Saigō Takamoriとは? わかりやすく解説

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西郷隆盛

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 14:05 UTC 版)

西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体西鄕 隆󠄁盛󠄁1828年1月23日文政10年12月7日)- 1877年明治10年)9月24日)は、幕末から明治初期の日本政治家軍人[1]


注釈

  1. ^ 西南戦争時の肩書
  2. ^ 城山町は1965年に山下町より分割され成立した町である。
  3. ^ このメンバーが精忠組のもとになった[要出典]
  4. ^ 伊集院須賀の名は敏(敏子)であったとも云われる。
  5. ^ 大久保正助(利通)も同時期に徒目付になっている[要出典]
  6. ^ 兵を率いて東上するつもりであったともいわれる[要出典]
  7. ^ 肥後国の菊池氏を祖としていたので、「吾が源は菊池なり」という意で付けたと云われる。
  8. ^ 龍家はもと田畑氏[要出典]
  9. ^ のち木場は大坂留守居役・京都留守居役となり西郷を助けた。
  10. ^ 大島に三年住んでいたという洒落。
  11. ^ 地ゴロは田舎者という意味。
  12. ^ 村田新八『宇留満乃日記』[14]参照。
  13. ^ 以上は村田著の『宇留満乃日記』[14]に詳しい。
  14. ^ 仲為の甥養子の琉仲祐は西郷の寵愛を受け後に伴って上洛、1866年(慶応2年)12月に京都で没した。
  15. ^ 村田の兄宛書簡が伝わる。無断で連れ帰った[要出典]とも、そうではなかったともいう。
  16. ^ 「薩賊会奸」とは、八月十八日の政変以降、長州藩士が唱えた言葉。たとえば『阪谷朗廬関係文書目録』(国立国会図書館、1990年[20])に記録[21][22][23][24]がある(太字は引用者による)。「薩摩の賊」、「会津の奸物」の意。薩長同盟の成立で口に登らなくなる。これとは別に「薩賊長奸」[25]という言葉も流布した。
  17. ^ 一代小番が側役以上側用人以下に昇進すると代々小番となり地頭を兼務する。側役は代々小番昇進時の役職としてはオーソドクス。この後、側用人に進むことが多い。
  18. ^ 『詳説西郷隆盛年譜』によれば、この名は沖永良部島在島以来らしい。
  19. ^ 当番頭以上寺社奉行以下に進んだ家格代々小番は寄合並(一身家老組)となるのは薩摩藩の慣例。
  20. ^ 大山成美の通称は彦八、大山巌の兄。
  21. ^ なお、薩摩藩では大目付と若年寄は家老候補である。また、大目付と若年寄になった時点で寄合並から寄合に昇格するが、大目付を辞退しているので西郷は大番頭、陸軍掛・家老座出席と考えられるので寄合並のまま。
  22. ^ この密約は、戊辰戦争の際に乾が迅衝隊を率いて出征し達成されることとなる[要出典]
  23. ^ 藩政と家政を分け、藩庁を知政所、家政所を内務局とし、一門・重臣の特権を止め、藩が任命した地頭(役人)が行政を行うことにした。
  24. ^ 丁丑公論』に詳しい。
  25. ^ 毛利敏彦はこれらの言動は征韓派の板垣を説得するための方便としている。(吉野誠 2000, p. 4)
  26. ^ この状態が私学校創設後も続いたことは『西南役前後の思出の記』に詳しい。
  27. ^ この論文では建設が始まったのは12月頃としていて、説得力がある。
  28. ^ 山縣有朋は私学校党が「視察」を「刺殺」と誤解したのだと言っている。明治5年の池上らの満洲の偵察を公文書で「満洲視察」と表現しているところから、この当時の官僚用語としての「視察」には「偵察」の意もあった。
  29. ^ 写実性はなく想像によって描かれたものと考えられる。
  30. ^ 8日に口供書に拇印を押させられる。口供書は『薩南血涙史』[89]に掲載[要ページ番号]
  31. ^ 野村の口供書は『薩南血涙史』[89]に掲載[要ページ番号]
  32. ^ のちにこの2大隊を六番・七番大隊としたが、人員も正規大隊の半分ほどで、装備も劣っていた。
  33. ^ 旧厩跡にあった私学校横の旧牧場。『翔ぶが如く』など、伊敷練兵場としているものが多いが、誤りである[90]
  34. ^ 『鎮西戦闘鄙言』では村田と池上が中軍を指揮し、西郷と桐野が中軍で総指揮をとったとする。
  35. ^ 『西南記伝』では小倉壮九郎。
  36. ^ 他の資料[要出典]では切腹したとの説があるが検死の結果[要出典]、西郷は切腹はしておらず実質斬首の形の介錯となった。
  37. ^ 折田邸門前説が最も有力。ただ異説が多く、『西南記伝』には9説あげている[要出典]
  38. ^ 首発見時の様子とその前後のいきさつについては、例えば今村均著『私記・一軍人六十年の哀歓』(芙蓉書房)に詳しく記されている。西郷の首を発見した一人が、今村の岳父の千田登文であった。
  39. ^ 高島は元陸軍中将、枢密院顧問官。西南戦争時は別動第一旅団長。

出典

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  21. ^ 「四、 安藤定格 §1 明治一〇年五月二〇日 春来四区裁判所設置繁忙」には、〈当地薩賊彷仏ノ暴徒多シ 板ノ西郷ニ党セザル西郷ノ江藤・前原ニ与セザルニ同ジ 明治創業ノ功臣挂冠末路一轍ニ出ズ 板ノ立志社ニ示セル告諭教唆ニ等シ谷少将守城ノ功第一 阪田諸潔 岩崎川路少将ニ属シ戦地 司法ノ地震同氏ノ為メ賀スベシ 自分帰京延引 所長ニ随行出京ノツモリ 高知厭倦 堅山・堀・丹羽・山成・山本・馬越恭平。〉とある。
  22. ^ 「四七、 木原章六 広島藩士 検事 桑宅ノ子 §3 明治一〇年 五月二二日 二月一九日鎮台警砲 裁判所御船町ニ移ル 二一日薩賊来襲ノ風聞 県令品川大書記共城ニ帰リ裁判所隈府移庁更ニ山鹿町ヘ移庁 熊本城陥落ノ状勢 植木・木ノ葉ノ戦イ南関混雑瀬高ニ移ル第一旅団野津少将来着山鹿・高瀬線合シ四月一五日熊本城兵ト相通ズ 一八日裁判所帰ルヲ得ル 戦後調査・党民事件・国事犯下調ベ等事務繁忙 植松ノコト〉とある。
  23. ^ 「一一三、 植松直久 §4 明治一〇年 六月 四日 馬越恭平鹿児島ニ来リ面会」には、〈今回ノ戦状ハ新聞記者描出更ニ肇ヲ要セズ 熊本城中ヨリ奥少佐一大隊賊軍突破 川尻ニテ父老迎エ子弟ノ安否ヲ問ウ 死スルヲ聞ケバ御奉公ヲ済セリトコノ一言民権ヲ振起スルニ足ル 兵士ハ土民ヨリナリ士族ノ薩賊ヲシテ舌ヲ巻カシム コノ徒民権ヲ主唱スル時ハ天下誰カ従ワザル 士族ノ民権論ハ真誠ノ民権論ニ非ズ 高知県暴徒ノウワサ 福岡孝弟〉とある。
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  141. ^ 『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』山田済斎編、岩波書店〈岩波文庫〉、1939年、ISBN 4-00-331011-X / 〈ワイド版岩波文庫〉、2006年1月、ISBN 4-00-007265-X に収録された「手抄言志録」を参照。
  142. ^ 『維新史の片鱗』P253
  143. ^ 徳富蘇峰『明治三傑』P516
  144. ^ 鎌田冲太『西郷隆盛伝』P53
  145. ^ 徳富蘇峰『明治三傑』P498
  146. ^ 『南洲翁は曠世の英雄』
  147. ^ 『大西郷の威容と宏量』
  148. ^ 『余の観たる南洲先生』
  149. ^ a b 『丁丑擾乱記』
  150. ^ a b c 『西郷南洲逸話』
  151. ^ 『維新史の片鱗』P252
  152. ^ 『維新史の片鱗』P251
  153. ^ 『西郷南洲遺訓』
  154. ^ 『木戸孝允日記 第三巻』P519
  155. ^ a b 近代デジタルライブラリー『伊藤侯,井上伯,山県侯元勲談』
  156. ^ 『伊藤侯,井上伯,山県侯元勲談』P188
  157. ^ 『中正公勤王事跡』P538
  158. ^ 『観樹将軍豪快録』近代デジタルライブラリー
  159. ^ 元治元年12月(1865年1月)、中岡慎太郎板垣退助に送った書簡より。
  160. ^ 『生きている歴史』P171
  161. ^ 徳富蘇峰『明治三傑』P523
  162. ^ 『西郷南洲と予の関係』
  163. ^ 『徳川慶喜公回想談』
  164. ^ 近代デジタルライブラリー『大久保利通之一生』
  165. ^ 『渋沢栄一自伝』P58
  166. ^ 『青淵回顧録』
  167. ^ 大隈伯百話 国立国会図書館デジタルコレクション『大隈伯演説座談』327-328p
  168. ^ 近代デジタルライブラリー『木戸松菊公逸話』
  169. ^ 『早稲田清話』P149
  170. ^ 『早稲田清話』P74
  171. ^ 鎌田冲太『西郷隆盛伝』P55
  172. ^ 『逸事史補』
  173. ^ 『歴史読本 臨時増刊'79-12』
  174. ^ 『生きている歴史』
  175. ^ 『勤王芸者 維新情史』
  176. ^ 『海舟座談』P228
  177. ^ 鶴見俊輔著 『 御一新の嵐 』 <鶴見俊輔集・続-2> 筑摩書房 2001年 281ページ
  178. ^ 西郷さんNG、クマに変更/新幹線熊本駅のPRキャラ
  179. ^ 西郷さんNG、クマに変更 新幹線熊本駅のPRキャラ 47NEWS
  180. ^ 西郷隆盛の息子「酉三」の写真、初確認…息子全員の写真出そろい「青年期の西郷想像できる」」『読売新聞』、2024年3月14日。2024年3月15日閲覧。





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