USS North Carolina (BB-55)とは? わかりやすく解説

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ノースカロライナ (戦艦)

(USS North Carolina (BB-55) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 15:21 UTC 版)

ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) は[3]アメリカ海軍戦艦[4][5]ノースカロライナ級戦艦ネームシップ[注釈 1]。 艦名はノースカロライナ州に因む。その名を持つ艦としては3隻目にあたる[注釈 2][注釈 3]姉妹艦は「ワシントン (USS Washington, BB-56) 」[注釈 4][注釈 5]


注釈

  1. ^ 九、現代の新主力艦(1)主力艦建造競爭の再燃[6](中略)ワシントン條約の成立によつて、勞せずして世界第一級海軍國たるの權利を獲得した米國は、爾来孜々として補助艦艇の整備擴充を行ひ、實質的第一位海軍の建設に邁進しつゝあつたのであるが、英國海軍の巨艦建造開始と共に、これに對抗するの必要上、直ちに起つて所謂新ヴィンソン案による新鋭主力艦の大建造計畫を發表した。同計畫による新主力艦はノースカロライナワシントンアラバママサチユーセツツインデアナサウスダコタの六隻で、大體次の如き性能のものであるといふ。(第十五圖)排水量三五,〇〇〇噸 主砲 十六吋砲九門(三聯装三砲塔) 速力 二七浬(二八浬ともいふ) 此等米國の新戰艦が歐洲諸國の新戰艦と異る點は先づ主砲に現在に於ける最大の巨砲十六吋を装備する他に、その速力が比較的低速にあることであるが、これは寧ろ米國主力艦の傳統であつて、勿論その戰略の特殊性に基くものである。(以下略)
  2. ^ 初代は戦列艦のノースカロライナ、2代目はテネシー級装甲巡洋艦ノースカロライナ (USS North Carolina, ACR-12) 、3代目が本艦。
  3. ^ 直近ではダニエルズ・プランで建造予定だったが軍縮条約で建造中止になったサウスダコタ級戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-52) と命名されていた[7]。このノース・カロライナをネームシツプにした事例がある[8]
  4. ^ 既に本年度起工の主力艦二隻(三五,〇〇〇噸)は、夫々「ワシントン」及び「ノース・カロライナ」と命名され、四〇糎砲九門(三聯装三基)を搭載し、速力(二六節-二七節)を犠牲にして、防禦力を全面的に増強し、航續力を更に増大すると傳へられてゐる。建造費は一隻約六千萬弗である[9]。(以下略)
  5. ^ a b 二一、米、英の海軍[10] ワシントン條約、ロンドン條約は、一九三六年十二月三十一日をもつて終了を告げこゝに各國とも「自由建艦競爭時代」を現出せしめ、わけても英國は、その建艦競爭の先登を切り、一九三一年一月一日「キング・ジヨージ五世」それに今はマレー沖の藻屑と消え去つた「プリンス・オブ・ウエールズ」の二隻を起工したのであつた。一方米國においてもこの無條約時代に入るやまづ主力艦ノース・カロライナを、また一九三八年ワシントンの起工に着手、續いて四万トン級の主力艦第三艦、第四艦と次ぎ〱と計畫し、現在ではいはゆるスターク案を加へて完成の暁には三百五万トンになるとふ厖大な太平大西兩艦隊の建艦計畫達成のため晝夜兼行、大車輪の努力を傾倒している。(以下略)
  6. ^ (五日ワシントン發合同)[28] 三萬五千トンの新主力艦南ダコタ号は豫定よりも早く來る七日進水するが、ノツクス海軍長官は右に關し次の如く發表した 南ダコタ号は明年一月就役するが平時よりも進水、就役において三ヶ月も早くなつてゐる、過般就役した北カロライナワシントン兩艦は先に撃沈された獨のビスマルク號よりも遙かに優秀なものであり、装甲もよし、砲も大きい(記事おわり)
  7. ^ ノースカロライナと同時期に建造された戦艦大和が装備していたのは、18インチ砲であった[29]。ただし大和の公表値はノースカロライナと大差なく[30]、主砲も16インチ砲と記載されていた[31]
  8. ^ ノース・カロライナ級[33](たゞ舊式戰艦群最大の弱點は、航續力、装甲、搭載砲に不均衡な比重を置いゐる結果、何れも速力が遅いことである。殊に飛行機が決定的要素となってゐる現在、速力の小さい主力艦を旗艦とする艦隊の行動は、殆ど何等の効果をも擧げ得ないものと見るべきだ。)以上の缺陥に鑑み、米海軍當局がイギリスのキング・ジョージ五世級を凌駕する世界の最新鋭艦として一九三七年から三九年にかけて起工したのが次のノース・カロライナ級六隻であった。(中略)ノース・カロライナ級の性能については、ニューヨーク・タイムス紙の軍事記者として有名なハンソン・ボールドウィン氏がその著書「アメリカ市民は米海軍に關し何を知ってゐるべきか?」("What the Citizen should know About the Naby"1941,New York)の中で述べてゐる部分を次に引用しよう。
    「ノース・カロライナの排水量は通常の標準積載量を含めて三萬五千トン、燃料、弾薬等を滿載すれば三萬八千トン乃至それ以上とならう。艦幅は百八パナマ運河の閘門通過の際は兩側になほ一呎宛の餘裕を殘すわけである。吃水は卅呎以上である。/主砲は四〇糎四十五口徑砲九門である("口徑"は艦砲に用ひられる場合には、砲の直徑で表した砲身の長さである、即ち、この場合は砲身の長さは四十糎の四十五倍即ち十八米である)。この九門の砲は前部二基、後部に一基の三聯装砲塔におさめられてゐる。各砲の重さは百廿五トン、各砲塔のそれは砲重を含めて六百五十トンである。/副砲は一二.七糎砲廿門、二聯装砲塔十基におさめられ、對空火器にも兼用される。/同艦は數個の装甲デッキを有し、舷側の装甲は最重要部分において少くとも十六の厚さとなってゐる。また吃水線下には三重の防壁を有してゐる。/主砲の彈着距離十五乃至十八哩、一分間に各砲とも二發宛を發射し得る。/ノース・カロライナ級の最も優秀な點は速力である。即ち米戰艦群の速力が何れも廿二ノット以下であるのに對し、同艦は廿七ノットであって、實際は新型高壓汽罐の装置により卅ノットに達してゐるものと思はれる。/建造費はメリーランド級の二千七百萬ドルに對し六千五百萬ドルを要してゐる。」
  9. ^ (前略)米國の新主力艦 スワンソン長官の説明に依れば、「吾人は巡洋艦を造つてゐるのではない、戰艦を建造してゐるのである」と云ひ、英佛等の主力艦の速力が三〇節であるのに對して二六-七節とするらしく、速力を犠牲としても、防禦力を増し、装甲を厚くして空襲に備へる方針であると明言してゐる。/佛國の新主力艦「ダンケルク」(以下略)[34]
  10. ^ (ニューヨーク十七日同盟)[36] ニューヨーク海軍工廠は十六日目下建造中の米海軍新鋭巨艦三萬五千噸級主力艦北カロライナ號は來る六月十三日進水する筈であると發表した、同艦は千九百三十七年十月二十七日起工したもので排水量三萬五千噸速力廿八節、十六吋砲九門、飛行機四機を積載する超努級である(記事おわり)
  11. ^ サミュエル・モリソン博士の著作など[49]、伊19がワスプを撃沈、伊号第十五潜水艦がノースカロライナとオブライエンを撃破したとする二次資料がある[50][51]
  12. ^ 同世代の戦艦大和[11]より僅かに早い起工であった[31]
  13. ^ (紐育十日發)[56] 三万五千噸新造戰闘艦ワシントン號が進水して間も無く同型の同じく三万五千噸戰闘艦ノースカロライナ號が落成を告げ來る木曜日に進水式を擧げることとなつた。右は新鋭八隻の新造艨艟の一つであつて艦長(かんてう)七百十四呎あり、ノースカロライナ州知事ホーイ氏の令嬢イサベル・ホーイ嬢が進水に當る筈であり當日の觀覽者は優に三万人に達する見込みである。 目下同艦は物々しき警戒裏に最後の加工を急いでゐるが、二十四時間三部制の監視の下に工事中である(記事おわり)
  14. ^ ノースカロライナの進水は大和より早かったものの、本級の姉妹艦ワシントン進水式は6月1日だったので[57]、遅れをとった[58]
  15. ^ 【ニューヨーク二十七日AP】[59] 二十七日附のニューヨーク・タイムス紙によれば戰艦ミゾーリー號(四萬五千噸)の建造は豫定より三ヶ月早く起工され來る一月六日ビルツクリン海軍造船所に於て龍骨を据え付けることとなつた、之で同造船所ではノース・カロライナ アイダホ、ミゾーリの三隻の大戰闘艦が建造されることとなる譯である、ノース・カロライナ號は豫定より四ヶ月早く來年七月十五日には就役する筈である(記事おわり)(註、ニューメキシコ級戦艦のアイダホは1919年3月24日就役。ブルックリン造船所で実際に建造していたのはアイオワ)
  16. ^ (艦首写真:豫定工事より三ヶ月も早く完成し米海軍籍に編入された超弩級戰艦ノースカロライナ號(三五,〇〇〇噸)工費六千七百十二万五千弗)(ニューヨーク十日同盟)[60] 米國兩洋艦隊計畫の先發第一主力艦として九日就役を發表されたノースカロライナ號は七月頃太平洋艦隊旗艦として就役するといはれるが、新聞の傳へる所によれば、その状態は左の通りである △排水量三万五千トン、長サ七百四呎、速力廿七節以上、乗組員千七十五名、十六吋砲九門(着彈距離二十哩)副砲並に高角砲及飛行機三臺を備ふ 艦長はハスベート大佐である。(記事おわり)
  17. ^ (ニューヨーク六日同盟)[62] 艦名不詳の英國軍艦一隻が六日朝突如ニューヨーク港に入つた。ニューヨークデーリーニュースによれば右はクインヱリザベス級(三万六百トン)主力艦で十五吋砲八門を有しマラヤ號又はバーラム號いづれかだらうといはれてゐる。同艦左舷艦腹の中央部及やゝ前方寄りの装甲板に約二十六呎の破損個所があり武器貸與法の規定により米國で修理を受けるため入港したものらしく目下當地ブルツクリン海軍工廠で完成を待ちつゝある米主力艦ノースカロライナ號(三万五千トン)が九日就役するのを待ち同じドツクで修理を受けるものと見られる。(記事おわり)
  18. ^ 姉妹艦ワシントンでも推進器の震動問題に悩まされ、改修工事を実施している[63]
  19. ^ 姉妹艦のワシントンは5月中旬に竣役し、試験航海や訓練をはじめていた[65]。大和は真珠湾攻撃直後の12月16日に竣工していた[31]
  20. ^ 1942年(昭和17年)6月末時点で太平洋戦線で行動可能なアメリカ軍主力空母は、レキシントン級航空母艦サラトガヨークタウン級航空母艦エンタープライズホーネットであった[68]。空母レンジャーは大西洋にとどまった[69]
  21. ^ 山本長官直率の主隊は、戦艦「大和」、軽空母春日丸(大鷹)[106]、第7駆逐隊([107]。南雲機動部隊は8月16日に、主隊は17日に、それぞれ内海西部を出撃した[108]。第二次ソロモン海戦後の8月28日[109]、大和はトラック泊地に帰投した[110]
  22. ^ 第18任務部隊(司令官レイ・ノイズ少将):空母ワスプ、重巡サンフランシスコ、重巡ソルトレイクシティ、軽巡サンフアン、駆逐艦6隻[115]
  23. ^ (昭和17年8月)[136]〔 24|1440|第一次攻撃隊ハ二群ニ分レタル敵艦隊ヲ発見/翔鶴fb×18ハ北方ノA×1(上空ニ多数ノfcアリ)爆撃|南東|6発以上命中大火災 〕〔 |瑞鶴fb×9ハ南方ノA×1 B×1ヲ爆撃|〃|各命中彈アリ火災 〕〔 |第二次攻撃隊ハ一四〇〇頃発進セルモ遂ニ敵ヲ発見セズ両攻撃隊ハ一七〇〇(日没後約一時間)乃至二一〇〇ノ間ニ相当ノ困難ヲ冒シテ収容|〃|攻撃隊ノ認メタル敵兵力 北方部隊B×1(「ペンシルバニヤ型」)A×1(「エセックス」型ノ疑アリ)C×1 d×7/南方部隊 A×1 B×1 C d×約10 〕
  24. ^ このあと、エンタープライズは本格的修理のため真珠湾にひきあげた[142]
  25. ^ (昭和17年8月)[158]〔 31|0040|イ26(2Sg/1Ss)「ツラギ」ノ65°140′ニA×1 B×1 C d数隻ヲ発見dノ制圧ヲ受ク〇二〇〇見失フ|南東|「ガダルカナル」部隊ノ掩護fノ増強等ノ如シ 〕、同経過概要 p.49(昭和17年8月)〔 31|0446|イ26(2Sg/1Ss)10°25S・164°15Eニテ「サラトガ」型Aヲ襲撃 尓後四時間dノ執拗ナル攻撃ヲ受ク 尚引続fdニ制圧セラレ日没後ニ至リ漸ク浮上シ南方40′迠追跡捜索スルモ敵状ヲ得ズ|南東|魚雷6本発射一本命中音ヲ聴キタルモ効果確認セス至近彈七発アリシモ大ナル被害ナシ/散開線ニ復皈 〕
  26. ^ サラトガは修理を余儀なくされ[161]、戦線に復帰したのは約3ヶ月後だった[162][163]
  27. ^ (昭和17年9月)[164]〔 6|0910|イ11(旗艦/3Ss)「ツラギ」ノSSE300′ニテ「ヱンタープライズ」型A×1 C×2 d×数隻ヲ発見約40分後襲撃ニ成功 敵ヨリ離脱シテ「トラック」ニ向ケ西航中更ニfd×2ニ発見セラレ交戰|南東|魚雷2本命中 命中後三分ニテ別ノ爆発音ヲ聴取少ナク共大破セシメタルモノト認ム 二時間後ヨリ約三時間半敵ノ爆雷攻撃ニテ至近彈五発アリ主蓄電池大部破損 被害ナシ 〕
  28. ^ 伊11はエンタープライズ型空母に魚雷2本命中と報告した[156]。昭和17年9月7日項より[166]〔 ○第三潜水戦隊(六-一八三〇)伊十一潜、六日〇九一〇敵空母(エンタープライズ類似)一隻、重巡二隻、駆逐艦数隻発見、地点ケラル48、Co.230°。〇九四九空母雷撃、命中二本、命中三分後大爆発音ヲキク。一一一一敵空母襲撃後二時間後ヨリ爆雷攻撃(至近五、遠二〇)ヲ一四三〇迠受ク。主蓄電池両群共大部破損、七日〇二〇〇地点「ケルモ」ヨリCo.0°Sp.18k、潜航不能、トラックニ向フ。〕
  29. ^ 昭和17年9月16日記事[187] ○第二潜水隊(一五-一六三〇)伊十九 一〇五〇敵空母一(飛行甲板長ク煙突低小)、大型巡洋艦一、駆逐艦数隻ヲ発見、「ケワヨ」48、敵Co.330°Sp.(空白)。一一二〇敵反転。一一四五「ケワラ25」ニテ敵空母ニ肉迫雷撃、魚雷命中音四発ヲ聴取、爾後駆逐艦ノ制圧ヲ受ク(爆雷八〇、至近弾0)、襲撃時ノ敵Co.170°Sp.12k。
  30. ^ ワスプは放棄されたあと随伴駆逐艦ランズダウン英語版によって処分された[189]
  31. ^ 日本側は1942年(昭和17年)10月27日のアメリカ側放送で「ワスプ」の沈没を知った[190]
  32. ^ ベイヨンの第8停泊地にには、ノースカロライナ、ワシントン、空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 、空母フランクリン (USS Franklin, CV-13) 、空母ワスプ (USS Wasp, CV-18) などが繋がれ「ワシントンのまわりは、みじめな艦(ふね)の列」であったという[218]

脚注

  1. ^ a b c 米、愈よ巨艦建造に着手 アイオワ號{四萬五千噸}起工さる/三萬五千噸のノースカロライナ號も近く進水の運び”. Hoji Shinbun Digital Collection. Burajiru Jihō, 1940.02.21. pp. 01. 2024年2月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 来島 2015, p. 81.
  3. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 90–91第二次大戦の戦艦
  4. ^ a b #米国(昭和15年10月) p.7〔 ○米國海軍建艦状況一覽表 其ノ1(軍艦、潜水艦 特務艦艇ノ部)1940-10-1調 〕〔 戰艦|North Carolina(BB55)|35,000|28~30(kt)|(略)|紐育海軍工廠|一九三七年度(二隻)|1937-10-27(起工 契約又ハ建造下令 年月日)|1940-6-13(進水年月日)|1941-10-15(豫定完成年月日)|49(建造月數)|1941-春就役 1941年末迄ニ艦隊編入ノ報アリ 〕
  5. ^ 米英艦隊撃滅 1942, p. 74-75原本130-132頁
  6. ^ a b c 主力艦の展望 1939, pp. 32–33(原本48-50頁)
  7. ^ 福井、日本戦艦物語(I) 1992, pp. 284–285第18表 日米主力艦にみる主砲の移り変わり
  8. ^ *藤田定市 編「第三章 戰艦、巡洋戰艦及巡洋艦/第二節 列國新艦」『海事参考年鑑 大正十年版』有終會、1921年3月、39-41頁。doi:10.11501/950531https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950531 
  9. ^ 海軍読本 1937, p. 128原本234-235頁
  10. ^ 南方圏要覧 1942, pp. 207–208(原本394-396頁)
  11. ^ a b 福井、日本戦艦物語(II) 1992, p. 288.
  12. ^ 海軍読本 1937, pp. 120–122(原本219-222頁)海軍軍備無條約時代
  13. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, pp. 194–195無条約時代突入の前夜
  14. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 101–104第二次大戦の列強戦艦の特長
  15. ^ 米國の新鋭艦カロライナ號 七千萬弗を投じてこの程竣工せるもの、米國では十九年振りの主力艦である”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1940.08.05. pp. 02. 2024年2月9日閲覧。
  16. ^ 海軍読本 1937, pp. 153–157(原本285-292頁)躍進する獨逸海軍
  17. ^ 主力艦の展望 1939, pp. 29–30(原本43-44頁)
  18. ^ 海軍読本 1937, pp. 64, 159(原本106-107頁),(296-297頁)
  19. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 67–69史上最大の戦艦建造ブーム
  20. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 19.
  21. ^ a b c d 戦艦ワシントン 1988, p. 20.
  22. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, pp. 283a-285大和の情報収集に失敗した米海軍
  23. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 98a-103戦艦ノースカロライナ級/海軍休日明けに建造された新鋭戦艦
  24. ^ 来島 2015, p. 80.
  25. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, p. 283b.
  26. ^ 福井、世界戦艦物語 1993, pp. 243–245まさに大和に生きうつし
  27. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, p. 284.
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  29. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 54–59戦艦大和/儚く散った世界最大最強の超戦艦
  30. ^ 福井、日本戦艦物語(II) 1992, pp. 273–276"三万五〇〇〇トン"の正体
  31. ^ a b c #S17.12.31艦船要目公表範囲 p.2〔 大和|戰艦|長(米)235.00|幅(米)31.50|喫水(米)9.15|排水量(基準)(噸)42.000|速力(節)25.0|(短艇數)14||呉工廠|昭和12-11-4|昭和15-8-8|昭和16-12-16|主要兵装/大砲40cm…9、15.5cm…12、12.7cm高角…12(略)|馬力 90,000 〕
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