松田聖子
(Seiko_Matsuda から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 22:14 UTC 版)
松田 聖子(まつだ せいこ、1962年3月10日 - )は、日本のアイドル・歌手・シンガーソングライター・女優。
注釈
- ^ ただし聖子に対する「ポスト山口百恵」という表現はマスコミが行っているだけであり、本人もプロデューサーの若松もそのような考えは念頭になかったことを著書「松田聖子の誕生」で明らかにしている。そもそもレコード会社は同じCBS・ソニーであったが、百恵は企画制作2部の酒井政利が担当し、聖子は企画制作6部の若松が担当していた。
- ^ 『Precious Heart』リリース時点。
- ^ 神田正輝との結婚披露宴の際に身に付けていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていた事がテレビでも放送された。
- ^ 尾木プロは1980年に浜田朱里をデビューさせる予定があったため。奇しくも松田聖子と浜田朱里は堀越時代の同級生であり、親友でもある。
- ^ 後に郷は「会見する事も知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定したという[25]
- ^ 『うたばん』で聖子の大ファンだという米良美一と共演。2008年3月10日放送の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだという中川翔子と共演。2008年11月10日放送の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだというはるな愛と共演。
- ^ 逮捕された男は沖縄の地元民ではなく、埼玉県入間市(旧高麗郡)に住むファンを名乗る19歳の少年であった。ノイローゼを患っており埼玉県の精神病院に入院していた精神病患者でもあった。2日前の26日に外泊許可を取得し、前日の27日に家族と一緒に買い物に東京に来ていたが、その最中に行方をくらまし、手持ちの小遣い35,000円で航空券を購入して沖縄へ飛ぶ。その後、凶器となった陳列ケース棚を留めるスチール製の金具を購入した。犯行動機については「有名人である松田聖子を殴る事で自分も有名になりたかった」と供述しており、聖子にとってはいわれなき災難であった コンサート中 暴漢に襲われた松田聖子 日刊ゲンダイDIGITAL、2023年3月30日閲覧
- ^ フジテレビ系列だが、ザ・トップテンの放送及び中継に参加していた。
- ^ 当該のセリフは本放送のみで、映像作品ではカットされている。
- ^ 松田聖子のプロデュサーであった若松宗雄の著書「松田聖子の誕生」では若松とデビュー前の聖子が話をしていた乃木坂の小さな喫茶店でほぼ必ず馬場が寛いでいたことが記されており、実際には聖子の顔を知っていた可能性がある。
- ^ 同作の「松田聖子」は中華料理店「幸楽」の従業員。聖子はドラマ中盤で結婚して苗字が変わったため、その後の役名は「田島聖子」になっている
- ^ 山下達郎のカバー曲、原曲は英語詞だが、松田が日本語詞を提供している。
出典
- ^ 両手 1980, p. 109,234
- ^ 『大人のためのハイレゾオーディオ完全マニュアル』学研プラス、2015年、76頁。ASIN B00VE4B67M 。
- ^ a b c Eremenko, Alexey. Seiko Matsuda | Biography & History - オールミュージック. 2021年1月13日閲覧。
- ^ a b “『SEIKO MEMORIES~Masaaki Omura Works~』スペシャルサイト”. OTONANO. ソニー・ミュージックダイレクト. 2018年8月12日閲覧。
- ^ 名鑑 2016
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「第二章 遅れてきたアイドル――1980年」中川 2014, pp. 66–116
- ^ a b 写真 2016, pp. 43–45
- ^ “金田一秀穂×三浦徳子 アイドル歌謡の作詞術”. 読むらじる (2019年12月28日). 2020年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月17日閲覧。
- ^ “松田聖子の80年代伝説Vol.5 松本隆や大滝詠一との出会いが、ポップス史に残る名盤を生んだ4thアルバム『風立ちぬ』〜前編〜 - 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報 - COLUMN”. GINZA. マガジンハウス (2020年10月20日). 2021年5月8日閲覧。
- ^ 「特集 続・1位は続くよどこまでも 連続首位獲得記録―アーティスト編」『ORICON WEEKLY』1989年11月6日号、オリジナルコンフィデンス、22頁。
- ^ a b 水原空気; 若松宗雄(インタビュー)「松田聖子の80年代伝説Vol.8 乙女心がおしゃれなWジャケットにギュッと詰まった6thアルバム『Candy』」『ginzamag.column』、マガジンハウス、2021年1月23日。 オリジナルの2021年1月23日時点におけるアーカイブ 。2018年2月22日閲覧。
- ^ “人名索引総合ランキング”. 大宅壮一文庫. 2021年10月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 「第一章 夜明け前――1972年~79年」中川 2014, pp. 18–65
- ^ 八幡 和郎『戦国大名県別国盗り物語』PHP研究所、2015年、164頁。ISBN 9784569763392。
- ^ “立花家十七代が語る立花宗茂と柳川 | Q&A”. 2021年12月29日閲覧。
- ^ 福岡県立柳川古文書館
- ^ 大下 1989
- ^ 玉鶴姫の意地。詳しくは「蒲池氏#子孫たち(大木喬任、広津和郎、宇都宮徳馬、松田聖子他)」を参照
- ^ 2021年12月27日読売新聞(大阪本社)朝刊9面、投書「先輩の聖子さん悲しみに胸痛む」
- ^ “平尾昌晃氏、岩崎良美らが見た「松田聖子、誕生の瞬間」”. NEWSポストセブン. 2021年10月31日閲覧。
- ^ 軍司 1992, pp. 299–300
- ^ a b c 相澤 1988
- ^ “サンミュージック相澤会長 松田聖子との17年断絶と涙の再会”. NEWSポストセブン. 2021年10月31日閲覧。
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』(小学館新書、2023年4月、ISBN 9784098254477)p.90 - 92「第3章 宮本幸一 思い込みと『推し』の力」
- ^ a b c d e f g h i j k 「第七章 華燭と大賞――1985年」中川 2014, pp. 277–316
- ^ a b c d e f g h i j 「第八章 緩やかな下降線――1986年~88年」中川 2014, pp. 317–350
- ^ “山口百恵と松田聖子の結婚で決定的に違ったものとは? アイドルと“結婚”というタブーの歴史”. 時事ドットコム (2020年11月19日). 2020年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月19日閲覧。
- ^ a b “サンミュージック相澤会長 松田聖子との17年断絶と涙の再会”. NEWSポストセブン. 2021年10月31日閲覧。
- ^ a b “故・相澤会長が描いていた聖子再生計画「全盛期の輝きを…」”. 女性自身. 2021年10月31日閲覧。
- ^ MUSIC(エムオンミュージック), 音楽WEBメディア M.-ON!. “松田聖子×財津和夫が37年ぶりにタッグ! 新曲「風に向かう一輪の花」配信スタート&ティザー映像公開”. 音楽WEBメディア M-ON! MUSIC(エムオンミュージック). 2021年1月2日閲覧。
- ^ “神田沙也加に関するお知らせ”. www.sayaka-kanda.net. 2021年12月19日閲覧。
- ^ “松田聖子 あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った”. スポーツニッポン新聞社. (2021年12月25日) 2022年1月15日閲覧。
- ^ “所属事務所からのお知らせ”. 松田聖子 (2021年12月19日). 2021年12月19日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “松田聖子、今夜のディナーショー中止を発表”. 音楽ナタリー. 2021年12月19日閲覧。
- ^ “松田聖子 ディナーショー大阪公演も中止 23日から4日間 東京に続き 長女・神田沙也加さん急逝 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年12月21日閲覧。
- ^ a b “松田聖子、紅白歌合戦出場を辞退 NHKが発表”. スポーツ報知. (2020年12月25日) 2020年12月25日閲覧。
- ^ “神田正輝、松田聖子と緊急会見…沙也加さん急逝受け「そっとしておいていただけたら」”. スポーツ報知 (2021年12月21日). 2021年12月22日閲覧。
- ^ a b 「第五章 激突――1983年」中川 2014, pp. 203–241
- ^ “ザ・スター松田聖子スペシャル 振り向けば・・・聖子”. 歌謡ポップスチャンネル. 2018年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
- ^ “神田沙也加さん“形見”の「松田聖子御殿」初公開!保存続ける婦人科院長が明かす一家との交流”. Yahoo! News. 女性自身 (2023年1月11日). 2023年1月14日閲覧。
- ^ “クリニック概要”. 成城松村クリニック. 2023年1月14日閲覧。
- ^ 「米へ進出 日本のポピュラー」『日本経済新聞』1991年4月20日付朝刊、p.39。
- ^ “松田聖子がユニバーサル ミュージックに移籍!!”. COMPANY. ユニバーサルミュージック (2009年6月15日). 2024年3月6日閲覧。
- ^ 松田聖子が親子の絆を描いた『わが母の記』イメージソングを作詞・作曲 2012年4月10日 ムービーコレクション
- ^ 松田聖子が再々婚を発表
- ^ “松田聖子、NHKで初のドラマ主題歌 主演の内山理名「うわぁぁ」と感激”. ORICON NEWS (oricon ME). (2017年10月13日) 2017年10月14日閲覧。
- ^ “本日デビュー40周年の松田聖子、6月にアニバーサリーアルバム発売”. natalie. (2020年4月1日) 2021年4月4日閲覧。
- ^ “松田聖子「瑠璃色の地球」34年の時を経てリレコーディング版リリース”. natalie. (2020年7月15日) 2020年7月16日閲覧。
- ^ “松田聖子が40年ぶりに"聖子ちゃんカット"披露”. natalie. (2021年4月1日) 2021年4月4日閲覧。
- ^ “松田聖子が1人8役であの曲をバンド演奏、1980年代に思いを馳せて”. 音楽ナタリー. 2021年6月11日閲覧。
- ^ “松田聖子、今夜のディナーショー中止を発表”. 音楽ナタリー (2021年12月20日). 2021年12月20日閲覧。
- ^ “松田聖子ディナーショー、大阪公演も中止が決定”. 音楽ナタリー (2021年12月20日). 2021年12月20日閲覧。
- ^ “松田聖子、112日ぶりの復帰ステージで涙「この先も沙也加と歌って参ります」”. スポーツ報知. (2022年4月9日) 2022年4月13日閲覧。
- ^ “全国ツアー初日迎えた松田聖子 沙也加さんの曲、思い出の地で涙の熱唱「娘は心に生き続けてくれています」”. SponichiAnnex. (2022年6月12日) 2022年6月12日閲覧。
- ^ ちょっといい話
- ^ 「白い風は旅人について」若松宗雄チャンネル
- ^ “松田聖子、新アルバムが初登場4位 トップ10入り作品 1位タイ”. ニッカンスポーツ (2021年10月26日). 2021年10月26日閲覧。
- ^ a b c 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』pp.72-73.
- ^ “松田聖子、トリンプ新ブランドCMでランジェリー姿を披露”. 音楽ナタリー. (2016年5月25日) 2016年5月25日閲覧。
- ^ “日本和装「CM/広告ギャラリー」”. 日本和装 (2021年1月9日). 2021年1月10日閲覧。
- ^ “CM公開中!松田聖子xヒルズアベニュー”. ヒルズアベニュー (2017年2月27日). 2017年2月27日閲覧。
- ^ “松田聖子:「眼鏡市場」新CMキャラクターに”. まんたんWEB (2015年6月26日). 2015年6月26日閲覧。
- ^ “眼鏡市場「CMギャラリー」”. 眼鏡市場 (2015年8月8日). 2015年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月8日閲覧。
- ^ “眼鏡市場「CMギャラリー」”. 眼鏡市場 (2015年11月20日). 2015年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月20日閲覧。
- ^ “眼鏡市場「CMギャラリー」”. 眼鏡市場 (2016年4月1日). 2016年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月1日閲覧。
- ^ “眼鏡市場「CMギャラリー」”. 眼鏡市場 (2016年4月23日). 2016年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月23日閲覧。
- ^ "松田聖子、映画監督デビュー『あの風が吹いた日』 東京国際映画祭で上映決定". ORICON NEWS. oricon ME. 14 October 2021. 2022年9月20日閲覧。
- Seiko_Matsudaのページへのリンク