2015年夏の危機を招いた要因
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「2015年欧州難民危機」の記事における「2015年夏の危機を招いた要因」の解説
2015年夏の東地中海ルート、西バルカンルート(トルコ-ギリシャ-マケドニア-セルビア-ハンガリー)における移民が急増した理由として以下が指摘されている。 2015年6月半ばにマケドニア共和国政府は不法移民に対する政策の転換を発表した。以前は不法移民の国内通過は禁止されていたために移民たちは、たとえば夜に線路を歩くというような危険を冒していたが、6月の初旬からは移民たちに3日間の入国許可を出すようになった。これにより移民たちは合法的にマケドニアの交通機関、道路を使用できるようになった。 マケドニアルートの解放により、長く、危険でずっとコストのかかるリビア-イタリア・ルートよりも近く安上がりなトルコ-ギリシャ・ルートを選びやすくなった。ワシントン・ポストによれば危険度の低減はもちろんのこと、5千~6千ドルと見積もられていた旅費が2千から3千ドルにまで抑えることができるようになった。 アメリカのワシントン・ポストは、ドイツのメルケル首相がドイツが難民に対する仮の居住許可の発行を請け負ったこと、加えてドイツが難民を歓迎するという趣旨のテレビ映像が多くの人々をヨーロッパへの旅に駆り立てたとしている。 シリアのアサド政権が徴兵を強化する旨の発表をしたこと、同時にシリア人のパスポート取得を容易にしたことがシリアの人々を移民へと駆り立てた。中東の情勢に明るい専門家は、アサドのこれらの政策は敵対する勢力を国外へと追い出すことを意図したものではないかと推測している。
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