LPHとしての新造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:31 UTC 版)
「イオー・ジマ級強襲揚陸艦」の記事における「LPHとしての新造」の解説
同艦での試験と平行して、より本格的な改装ないし新造艦についての検討が進められた。改造母体としては、軽巡洋艦や重巡洋艦、更にノースカロライナ級戦艦まで検討されたが、いずれも棄却された。護衛空母では20ノットの速力を維持できるかが不安視され、軽空母ならその面の不安はないものの、母体となる数が不足していた。マリナー型貨物船では所定の機数を搭載できるかが不安視された。この結果、1955年4月には、1957年度で新造艦2隻を取得することでほぼ決しており、11月までにはSCB-157と称されるようになっていた。 一方で、既存の艦の改修についての検討も進められており、1957年度では、この新造LPHに加えて、「ブロック・アイランド」の改装が盛り込まれていた。同艦は「セティス・ベイ」より一回り大きく、従ってヘリ空母としても有用と期待された。またこれにあわせて、これらの艦が航空母艦の保有枠を圧迫しないように揚陸艦のカテゴリに移すことになり、ヘリコプター揚陸艦(LPH)という新艦種が創設された。その後、他のミサイル艦などに予算を転用するため、同年度でのLPHは新造・改装ともにキャンセルされたが、1956年秋には、1958年度予算でLPHの新造を再度要求することが決定された。1956年11月6日には最終的な諸元が決定され、1958年度予算で1隻が建造されることになった。またその後、1959・1960年度で2隻、1962・63年度で2隻、そして1965・66年度で2隻が追加された。これが本級であり、世界初の新造ヘリ空母となった。また同級の竣工までの漸進策として、エセックス級航空母艦3隻もボクサー級として改装された。
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