ICTYの判決と自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 00:37 UTC 版)
「スロボダン・プラリャク」の記事における「ICTYの判決と自殺」の解説
紛争の終結後は実業家をしていたスロボダン・プラリャクは旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷 (ICTY) で人道に対する罪に問われることになった。2004年にはハーグにあるICTYの法廷に出頭したが、このときは仮釈放された。だが、2012年に再度収監され、2013年に禁固20年の判決が下された。2017年11月29日、上訴審判決で禁固20年が確定すると「スロボダン・プラリャクは戦争犯罪人ではない。私は法廷の判決を認めない」と言い、裁判官の制止を無視して小瓶に入った液体をあおった。審理は中断され救急車が呼ばれたが、彼は搬送先の病院で死亡した。11月30日、オランダ検察庁は彼の飲んだ小瓶から致死毒が検出されたと公表した。12月1日、オランダ検察庁は彼の血液からシアン化カリウム、いわゆる青酸カリが検出されたという初期検死結果を発表し、声明で青酸カリによる心不全が死因だろうと推定を述べた。
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