Apple時代
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1994年11月、創業からの取締役であったマイク・マークラに請われて、業績の悪化していたApple Computerの取締役会のメンバーとなり、1996年2月、CEOに就任した。当時Appleにあった300の開発案件を整理統合して50にまとめた。マックの過剰在庫も処分し、オーソドックスな手法での再建を目指したが、最も難題だったのは次世代マックOSのプロジェクトであった。結局はCoplandの自社開発を断念し、1996年8月、ボストンで開催されたマックワールドエキスポで、CoplandをコードネームHarmony、Tempoと半年ごとにマイナーバージョンアップで提供すると発表した。 一方で、Coplandの代わりとなる次世代Mac OSの基盤技術に目処をたてる必要に迫られた。ギルは、ナショナル・セミコンダクターの部下であったエレン・ハンコックをAppleのCTOに迎え、彼女にその仕事を担当させていた。Coplandの代わりとなるOSは、OS/2, Windows NT, Solaris, BeOSが候補に上がっていた。とくに、Apple出身のジャン=ルイ・ガセーの率いるBe社が開発中のBeOSは最有力候補と見られていた。しかし、Be社の示す買収金額とAppleの提示の溝はなかなか埋まらなかった。 1996年秋になると、Apple創業者でもあるNeXTのスティーブ・ジョブズからOPENSTEPの売り込みが入った。ガセーの態度に不信をもつようになっていたギルは、NeXTの技術をMac OS後継の第一候補として考えはじめる。最終的にはOPENSTEPとBeOSをプレゼンテーションにかけて決定することとし、同年の12月10日、ジョブズとガセーをApple本社に呼び、最終決定を行うプレゼンテーションを開催した。 この結果、1996年12月20日に次世代マックOSの選択肢としてOPENSTEPを選択し、NeXTの買収を決定。翌年2月に正式に買収した。当初はジョブズとの友好関係を強調してみせていたが、すぐにジョブズと意見が対立して1997年7月にCEOを退任した。 なお、アメリオによって発表されたMac OSのリリースプランはジョブズが経営の実権を握った後も踏襲され、1998年に8.1、続いて8.5(Allegro)、1999年に8.6、9.0(Sonata)とほぼ半年ごとにリリースされている。
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