DYN誌
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「ヴォルフガング・パーレン」の記事における「DYN誌」の解説
環境の変化に応じてパーレンの作品世界も変化し、以後、彼はバーネット・ニューマン、ジャクソン・ポロック、ロバート・マザウェル(英語版)、マーク・ロスコらとともに米国の抽象絵画、特に抽象表現主義の発展において重要な役割を果たすことになる。また、アメリカ先住民の文化、量子論、およびマルクス主義の影響を受けた芸術理論を展開し、発表の場として1942年に芸術雑誌『DYN (ディン)』を創刊した。DYNの語源は、ギリシャ語の「可能な限り(κατὰ τὸ δυνατόν)」である。本誌はメキシコシティだけでなく、ニューヨーク、パリ、ロンドンでも配布された。創刊号に掲載されたパーレンの「シュルレアリスムよ、さらば」と題する記事は、第二次大戦下、ニューヨークに亡命していたブルトン、デュシャン、エルンストらフランスのシュルレアリストに衝撃を与えた。パーレンは、シュルレアリスムを「未来志向がなく・・・既存の精神状態や悪夢を映し出すだけの鏡のような装置」であり、「袋小路」であると批判したのである。『DYN』誌の編集にはマザウェルのほか、画家ミゲル・コバルビアス、詩人セサル・モロ(フランス語版)、小説家ヘンリー・ミラー、アナイス・ニン、画家ゴードン・オンスロー・フォード(英語版)らが参加し、表紙にはマザウェル、ポロック、マヌエル・アルバレス・ブラボ、アリス・ラオン、ロベルト・マッタ、ハリー・ホルツマン(英語版)、ヘンリー・ムーアらの作品が掲載された。また、内容的にも詩、視覚芸術、人類学、哲学など多岐にわたるテーマを取り上げている。
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