Yak-25E
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「Yak-25 (航空機・初代)」の記事における「Yak-25E」の解説
Yak-25E(Eksperimentalnyi)はYak-25の試作初号機をTu-4重爆撃機によって牽引できるように改修した実験機。当時は空中給油を行う技術が確立されておらず、外部燃料タンクを装備して航続距離を伸ばそうとする試みや、母機に搭載して運ぶ寄生戦闘機の計画も上手くいかなかったため、長距離を飛行する爆撃機を航続距離の短い戦闘機で護衛出来る方法を模索していた。そこで爆撃機で戦闘機を曳航するという実験が行われた。グライダーとの相違点は、爆撃機と戦闘機は別々に離陸し、飛行中に爆撃機の後方から伸ばしたケーブルの先に戦闘機をドッキングするというもので、この実験のためにYak-25が選ばれた。夜間にも行えるよう、特別なヘッドライトも装備された。最初はB-25爆撃機が牽引機として使用された。 牽引システムの飛行試験は1949年6月1日に始まり、1950年9月まで続けられた。その間計11回の飛行試験が行われ、そのうち2回は夜間に行われた。実験は成功し、その後開発はヤコブレフ設計局で改造されたTu-4とMiG-15に引き継がれた。
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