A-10に関する戦場伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:43 UTC 版)
「A-10 (航空機)」の記事における「A-10に関する戦場伝説」の解説
湾岸戦争においては参加機のうち半数にあたる約70機が被弾しながら、被撃墜は6機にとどまり、喪失率は10 %でしかない。384箇所の破孔を生じながら生還、数日後には修理を完了し任務に復帰した80-8186号機や、イラク戦争においてSAMによって右エンジンカウルを吹き飛ばされながら生還した80-258号機などの「タフさ」の実績がある。湾岸戦争におけるアメリカ空軍のパイロットの死者は約120人だったが、その多くはF-16搭乗者であり、A-10パイロットはわずか1名である。しかもその死因は食中毒であった。 湾岸戦争では30 mmガトリング砲にて、イラク軍Mi-17ヘリコプターの撃墜(1991年2月6日と2月15日に1機ずつ)も記録している。しかし、基本的には空対空戦闘を考慮しておらず(急激なスロットル操作を行うと機首下げが発生する)、制空権確保が運用の前提条件である。このため、いかなる地域でも常に制空権を確保可能なアメリカ空軍以外での採用実績はない(ただし、陸地は海洋と違って墜落しても生存できる可能性が高いため、地上で他国の軍隊でも制空権を確保するのは容易である)。空対空ミサイルも一応装備が可能。
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