将校。特殊弓騎兵団「蒼弓隊」隊長。故人。蒼仁と蒼淡の父親。かつて秦国唯一の「中華十弓」に名を連ねる程の名手。
同じ「中華十弓」の馬朱離と戦うために幼い二人を置いて戦場へ赴き、その弓の実力を麃公に認められたことで特殊部隊の指揮を任され、戦場で大いに活躍をし、魏の「中華十弓」の白公を討ち取ったことで「中華十弓」と認められる。その後、ある戦場で敵の伏兵に遭って戦死したが、彼に救われたことがある元麃公兵の岳雷達からは深く尊敬されている。仁と淡は父の活躍を知らず、麃公軍に配属されて直ぐに亡くなったと聞かされていた。
岳雷/我呂
麃公軍将校。#飛信隊参照。

玉鳳隊

王賁(おうほん)
声 - 細谷佳正
玉鳳隊百人将→三百人将→千人将→二千人将→三千人将→四千人将→五千人将→将軍。王家嫡男で王翦の息子。王騎とは同族だが、王賁が王宗家。得物は槍。
堅物で真面目、プライドが高くエリート志向が強い。そのため信への対抗心が強い。一方で独断専行が多いことから軍の上層部に快く思っていない者も少なくない。
山陽編では、独自に用意した井蘭車で攻城戦で大いに武功を立てる。その後、臨時千人将になり戦後の平定の最中に正式に昇進、合従軍編前には二千人将に昇進。合従軍編では騰軍に所属、臨時五千人将になる。戦後、三千人将に昇進。著雍編では四千人将に昇進し、玉鳳隊は五千人隊に増員。騰に戦略を献策、三主攻の一つを担い、さらに魏火龍七師・紫伯討伐の功も評され五千人将に昇進。
鄴編では、三軍連合軍の一員として出陣。朱海平原戦で秦軍右翼の一角を担う。藺家十傑・尭雲に一度は敗れ意識不明となるが、最終日の再戦では尭雲を討ち取った。凱旋後の論功行賞で将軍へ昇進し、その後は許嫁の彩華と結婚して子供が生まれる。将軍昇進後はそのまま趙国の前線で戦い、六大将軍復活後は六大将軍の桓騎の指揮下に入り、難所の影丘攻めを命じられる。難所攻めで奮戦するも、負傷して意識不明の重体となるが、駆け付けた飛信隊に救出される。その後、目を覚ますと、怪我を押して飛信隊に影丘の攻め所を教えた。
番陽(ばんよう)
声 - 高塚正也
玉鳳隊副長。王賁の教育係で老練な武将。王賁に心酔しているが、やや傲慢な性格。飛信隊や楽華隊に対しては王賁以上に辛辣な言葉を浴びせるが、内心では信や蒙恬の実力を認めている。
鄴編では、朱海平原戦九日目に討たれかけるも信に助けられた。影丘の戦いでは、岳白軍に討たれかけたところを羌礼たちに助けられた。
亜花錦(あかきん)
玉鳳隊千人将→三千人将。元々は王翦麾下亜光軍所属で「悪童」の蔑称で呼ばれ、その性格難のため千人将に置かれていたが、関常に軍才は亜光軍一と評価され、その戦術眼は関常と並び玉鳳隊きってのもの。
朱海平原決戦二日目に王賁を援護し、九日目には窮地の亜光を救出。十四日目は馬南慈の足止めに専念しつつ、自隊の兵を失いつつも馬南慈を足止めし、信による趙峩龍討伐の報を聞くと、すぐに段茶に突撃の指示を出し、自身は潰れ役として馬南慈を足止めする事で馬南慈軍を半壊させた。十五日目には、馬南慈軍を段茶と共に足止めしていたが、飛信隊が金毛軍に苦戦しているのを見ると、段茶の命令で援軍に向かい金毛軍を撃破し、飛信隊らと共に李牧軍を攻撃する。
鄴編後、亜光軍から玉鳳隊に転属。玉鳳隊でも命令を無視した勝手な行動が目立つが、王賁は黙認している。影丘の戦いでは、別動隊を率いて険しい道のりを三日かけて進み、敵左翼側面に到着すると飛信隊が岳白軍右翼を攻めている隙に、逆の左翼を攻めて挟撃を行う。岳白が信に討たれると、敵軍本陣に急襲を仕掛け、趙将軍・紀章を討ち取る。
関常(かんじょう)
声 - 藤原貴弘
玉鳳隊千人将。元王翦軍所属。よく軽口を叩き不真面目な印象が強いが、実力は将軍に匹敵する。王賁からは、王翦からの監視役と思われている。また、元王翦軍所属のために王翦軍についても詳しく、王賁に王翦軍の将軍のことや軍の特徴などを教えている。
鄴編では、朱海平原戦の十三日目に雷獄に捕まった王賁を逃がすために、尭雲の前に立ち塞がって重傷を負うが、一五日目には負傷した身体を押して復帰。影丘の戦いでは王賁を逃がす為囮となり、その後に羌瘣の援護に向かう。
デザインのモデルは、作者である原泰久と親交が深いスキマスイッチ常田真太郎。鎧もスイッチをイメージしたデザインとなっている。名前も、常田の『常』とスキマスイッチの『すき間=間』を中国っぽく変換して組み合わせたもの[13]
松琢(しょうたく)
声 - 柳田淳一
玉鳳隊将校。関常の側近。宮康とは長年共に戦ってきた間柄で、「兄弟」と呼び合うほどの絆がある。
鄴編で、朱海平原戦の十三日目に王賁を死守し、自分に代わり捨て身の殿軍を買って出た宮康に王賁を託され、その最期を看取る。その後は「十槍」を討つことに執心する。影丘の戦いでは、羌瘣の援護に向かう。
宮康(きゅうこう)
声 - かぬか光明
玉鳳隊将校。関常の側近。鄴編で、朱海平原戦の十三日目に尭雲に敗れた王賁を救うべく捨て身の殿を引き受け、「十槍」に討たれ戦死。

楽華隊

蒙恬(もうてん)
声 - 野島裕史
楽華隊百人将→三百人将→千人将→二千人将→四千人将→五千人将→将軍。蒙家嫡男で、蒙驁の孫で、蒙武の長男。飄々とした掴み所のない奔放な性格だが、昌平君の軍師養成学校を卒業しており、昌平君から才能の底が見えないと評価される程であり、常に大将軍級の軍才を見せる天才。
当初は千人将に値する実力を持つと評されていたが、蒙驁によって三百人将の地位にいた。山陽編では臨時千人将になり、戦後正式に千人将昇進。合従軍編では騰軍に所属し臨時五千将になり、蒙武と汗明の一騎打ちの時に背後を狙った楚将軍・媧偃から父を守った結果、楚大将軍・汗明に重傷を負わされるも一命を取り留める。戦後、二千人将に昇進。
毐国建国宣言後、秦に侵攻してきた楚軍を蒙武と共に迎撃。咸陽攻防戦後に四千人将に、鄴編では五千人将に昇進しており、三軍連合軍の一員として出陣。朱海平原戦では左翼の一角を担い、初日戦死した麻鉱に代わり、王翦からの指示により秦軍左翼大将として臨時の将軍に昇進。十五日目には王翦のもとへ駆けつけて馬南慈の右目を斬り、傅抵を防いで王翦を守った。凱旋後の論功行賞で、将軍へ昇進する。
始皇十四年の宜安戦では、飛信隊と共に趙北部軍全軍による包囲網を突破しようとするが、楽彰に斬られて負傷する。その後、包囲網を突破して森に潜伏していたところに氾善たちと遭遇したことで、状況の打破の為に宜安城を陥落させる。そして、森林地帯での戦いでは、李牧軍の本陣へ救援に向かおうとする舜水樹軍を足止めするが、後続の虎白公軍に突破されてしまう。その後は楽華隊を率いて趙北部から離脱する。信に摩論らと秦に帰国する最中に摩論から自身が知らなかった桓騎が蒙驁の下についた一連の詳しい経緯を聞いた。
胡漸(こぜん)
声 - 林和良(第2シリーズ)/ 山本満太(第3シリーズ-)[注 8]
楽華隊副長。蒙武に頼まれて幼少期から蒙恬の教育係を務め、蒙恬に過保護な面が多い。蒙恬から「じい」と呼ばれている。
鄴編で、朱海平原戦十四日目の夜に楽華隊本陣に忽然と現れた龐煖に襲われ重傷を負うが、蒙恬の元へ行かせまいと立ちはだかって、剣で刺して一矢報いた後、討死した。
愛閃(あいせん)
楽華隊副長の五千人将。元蒙武軍所属。楽華隊随一の猛将。鄴攻略戦後に、胡漸の後任で蒙武軍から配属。中性的な見た目だが、実際はかなりの武闘派な剛将。麾下兵団も武闘派揃いであり、今までの楽華隊に足りなかった圧倒的な武力を持っている。普段は冷静で口数少ないが、戦いになると口汚く荒ぶりながら敵を蹂躙する。
陸仙(りくせん)
声 - 高橋英則(第2シリーズ)/ 大西弘祐(第3シリーズ-)
楽華隊副長の五千人将。若手の将校。蒙恬に過保護な胡漸に、苦言を呈すことが多い。胡漸から王賁に劣らぬほどの槍の腕を持つと評されているが、本人は否定している。
宜安戦で、青歌軍の五千将・フーオンに右手を裂かれてしまうが、それでも戦闘を続行した。

その他の将軍(秦)

馬仁(ばじん)
声 - 黒澤剛史
壁傘下将軍。屯留の反乱では、副将として参戦。秦国統一編では、壁に代わり反乱鎮圧軍大将として参戦。
尚鹿(しょうかく)
声 - 高塚正也
演 - 渡辺邦斗
秦千人将→三千人将→将軍。壁とは幼馴染の武官で、飄々とした性格をしている。
蛇甘平原編では千人将、合従軍編では壁とともに三千人将に昇進し、秦国統一編では将軍に昇進する。壁の依頼で反乱鎮圧軍副将として、咸陽攻防戦に参戦。
青忠(せいちゅう)
秦将軍で水軍指揮官。鄴編で水軍を率いて黄河を渡って王翦軍へ補給物資を運ぼうとしたが、待ち構えていた趙将軍・甲鬼央の水軍に壊滅される。
黄竜(こうりゅう)
声 - 佐久間元輝
昌平君傘下家臣。秦国統一編では加冠の儀に参列し、終了直後に昌平君と共に呂不韋陣営から離反。その後、昌平君に同行して咸陽攻防戦に参戦。桓騎が扈輒軍の捕虜を虐殺した際、桓騎の元へ向かう政に従軍。
豹司牙(ひょうしが)
昌平君傘下将軍。昌平君麾下近衛兵団団長。秦国統一編では、咸陽攻防戦に参戦。始皇十二年に政が呂不韋が隠遁している河南城を訪問した際には、護衛として同行している。桓騎が扈輒軍の捕虜を虐殺した際、桓騎の元へ向かう政に従軍し、桓騎を政の命令で斬首に処そうとしたが、政から処罰は不問と下ったことで剣を収めた。

後宮

趙姫/嫪毐/趙高
毐国参照。
向(こう)
声 - 中津真莉子(第2シリーズ) / 松田利冴(第3シリーズ-)
宮廷に仕える宮女。貧商の娘。
何度も夜伽で政の相手を務めているが、政が伽の時間に書を読むためであったり、話し相手になっているだけで、長い間手はつけられていなかった。宮女という立場としてだけではなく、本心から政を慕い、呂不韋と趙姫の密通を目撃した際に、宦官に刺されるも何とか逃げ出して政にことの次第を伝えた。
後に、政とのである麗を出産。秦国統一編では、毐国軍に追い詰められるが、間一髪で信と飛信隊に救われた。反乱鎮圧後、嫪毐の処刑の際に政を責め立てる趙姫に対し、涙ながらに怒りを露わにして政に愛情を向けない趙姫を責めた。
陽(よう)
声 - 中塚智実(第2シリーズ) / 井上遥乃(第3シリーズ-)
宮廷に仕える宮女で、向の親友。向とは対照的に、高貴な生まれ。
重傷を負った向を助けるために、夜伽の順番を無視して政に助けを求めた。秦国統一編では、向と麗を逃がすために身を挺して毐国軍の前に立ちはだかったが、間一髪で信と飛信隊に救われた。
京令(きょうれい)
声 - 棟方真梨子
嬴政に直属で仕える女性医師。嬴政の指示によって、重傷を負った向を救った。
微久(びきゅう)
声 - 堀越富三郎
宮廷に仕える宦官。秦国統一編で、陽と向と麗を守るために逃げ道へ案内するが、刺客の亜民に立ち向かい死亡。
亜民(あみん)
宮廷に仕える宦官。秦国統一編では、呂不韋側に付き陽達を殺害しようとするも微久に阻まれ失敗し、反乱鎮圧後に処刑された。

国民(秦)

里典(りてん)
声 - 赤城進
演 - 六平直政
城戸村の長。里典は役職名で本名不明。下僕時代の信と漂の主。家事や仕事ができない、反抗的な態度を取る信に暴言を吐いたり、ムチを打って暴力を振るうが、漂の死に悲しむ信を見て一緒に悲しんだり、漂の遺体から首を取ろうした追っ手を止める等、根っからの悪党ではない。
尾平の結婚披露宴で一家揃って信と再会するが、将軍となった信の方が立場が上になったためかなり腰が低くなっている。
実写版では、原作程の暴挙ぶりは鳴りに潜めており、将軍を目指して修行に打ち込む信を見て口を開けて唖然する等、コミカルな面も見せた。
有(ゆう)
声 - 金田アキ / 西墻由香(VOMIC)
城戸村の里典の息子。父同様、何をやってもうまくできず、生意気な態度が目立つ信についてはあまりいい感情を持っていなかったが、素直な漂のことは気に入っていた。信に冷たく当たっていたが、漂の死に怒りを露わに暴れる信を停め、漂の遺言に守るように言ったことから本気で嫌っていなかった。信が黒卑村に向かった直後、現れた朱凶の徐完に脚を刺されて信が向かった場所を尋問された。
尾平の結婚披露宴で久々の信と再会し、当初は悪態ついていたものの、実際は信の活躍を喜んでおり、徐完に刺された脚の後遺症の所為で戦場に出れず、信と一緒に戦えないことを悔やんでいた。
実写版では彼らしき人物はいるが、特に触れられていない。
東美(とうび)
声 - 槙乃萌美
演 - 桜井日奈子
尾平の婚約者。尾平との仲はかなり良好。面倒見の良さから、飛信隊の隊員達から「尾平には勿体ない」と言われている。始皇十一年の鄴攻略戦後に信の屋敷が完成したことで、同郷の仲から友里と共に信の屋敷に招かれた。
後に故郷の城戸村で尾平と結婚して、結婚披露宴を三日間行った。
友里(ゆうり)
演 - 村川絵梨
尾到の婚約者。馬陽戦後に尾到戦死の報を聞き、泣き崩れた。始皇十一年の鄴攻略戦後に信の屋敷が完成したことで、同郷の仲から東美と共に信の屋敷に招かれて、昇進した信に対する口調を改めようとするが、信に笑ってそのままでいいと窘められる。
彩華(さいか)
王賁の許嫁。王賁が将軍に昇進後に結婚し、彼との子を生む。
朱景(しゅけい)
王翦の妻で、王賁の母。故人。秦の大貴族「関家」出身の女性。王賁の妊娠後に不義の噂が流れたが、本人は完全黙秘したことで真偽不明のまま、王賁の出産直後に死亡。

注釈

  1. ^ 史実では秦の君主が王を名乗るのは26代君主の恵文王(昭王の父)からで、それまでは周王の臣下という立場であるため公を名乗っている。なので原作漫画内にも回想で登場する穆公などは秦国王としてはカウントせず、政も本来なら秦王としては6代目にあたるが、ここでは原作漫画での表記に準じる。
  2. ^ 嫌悪ではなく、麃公に気に入られていた嫉妬によるものである。
  3. ^ 昌文君の偽物の首を用意したり、褒美で昌文君の領地を要求して彼の妻子らを庇護するなど。
  4. ^ このことが原因で趙国が秦国を一際憎悪を増し、万極を歪ませ、幼少期に人質として趙にいた政が虐げられた。
  5. ^ 単行本56巻裏表紙に糸凌がカラーで描かれており、肩にかかった茶色の髪の毛と同じように左目も茶色の髪の毛で隠れていることがわかる(兜頭頂部の兜飾りの色は兜や鎧と同じ色であり茶色とは異なる)。
  6. ^ アニメ公式サイトでの表記。原作本来の表記は、偏が「亻」、旁が「厘」。ただし、アニメのエンドクレジットは原作と同じ表記。
  7. ^ アニメ版での表記。「郭」の原作本来の表記は、偏が「享」、旁が「乚」。
  8. ^ クレジットでは「じい」と表記されている。
  9. ^ なお、会談の内容次第では、廉頗を殺すように媧燐から命じられていた。
  10. ^ 自身がトアクの元にたどり着いた時には、トアクからは無茶な戦い方をした愚将だと酷評されるも、本人曰く「楊端和と戦ってたころに比べれば子供の遊び」と一蹴した。

出典

  1. ^ Character”. ぴえろ / スラジオ サインポスト. 2023年11月25日閲覧。
  2. ^ その理由は、那貴には相手の顔を見れば、相手が嘘を言ってるかどうかわかるという特技があった為である。
  3. ^ なお、桓騎は偲央を喪った復讐を終えて、この頃から自分の「怒り」を世界にぶつけるために戦場に出ようかと考えていたらしく、野盗団から急に軍になると言う急な鞍替えだったので、大変な騒動になっていたと摩論は李信や蒙恬らに語っている
  4. ^ 第612話最終ページ
  5. ^ Character”. ぴえろ / スラジオ サインポスト. 2023年11月25日閲覧。
  6. ^ Character”. ぴえろ / スラジオ サインポスト. 2023年11月25日閲覧。
  7. ^ Character”. ぴえろ / スラジオ サインポスト. 2023年11月25日閲覧。
  8. ^ なお、当時は様々な理由で集まった行き場の無い孤児たちによる名称のない野盗団で、『砂鬼一家』と名乗ったのはだいぶ後の話である。
  9. ^ なお、偲央たちは自分たちの住み処を『聖地』と呼んでいた。
  10. ^ なお、砂鬼一家と命名したのは桓騎だが、その名称を提案したのは偲央たちの仲間の一人で、桓騎から怖い者を聞かれた時に、人を砂に引き摺り込む鬼が怖いという話から命名された。
  11. ^ その時、桓騎は所用で不在だった。
  12. ^ 蒙恬は桓騎を配下にした話に関しては詳しく詳細を知らず、当時蒙驁が連戦連敗であったので、罰として野盗狩りの仕事に飛ばされて、そこで桓騎一家を制圧して配下にしたと、聞かされていた。
  13. ^ スキマスイッチ常田真太郎 人気漫画「キングダム」の登場人物のモデルと明かす「強いんですよ。うれしい」”. スポニチ (2024年2月17日). 2024年2月17日閲覧。
  14. ^ Character”. ぴえろ / スラジオ サインポスト. 2023年11月25日閲覧。
  15. ^ 『キングダム』第5シリーズ“黒羊丘の戦い”を描くメインPVが解禁! 趙軍将官を演じる新キャストに三宅健太さん(馬呈 役)、川原慶久さん(劉冬 役)が決定!”. animate Times. 2023年12月28日閲覧。
  16. ^ 『キングダム』第5シリーズ“黒羊丘の戦い”を描くメインPVが解禁! 趙軍将官を演じる新キャストに三宅健太さん(馬呈 役)、川原慶久さん(劉冬 役)が決定!”. animate Times. 2023年12月28日閲覧。
  17. ^ コミックス第58巻のおまけ漫画『輪虎物語』より。
  18. ^ Inc, Natasha. “「キングダム2」羌象役は山本千尋、中国武術のジュニア世界大会で1位(コメントあり)”. 映画ナタリー. 2022年7月15日閲覧。





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