アメリカの戦争と外交政策 冷戦期

アメリカの戦争と外交政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 09:30 UTC 版)

冷戦期

  • 1950年6月-1953年7月、朝鮮戦争。アメリカ軍(トルーマン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍、その他の連合国軍とともに、韓国に侵攻した北朝鮮軍を韓国から排除することを目的として、朝鮮戦争に介入し朝鮮半島に侵攻した。朝鮮半島の戦闘は韓国軍・連合国軍と北朝鮮軍・中国軍の占領地の争奪の繰り返しで消耗戦になった。1953年7月に韓国政府アメリカ政府(アイゼンハワー大統領・共和党)、イギリス政府、フランス政府、その他の連合国政府、北朝鮮政府、中国政府の停戦協定が成立し、朝鮮戦争は“停戦”した(終結してはいない)。
  • 1958年7月-1958年10月、1958年のレバノン派兵。アメリカ政府(アイゼンハワー大統領・共和党)は、西欧諸国との協力関係を求めるシャムーン大統領とキリスト教徒と、アラブ諸国との協力関係を求めるラシドカラミ主張とイスラム教徒の対立紛争を収束するために治安維持部隊を派兵した。
  • 1961年4月、キューバ侵攻・ピッグス湾事件。アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、キューバのカストロ政権の打倒と、アメリカに協力的な政権の樹立を目的に、亡命キューバ人に武器と資金を供給し、キューバへの軍事侵攻をアメリカ軍が背後から支援した。
  • 1961年11月-1973年3月、ベトナム戦争。アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、1961年11月、南ベトナムとアメリカに協力的な南ベトナムのゴ・ディン・ディエム政権を、北ベトナム南ベトナム解放戦線から保護し、南ベトナムの共産主義体制化の抑止と、ベトナムの共産主義体制化によりベトナムを基点に東南アジア諸国が共産主義体制化することを抑止するために、南ベトナムに空軍と軍事顧問団を派遣し、1962年2月、ベトナムに軍事援助司令部を設置し、ベトナム戦争へのアメリカの軍事介入を開始し、南ベトナム解放戦線とその支配地域に対して通常爆弾・焼夷弾・枯葉剤などを使用した攻撃空爆を命じた。1964年8月、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、北ベトナムに対する宣戦布告を可決し、アメリカ軍は北ベトナムの海軍基地に対する攻撃を開始した。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、1965年2月に北ベトナムに対する空爆を開始し、1965年3月に南ベトナムに対する陸軍・海兵隊の投入を開始し、アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党、ニクソン大統領・共和党)は北ベトナムの都市に対する焼夷弾攻撃、ジャングルへの枯葉剤散布で非戦闘員の市民を大量に殺害し、停戦協定成立の1973年1月まで継続して行った。1973年1月、アメリカ政府(ニクソン大統領・共和党)と、北ベトナム政府、南ベトナム政府、南ベトナム民族解放戦線との和平協定が成立した。アメリカ軍は協定成立直後から撤退を開始し、1973年3月にベトナムから撤退を完了した。
  • 1965年4月 -1966年7月、1965年-1966年のドミニカ共和国派兵。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、内戦中のドミニカ共和国に、ドミニカ共和国の治安維持と国民の保護を目的として侵攻した。
  • 1970年4月-1970年6月、カンボジア侵攻。アメリカ軍(ニクソン大統領・共和党)は、南ベトナム民族解放戦線、北ベトナム軍の補給路を遮断するためカンボジアに侵攻した。
  • 1971年2月-1970年6月、ラオス侵攻。アメリカ軍(ニクソン大統領・共和党)は、南ベトナム民族解放戦線、北ベトナム軍の補給路を遮断するためラオスに侵攻した。
  • 1982年8月-1984年2月、1982年-1984年のレバノン派兵。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、イギリス軍、フランス軍とともに、レバノン内戦中にレバノン政府がPLOを国外退去させた後のパレスチナ難民の保護を目的として、レバノンに治安維持部隊を派遣した。1983年12月、アメリカ軍は、レバノンに治安維持部隊として展開しているアメリカ軍の航空機がシリア軍に攻撃・撃墜されたことに対して、レバノンに侵攻しているシリア軍基地を攻撃し破壊した。ヒズボラのアメリカ大使館爆破事件、アメリカ軍北爆破事件で国民の撤退要求が高まり、アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、レバノンから撤退した。
  • 1983年9月-1984年4月、1983年-1984年のニカラグア空爆。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、アメリカに協力的なソモサ親子の独裁政権を打倒したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の政権を打倒し、アメリカに協力的な政権を再び樹立するために、民間武装勢力コントラに資金・武器を支援して、サンディニスタ民族解放戦線の政府軍との内戦を支援し操るとともに、アメリカ軍が直接軍事介入してニカラグアを空爆した。
  • 1983年10月、グレナダ侵攻。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、グレナダに侵攻し、ソ連、キューバに協力的な軍事政権を打倒し、親米政権を樹立し、グレナダ軍を武装解除した。
  • 1986年4月、リビア空爆。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、リビアがアメリカの旅客機を爆破したことに対する制裁でリビアを空爆した。
  • 1988年7月、イラン航空機撃墜事件。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)の海軍艦船ビンセンスはペルシャ湾を航行中に、イランからアラブ首長国連邦へ飛行中だったイラン航空の旅客機を軍用機と誤認してミサイルで攻撃して撃墜し、乗客と乗員290人が死亡した。
  • 1989年12月、1989年のパナマ侵攻。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、パナマに侵攻し、ノリエガ政権を打倒し、パナマ軍を武装解除した。アメリカ政府はノリエガ将軍の身柄を拘束し、麻薬密輸の罪でアメリカ国内で訴追した。裁判所はノリエガ被告人に懲役40年の判決(後に30年に減刑された)を出した。その後ノリエガは2007年9月9日に釈放されたがフランスでマネーロンダリングの容疑で禁錮10年を言い渡されて収監、2011年12月11日にパナマへ送還されて22年ぶりに帰国、パナマの刑務所に収監された。

  1. ^ 「生来の決意」作戦 [Operation Inherent Resolve]”. imidas (2014年11月10日). 2018年11月25日閲覧。
  2. ^ ISIS掃討作戦、3年間で民間人352人死亡 米国防総省”. CNN (2017年5月1日). 2018年11月25日閲覧。
  3. ^ 焦点:化学兵器疑惑のシリア政権、欧米の報復受けても優勢の訳”. ロイター通信 (2018年4月21日). 2018年11月25日閲覧。
  4. ^ 米、対キューバ制裁緩和 渡航や送金認める”. 日本経済新聞 (2014\5-01-16). 2018年11月25日閲覧。
  5. ^ オバマ大統領、キューバとの国交正常化交渉開始を表明(米国、キューバ)”. ジェトロ (2014年12月19日). 2018年11月25日閲覧。
  6. ^ オバマ政権、キューバに対するテロ支援国家指定を解除へ(米国・キューバ)”. ジェトロ (2015年4月17日). 2018年11月25日閲覧。
  7. ^ トランプ大統領、キューバに対する経済制裁を強化-個人渡航の制限や軍関連企業との新規取引禁止-(米国、キューバ)”. ジェトロ (2017年6月28日). 2018年11月25日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アメリカの戦争と外交政策」の関連用語

アメリカの戦争と外交政策のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アメリカの戦争と外交政策のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアメリカの戦争と外交政策 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS