770年ごろとする説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:23 UTC 版)
「『万葉集』の中でも新しい歌は本歌と同じ音仮名の写出法によっているのを見れば、これは一般に奈良時代(710年 – 794年)後期の風であったと見える。(趣意)」(鈴木暢幸) 「6番歌や7番歌に“偲ぶ”とあるが、“偲ぶ”の<の>に<乃>を用いる例は『万葉集』巻16以前にはなく、巻17以後にのみ見える用字法である。また、9番歌の“捧げ申さむ”とあるのも『万葉集』巻16までにはなく、巻17以後にのみ存在する語法である。この2例から見ても、歌碑の成立は、761年(天平宝字5年)以後、恐らく770年(宝亀元年)ごろと考えるべきであろう。」(久曾神昇、#仏足石銘の刻字年代を参照) 「14番歌の“釈迦の御跡 石に写し置き行きめぐり”や16番歌の“この御跡を廻りまつれば”など、仏足石のまわりを回りつつ歌ったと思われる語や、1番歌などの踊り字の用字法などから、753年より少し後の770年のものとされる。」(森岡隆)
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