国際連合西サハラ住民投票ミッション
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/11/04 14:40 UTC 版)
| 国際連合西サハラ住民投票ミッション | |
|---|---|
| 概要 | 平和維持活動 |
| 略称 | MINURSO |
| 状況 | 活動終了 |
| 決議 | 安保理決議690 |
| 活動開始 | 1991年4月29日 |
| 活動終了 | 2026年10月31日 |
| 活動地域 | 西サハラ |
| 公式サイト | MINURSO |
| 西サハラ問題 |
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| 歴史的背景 |
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| 係争地域 |
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| 政治 |
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| 解放闘争 |
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| 国連の関与 |
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国際連合西サハラ住民投票ミッション(こくさいれんごうにしサハラじゅうみんとうひょうミッション、アラビア語: بعثة الأمم المتحدة لتنظيم استفتاء في الصحراء الغربية、フランス語: Mission des Nations unies pour l'Organisation d'un Référendum au Sahara Occidental, MINURSO、英語: United Nations Mission for the Referendum in Western Sahara、略称:MINURSO)は、西サハラに展開していた国際連合平和維持活動(PKO)。1991年4月29日の国際連合安全保障理事会決議690に基づき設立され、2026年10月31日に活動を終了した。2025年9月末時点の人員は約457名、犠牲者は20名であった[1]。
概要
西サハラはスペイン領であったが領有権を放棄し、1975年にはモロッコとモーリタニアによる分割統治が開始された。1977年にはポリサリオ戦線が独立を目指して武装闘争を開始し、1979年にモーリタニアは撤退した。モーリタニアが撤退した領域にはモロッコが入り、その後もポリサリオ戦線とモロッコとの間で武力衝突が継続された。
国際連合の仲介により、停戦と独立に関する住民投票を行うことに紛争当事者が合意し、1991年に停戦が発効した。1991年4月に安全保障理事会決議690号が出され、住民投票を行うためにMINURSOが設立された。
MINURSOの目的は
- 停戦の監視および両軍の配置の確認
- 政治犯の釈放
- 難民などの故郷帰還の支援
- 住民投票の有権者の確定および住民投票の実施
にある。
MINURSO設立当初の予定では、1992年に独立かモロッコへの帰属かを決定する住民投票を行う予定であった。しかし、この地域は遊牧民が多く投票権を持つ「西サハラ住民」の定義をめぐる問題から有権者の認定が困難を極めるためという理由で幾度となく投票が延期されている。このため、MINURSOの活動も毎年延長されているものの、住民投票実施の見通しは立っていない。
2025年、安全保障理事会はモロッコが主権を持ち、西サハラに自治権を与える自治計画(モロッコ案)を「最も実現可能な」提案とする決議を採択した。2026年10月30日、アメリカ合衆国はMINURSOの1年間活動延長とともに、モロッコ案を唯一の解決策とし、活動名から「住民投票」を削除する決議案を提案したが、ロシアの拒否権発動により否決された。その後、ロシアが従来の任務での活動延長を提案したものの、必要な賛成票を得られず否決された。これにより、MINURSOは10月31日をもって活動を終了し、翌11月1日より清算段階に入った[2][3]。
脚注
- ↑ “国連西サハラ住民投票監視団”. 外務省 (2025年12月). 2026年11月4日閲覧。
- ↑ “西サハラPKOが終了 国連が任期延長せず35年の歴史に幕”. ロイター. 2026年11月2日. 2026年11月4日閲覧.
- ↑ “Why a US-Russia showdown left Morocco celebrating”. 英国放送協会. 2026年11月3日. 2026年11月4日閲覧.
外部リンク
- 国際連合西サハラ住民投票ミッションのページへのリンク