UCIプロツアー離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 02:15 UTC 版)
「アモリ・スポル・オルガニザシオン」の記事における「UCIプロツアー離脱」の解説
2005年、国際自転車競技連合(UCI)は、新たなロードレースの年間シリーズ戦、UCIプロツアーを制定したが、事実上ツール・ド・フランスの主催権まで掌握しようとしたことから、制定初年度よりASOを含むスポーツメディアグループと対立した。 UCIプロツアーが制定された当初2年間は、UCIプロツアーの出場ライセンスを付与された自転車チームしかツール・ド・フランスを含めたUCIプロツアー対象レースの出場権が与えられなかったが、2007年のパリ〜ニース開催直前、ASOが当時、プロツアーのライセンスチームであったユニベット・ドット・コムを招待しないことを表明したことから対立が一層深まった。結局このときはUCIが折れて開催が行われた他、自身が主催するツール・ド・フランスについても、ワイルドカード枠としてプロツアー対象外チームの招待を可能とさせた。またASOは、ツール・ド・フランス以外の自身が主催するプロツアー対象レース(下記参照)も2007年限りで撤退した。この動きに、ジロ・デ・イタリアの主催者であるRCS、ブエルタ・ア・エスパーニャの主催者であるウニプブリックも同調。2008年のUCIプロツアー対象レースは、2007年と比較して10も減少(2008年に新たに追加した対象レースを除けば12レース減少)する事態となった。
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