ゼムラ蜂起とは? わかりやすく解説

ゼムラ蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 18:39 UTC 版)

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ゼムラ蜂起
西サハラ問題内で発生
日時 1970年6月17日
場所 スペイン領サハラアイウン
目的 独立
手段
参加集団
サハラウィー人英語版
サギア・エル・ハムラとワディ・エル・ダハブの解放運動英語版
人数
数千人
~100
死傷者数
2-11人の市民が死亡、数百人が負傷、逮捕
数人負傷

ゼムラ蜂起(ぜむらほうき、英語:Zemla Intifada、Zemla Uprising) は、1970年6月17日に現在の西サハラであるスペイン領サハラアイウンにあるゼムラ地区で起き[1]スペイン外人部隊による虐殺(2〜11人が犠牲となった)で終結した[2]騒乱である。

デモ行為

秘密団体であるハラカト・タハリールは、スペインによる西サハラの支配への抗議を目的にした嘆願書を読み上げるためにデモを呼びかけた。1970年6月17日、スペイン総督ホセ・マリア・ペレス・デ・レマ・イ・テヘロに対し、平和的に嘆願書が読み上げられた[3]

暴動

スペイン総督からの命令によりデモ隊が解散させられた後、警察はハラカト・タハリールの指導者たちを逮捕しようとした。警察の行動に対し、デモ隊は投石で応戦した。スペイン側はスペイン外人部隊を呼び、デモ隊に対し発砲し少なくとも11人を殺害した[3]

余波

事件から数年後、スペインの治安部隊によって創設者であるムハンマド・バシリ英語版と言ったハラカト・タハリールの活動家たちが逮捕され、拘留された。バシリは1970年に逮捕された後、牢獄強制失踪英語版した[4]

ゼムラでのデモはハラカト・タハリールを終焉へと導いた。数百人の支持者が逮捕され、他のデモの参加者はスペイン領サハラから退去させられた[3]。ゼムラでのデモが鎮圧されたことは、西サハラの反植民地運動を武力闘争へと駆り立てた。3年後、サハラウィー人の軍事ナショナリスト団体であるポリサリオ戦線が結成された[4]

脚注

  1. ^ “Western Sahara: 44th Anniversary of Zemla Uprising”. allafrica.com. http://allafrica.com/stories/201406191074.html 2016年11月6日閲覧。 (要購読契約)
  2. ^ Tarver, H. Michael; Slape, Emily. The Spanish Empire: A Historical Encyclopedia (Volume I ed.). p. 36. ISBN 9781440845703. https://books.google.ca/books?id=1LCJDAAAQBAJ&pg=PA36 2016年11月6日閲覧。 
  3. ^ a b c Western Sahara A "Spy" Guide - Strategic Information and Developments (2013 ed.). IBP. Inc.. p. 45. ISBN 0739786407. https://books.google.ca/books?id=d7AGBgAAQBAJ&pg=PA45 2016年11月6日閲覧。 
  4. ^ a b Camacho, Ana (2008年4月11日). “Terrorism and War in the Sahara”. GEES. 2008年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月9日閲覧。

ゼムラ蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:18 UTC 版)

西サハラの歴史」の記事における「ゼムラ蜂起」の解説

「ゼムラ蜂起」を参照 1970年6月17日アイウンのゼムラ地区ハラカト・タハリールが反植民地デモ行なった。これをスペイン弾圧した事件はゼムラ蜂起と呼ばれている。この事件契機に、反植民地運動武力闘争性格帯び1973年にはポリサリオ戦線結成された。

※この「ゼムラ蜂起」の解説は、「西サハラの歴史」の解説の一部です。
「ゼムラ蜂起」を含む「西サハラの歴史」の記事については、「西サハラの歴史」の概要を参照ください。

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