SC129船団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:05 UTC 版)
「ドナルド・マッキンタイア (イギリス海軍)」の記事における「SC129船団」の解説
B2護衛グループは1943年5月3日に低速のSC129船団(英語版)と共にアルゼンチアを出発した。6日後、船団のうち2隻が夜明けにU-402(英語版)によって雷撃され、マッキンタイアが参加した船団で初めての犠牲となった。マッキンタイアが非常に落胆したのはもっともなことではあったが、報復はヘスペルスが夜にU-223(英語版)を損傷させてサン=ナゼールへ追い返すまで待たねばならなかった。 U-186 マッキンタイアがU-223を撃沈したと考えて逃がした後、船団へ戻る途中でASDICが新たなUボートU-186(英語版)からの反応を探知した。数度の爆雷攻撃の後、水中爆発による衝撃を感じ、重油や破片が海面に浮かんでくるのを確認した。 数度の視認、レーダーやASDICの反応があったものの、B2護衛グループがSC129船団を護衛していた間にこれ以上のUボート撃沈は確認されなかった。ヘスペルスに乗るマッキンタイアは、ヘスペルスの爆雷残量の不足と僚艦ホワイトホールの燃料不足というジレンマに直面していた。また、グループのコルベットたちは浮上するUボートを捕捉することができなかった。だが幸いにも、5月16日までに船団は危険な海域を脱することができた。
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