RAM・01
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 04:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター |
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デザイナー | デヴィッド・ケリー | ||||||||
先代 | RAM・マーチ01 | ||||||||
後継 | RAM・02 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング, プルロッド | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング | ||||||||
トレッド |
前:1,791 mm (70.5 in) 後:1,670 mm (66 in) | ||||||||
ホイールベース | 2,692 mm (106.0 in) | ||||||||
エンジン | ハート 415T, 1,496 cc (91.3 cu in), L4 ターボ, | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FGA 5速 | ||||||||
重量 | 540 kg (1,200 lb) | ||||||||
タイヤ | ピレリ | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | スコールバンディット・フォーミュラ1チーム | ||||||||
ドライバー |
10. ![]() | ||||||||
出走時期 | 1984年 | ||||||||
初戦 | 1984年ブラジルグランプリ | ||||||||
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RAM・01は、RAMレーシングが1984年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。01は2戦のみ実戦参加した。
背景
RAMレーシングはマイク・ラルフとジョン・マクドナルドによって設立されたが、1970年代後半にカスタマーチームとしてF1世界選手権に参戦した。チームはブラバム、マーチ、ウィリアムズの車両を用いて数戦にスポット参戦した。1981年より独自の車両を用いてフル参戦を開始した。車両の開発はマーチ・グランプリに委託したが、マーチ・グランプリはRAMとロビン・ハードが設立し[1]、開発した車両はマーチを名乗ったものの、かつてのマーチ・エンジニアリングとは直接の関係は無かった[2]。1982年にRAMはマーチ・グランプリと袂を分かったが、車両はマーチの名を継続して使用した[2]。1983年のRAM・マーチ01はマーチが開発した設計図を元にRAMが製作した車両であったが、1984年には完全にマーチとは離れ、車両名も「RAM」とした。
開発
1984年、チームは2台体制でシーズンに臨む。RAMは新型のRAM・02を開発したが、開幕までに1台しか用意できなかったため、前年のRAM・マーチ01を大幅に改修したRAM・01を1台投入した。RAM・01はRAM・マーチ01の3号車を元に製作され、DFYエンジンに代えてハート415Tが搭載された。車体はサイドポンツーンが再設計され、リアウィングには小型の補助ウィングが取り付けられた[3]。
レース戦績
RAM・01はジョナサン・パーマーがドライブした。チームメイトのフィリップ・アリオーは同じエンジンを搭載するRAM・02をドライブした。
開幕戦のブラジルでパーマーはアリオーよりも1.7秒遅れで予選を通過した。RAMの両名とも参加ドライバーの中で最も遅かった。ターボエンジンを搭載していたものの、自然吸気エンジンを搭載するオゼッラ、アロウズ、ティレルにも後れを取った。決勝でアリオーはターボトラブルでリタイアしたが、パーマーは9位でフィニッシュした。ティレルのマーティン・ブランドルが失格となったため、パーマーは繰り上がって8位となる。これはRAM・01の最高成績だった。次戦の南アフリカでパーマーは新型02をドライブするアリオーを上回り、21位で予選を通過した。決勝では10周目にギアボックストラブルでリタイアする。これが01の最後のレースとなり、第3戦ベルギーからパーマーにも02が与えられた。
F1における全成績
年 | シャシー | エンジン | タイヤ | No | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1984年 | RAM・01 | ハート 415T L4 1.5 ターボ |
P | BRA![]() |
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10 | 8 | DNF |
参考文献
- Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), ISBN 978-0854296170.(英語)
- Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
- David Hodges: A-Z of Grand Prix Cars 1906–2001. 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2.(英語)
- David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1993. Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
- Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2. Auflage, St. Sulpice, 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)
参照
- ^ David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945, Motorbuch Verlag Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7, S. 165.
- ^ a b David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars 1906–2001, 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2, S. 196.
- ^ Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), ISBN 978-0854296170, S. 99.
外部リンク
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RAM・マーチ01
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カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター |
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デザイナー | デヴィッド・ケリー | ||||||||
先代 | マーチ・821 | ||||||||
後継 | RAM・01 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング, プルロッド | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング | ||||||||
トレッド |
前:1,797 mm (70.7 in) 後:1,670 mm (66 in) | ||||||||
ホイールベース | 2,692 mm (106.0 in) | ||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV / DFY V8 NA | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FGA 5速 | ||||||||
重量 | 540 kg (1,190 lb) | ||||||||
燃料 | バルボリン (14 GP), シェル (2 GP) | ||||||||
タイヤ | ピレリ | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | RAMオートモーティブ・チーム・マーチ | ||||||||
ドライバー |
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出走時期 | 1983年 | ||||||||
初戦 | 1983年ブラジルグランプリ | ||||||||
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RAM・マーチ01は、RAMレーシングが1983年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。マーチ・831 (March 831) とも呼ばれる。
開発
RAM・マーチ01は、主としてマーチのデイブ・ケリーが設計した[1]。彼は単純な「キットカー」[2]として設計し、01はRAMの手によって独自の専用部品ではなくアフターマーケットで入手できる汎用パーツで組み立てられた。モノコックはアルミニウム製で、ボディはプラスチック樹脂で作られた[3]。ボディのラインは流れるような形状で[2]、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーンが採用された[2]。車重は540kgであった[4]。
本質的に01は、3リッター8気筒エンジンのコスワースDFVを搭載するものとして設計された。1983年シーズンに各チームで使用されたDFVエンジンは異なったレベルのチューンが施された。最もパワフルなバージョンはカムシャフトが改良されバルブタイミングもそれに合ったチューンがなされた。DFVを使用した大半のカスタマーチームはこのパワフルなバージョンを使用したが、RAMとオゼッラは旧式のDFVを使用し、その出力は15馬力から20馬力劣っていた[5]。1983年の夏にはよりパワフルだが高価なDFYエンジンが登場したが、RAMは使用できなかった。イタリアGPからDFYを使用できることとなったが、これはマクラーレン用の物であり、彼らはそれを必要としなかった[6]。
製作
01は1983年前半に3台が製作された。最初の2台、01/01と01/02はそれぞれ2戦で使用された。残るレースでは01/03が使用された。01/03はシーズン終了後に改造され、ハート製ターボエンジンが搭載された[7]。
レース戦績
01はRAMレーシングによって運用され、RAMオートモーティブ・チーム・マーチとしてエントリーした。1983年のRAMレーシングのスタッフは25名で、最小のF1チームであった[8]。
前年とは異なり、RAMレーシングは1台体制で1983年シーズンに臨んだ。第3戦のフランスのみセカンドカーが投入された。
レギュラードライバーのエリセオ・サラザールは1981年にRAMからデビューした。サラザールが予選を通過したのは2回のみであった。開幕戦のブラジルで彼は予選27位となり、ポールポジションのケケ・ロズベルグからは6.2秒遅れであった。最後尾からスタートしトップから4周遅れの15位でフィニッシュしたが、ロータスのエリオ・デ・アンジェリスが失格となり14位に繰り上がった。続くロングビーチでも予選を通過したものの、決勝では25周目にギアボックストラブルでリタイアとなった。その後4戦連続で予選落ちし、サラザールはベルギーグランプリの後チームを離脱した。第7戦のデトロイトをチームは欠場する。これは短期間に代わりのドライバーを確保することができなかったためであった。
一週間後のカナダにチームは再び現れた。1981年にアロウズから2戦に参加したことがあるカナダ人ドライバーのジャック・ヴィルヌーヴを起用する。ヴィルヌーヴはチームに個人スポンサーの資金をもたらした[9]。チームはモスポートでの短いテストでヴィルヌーヴの起用を決定した。フリープラクティスで何周か周回したが、ヴィルヌーヴは自らの兄の名を冠するサーキットで、0.4秒の差で予選落ちした[9]。彼よりも後にいたのはオゼッラのピエルカルロ・ギンザーニのみであった。ヴィルヌーヴ自身の言によると、予選落ちしたのはタイヤを十分温められなかったためとある[9]。
その後、イギリスグランプリからはケニー・アチソンが起用された。アチソンはこれがF1デビューであった。アチソンは6戦連続で予選落ちし、最終戦の南アフリカでようやく決勝進出した。これはスピリットとセオドールが撤退したことで出走台数が減少したことによる。アチソンは24位で予選を通過した。決勝は優勝したブラバムのリカルド・パトレーゼから6週遅れの12位であった。
フランスでチームはジャン=ルイ・シュレッサーを起用してセカンドカーを投入した[10]。シュレッサーはノンタイトル戦のレース・オブ・チャンピオンズに参戦しており、13名が参加したブランズ・ハッチで6位となっている[11]。RAMはその1週間後にシュレッサーをスポット参戦させることとした。これはシーズン中RAMが2台を投入した唯一のレースであった。シュレッサーは結局予選落ちしたが、同じく予選落ちしたチームメイトのサラザールより0.7秒遅く、ポールポジションのアラン・プロストからは9.1秒遅れであった。RAMは2台を継続して走らせる余裕が無かったため、シュレッサーはその後出場することはできなかった[10]。
シーズンを終え、RAMの最高位は12位でありこれは、コンストラクターズランキングの最下位であった。
F1における全成績
年 | シャシー | エンジン | タイヤ | No | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1983年 | RAM・マーチ01 | フォード-コスワース DFV/DFY V8 3.5 |
P | BRA![]() |
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参考文献
- Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), ISBN 978-0854296170.(英語)
- Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
- David Hodges: A-Z of Grand Prix Cars 1906–2001. 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2.(英語)
- David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1993. Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
- Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2. Auflage, St. Sulpice, 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)
参照
- ^ David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945, Motorbuch Verlag Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7, S. 219.
- ^ a b c David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars 1906–2001, 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2, S. 196.
- ^ Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), ISBN 978-0854296170, S. 105.
- ^ Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9, S. 336.
- ^ Zur Geschichte des Cosworth-DFV-Motors s. www.research-racing.de (abgerufen am 5. Mai 2014).
- ^ www.research-racing.de (abgerufen am 5. Mai 2014).
- ^ Modellgeschichte des RAM 01 auf der Internetseite www.oldracingcars.com (abgerufen am 5. Mai 2014).
- ^ Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), ISBN 978-0854296170, S. 99.
- ^ a b c Biografie zu Jacques Villeneuve, Sr. auf der Internetseite www.f1rejects.com (abgerufen am 5. Mai 2014).
- ^ a b Biografie Jean-Louis Schlessers auf der Internetseite www.f1rejects.com (abgerufen am 5. Mai 2014).
- ^ Statistik des Race of Champions 1983 auf der Internetseite www.silhouet.com (abgerufen am 5. Mai 2014).
外部リンク
- RAM 01のページへのリンク