エウジェニオ・ディ・サヴォイア (軽巡洋艦) エウジェニオ・ディ・サヴォイア (軽巡洋艦)の概要

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エウジェニオ・ディ・サヴォイア (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 08:14 UTC 版)

エウジェニオ・ディ・サヴォイア
基本情報
建造所 アンサルド、ジェノバ造船所
運用者  イタリア王立海軍
 ギリシャ海軍
艦種 嚮導巡洋艦 (軽巡洋艦)
級名 エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ型
艦歴
起工 1933年7月6日
進水 1935年3月16日
就役 1936年1月16日
最期 1950年にギリシャに移籍
その後 1965年に退役、1973年に売却
要目
基準排水量 8,450トン
満載排水量 10,539トン
全長 186.9 m m
最大幅 17.5 m
吃水 6.1 m
ボイラー ヤーロー重油専焼水管缶6基
主機 パーソンズ式(サヴォイアはベルッツォ式)ギヤード・タービン2基2軸推進
推進 2軸
出力 計画 110,000 hp
速力 36.5 ノット
航続距離 3,900 海里 / 14ノット
乗員 578名
兵装 Models 1929 15.2cm(53口径)連装砲4基
Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲3基
Models 1932 3.7cm(54口径)連装機関砲4基
Model 1931 13.2mm(75.7口径)連装機銃6基
53.3cm三連装魚雷発射管2基
装甲 舷側:70~105mm(水線部)
甲板:35mm
主砲塔:90mm(前盾)
主砲バーベット:100mm
司令塔:100mm
搭載機 水上偵察機2機、カタパルト1基搭載
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概要

エウジェニオ・ディ・サボイアは、エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級としても知られるコンドッティエリ級軽巡洋艦の第4グループに属していた。 エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級の設計は、ライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦を基礎にしており、排水量がわずかに増加し、装甲が大幅に強化されていた。内部機械も再配置されていた 。 エウジェニオ・ディ・サヴォイアはジェノヴァアンサルド社によって建造され、サヴォイア=カリニャーノ公子エウジェーニオ・フランチェスコにちなんで名付けられた。

艦歴

第二次世界大戦

1937年2月13日、 スペイン内戦時においてフランコ軍の支援のためスペインのバルセロナの沖合で行動し、市街地に艦砲射撃を加えた。 この巡洋艦は第7巡洋艦隊に加わり、1938年から39年にかけては姉妹艦とともに周航航海に出発し、1939年3月にラスペツィアに帰還した。 第二次世界大戦の間に、彼女は以下の作戦に参加した。

1941年5月1日と6月3日に他の巡洋艦と共にトリポリ沖へ機雷を敷設[3]。同年12月19日にイギリス海軍のK部隊がこの機雷原に突入し、軽巡洋艦ネプチューン (HMS Neptune, 20) と駆逐艦カンダハー (HMS Kandahar, F28) が沈没、軽巡2隻(オーロラペネロピ)が大破するなどの被害を出している[4]

1942年12月4日に他の巡洋艦とともにナポリに停泊中、 B-24リベレーター爆撃機による爆撃を受け、ライモンド・モンテクッコリが大破、ムツィオ・アッテンドーロが沈没した[5][6]1943年のイタリア降伏後、本艦はスエズにおいて練習艦として使用された。

戦後

終戦後の1950年に戦争賠償としてイタリアからギリシャに移送された。 1951年に正式に編入され、船の名前は第一次バルカン戦争におけるエリの海戦(en:Naval Battle of Elli)と、宣戦布告前にイタリア王立海軍の潜水艦に撃沈された軽巡洋艦エリの艦名を受け継ぎ[注釈 2]エリ (Έλλη) に改名された。 エリは前任の装甲巡洋艦イェロギオフ・アヴェロフ (Γεώργιος Αβέρωφ) に代わってギリシャ海軍の総旗艦となり、当時のギリシャ国王のパウロス1世 の御召艦として1952年6月にコンスタンティノープル 、1955年9月にユーゴスラビア 、1956年6月にトゥーロン 、1958年5月にレバノンを親善訪問した。 エリは1959年にクレタ島のスダ湾に移され、クレタ島及びイオニア海方面の海軍司令本部として使用された[7][8]。 1965年に退役し、海軍刑務所として使用された。 1967年から1974年までの軍事政権期間中、一部の海軍人が抵抗活動のかどでこの艦内に拘留された。 エリは1973年に売却された。

出典

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『世界の艦船』では「ヘレ」と表記する[2]
  2. ^ 初代エリがイタリアのスクア―ロ級潜水艦デルフィーノ (Delfino) に撃沈されたのは、ギリシャ・イタリア戦争勃発直前の1940年8月15日であった。

脚注

  1. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 121イタリア/軽巡洋艦「エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」級 EMANUELE FILIBERTO DUCA D'AOSTA CLASS
  2. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 144ギリシア/軽巡洋艦「ヘレ」 HELLE
  3. ^ "The Demise of Force "K"", pp. 99-100
  4. ^ "The Demise of Force "K"", pp. 104-109
  5. ^ History of the Second World War. Volume 4, Purnell and Sons Ltd., p. 1412
  6. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 120イタリア/軽巡洋艦「ライモンド・モンテクッコリ」級 RAIMONDO MONTECUCCLI CLASS DUCA D'AOSTA CLASS
  7. ^ C. Paizis-Paradellis (2002). Hellenic Warships 1829–2001 (3rd Edition). Athens, Greece: The Society for the study of Greek History. pp. 64–65. ISBN 960-8172-14-4.
  8. ^ "Elli II ex Eugenio di Savoia" [1] Hellenic Navy,


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