カリプソ (軽巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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カリプソ (軽巡洋艦)

(HMS Calypso (D61) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 15:48 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1916年2月7日
進水 1917年1月24日
就役 1917年6月21日
退役
その後 1940年6月12日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 4,120トン
全長 450ft
全幅 42.9ft
吃水 14.3ft
機関 ブラウン=カーチス式ギアード・タービン2基
ヤーロウ缶6基
2軸推進 40,000 shp
最大速 29ノット
乗員 344名
兵装 6インチ砲5門
3インチ砲2門
3ポンド砲4門
機銃1基
21インチ魚雷発射管8門

カリプソHMS Calypso, D61)は、イギリス海軍軽巡洋艦カレドン級

艦歴

1916年2月7日起工。1917年1月24日進水。同年6月21日竣工。

1917年11月、第二次ヘルゴラント・バイト海戦に参加し、被弾損傷した。同年12月のタリン沖海戦では、ソヴィエト・ロシア駆逐艦「スパルターク」と「アフトローイル」を拿捕し、艦隊司令官のF・F・ラスコーリニコフを捕虜とした。

1923年、英王室と姻族関係にあるギリシャ王子アンドレアス救出のため、ギリシア沖に派遣される[1]。この砲艦外交の結果、ギリシャ革命政府はアンドレアス王子一家を英国に引き渡した[1]。当時1歳であったアンドレアス王子の長男が、後にエリザベス2世の王配となるフィリッポス(英:フィリップ)であった。

第二次世界大戦開戦時は本国艦隊に所属。1939年9月24日ドイツ船「ミンデン (Minden)」を捕捉し、「ミンデン」は自沈した。また、11月22日にはアイスランド沖でドイツ船「コンスル・ヘンドリック・フィッサー (Konsul Hendrik Fisser)」を拿捕した。その後地中海へ移動。イタリアの参戦後最初の地中海艦隊の出撃でアレクサンドリアから出撃した「カリプソ」は、1940年6月12日クレタ島の南でイタリア潜水艦「バニョリーニ (Bagnolini)」の雷撃 によって撃沈された。乗員39人が戦死した。

参考文献

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 黒岩 1997 p.68

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度03分 東経24度05分 / 北緯34.050度 東経24.083度 / 34.050; 24.083



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