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ATS・D5

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/09 17:52 UTC 版)

ATS・D5
カテゴリー F1
コンストラクター ATS
デザイナー ハーベ・ギルピン
ティム・ワドロップ
先代 ATS・HGS1
後継 ATS・D6
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
エンジン フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) 90°V8, NA,
トランスミッション ヒューランド FGA 400 5速
重量 585 kg (1,290 lb)
燃料 シェル
タイヤ エイヴォン, ミシュラン
主要成績
チーム チームATS
ドライバー 9. マンフレッド・ヴィンケルホック
10. エリセオ・サラザール
初戦 1981年ベルギーグランプリ
出走 優勝 ポール Fラップ
27 0 0 0
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ATS・D5は、ATSチームが1982年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはハーベ・ギルピンとティム・ワドロップ。最高成績は5位。

開発の歴史

ヤン・ラマースセオドールを従えて走るエリセオ・サラザール1982年オランダGP。サラザールは13位でレースを終えた。

1980年、ジョー・ラミレスがチームのマネージャーに就任し、マルク・スレールヤン・ラマースを起用する。そのシーズン序盤は、新車の開発の遅れから前年使用したD3を投入した。新車D4投入後も成績は向上せず、その年はポイントを得ることができなかった。

1981年も開発費用の不足から序盤はD4で戦わざるを得ず、チームはスウェーデン人ドライバーのスリム・ボルグッドを起用した。新車のHGS1は第5戦ベルギーから投入され、ボルグッドはイギリスで6位入賞、1ポイントを獲得した[1]

1982年シーズン、チームはHGS1を改良したD5を投入した。ドライバーはボルグッドに代わってマンフレッド・ヴィンケルホックが加入、縮小していた体制も2台体制に戻り、エリセオ・サラザールがセカンドドライバーとして起用された。ドライバーに対する低報酬や、サンマリノでの重量オーバーによる失格などにもかかわらず、両名とも前年より優れたパフォーマンスを発揮した。ヴィンケルホックはブラジルで5位に入賞、サラザールもサンマリノで5位に入賞した。D5は相変わらず信頼性に欠け、獲得したのは2度の入賞による4ポイントのみであった。チームはコンストラクターズランキングで12位となり、ドライバーの両名は23位、24位となった。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1982年 チームATS フォード-コスワース DFV
V8 NA
M


A

RSA
BRA
USW
SMR
BEL
MON
DET
CAN
NED
GBR
FRA
GER
AUT
SUI
ITA
CPL
4 12位
9 ヴィンケルホック 10 5 Ret DSQ Ret Ret Ret DNQ 12 DNQ 11 Ret Ret Ret DNQ NC
10 サラザール 9 Ret Ret 5 Ret Ret Ret Ret 13 DNQ Ret Ret DNQ 14 9 DNQ

参照

  1. ^ F1全史 1981-1986 もっとパワーを!ターボ化と政争の渦の中で ニューズ出版

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