2015年大統領選挙と議会選挙での惨敗
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「民主左翼連合 (ポーランド)」の記事における「2015年大統領選挙と議会選挙での惨敗」の解説
党勢が低迷し続けてきたSLDは、「みんなの運動」(TR)を含めた幅広い左派勢力と共同を目指すか、SLDの旗を前面に出すか、方針が揺れ続けてきた。こうした方針のブレは2015年5月に行われた大統領選挙で表面化、TR出身のゲイの政治家や女性政治家を推す党外の声を抑えて、党首であるレシェク・ミレルの判断で知名度が低く政治経験が浅い30代の女性歴史家マグダレナ・オグレクを候補に擁立した。しかし、候補者としての見解や消極的な選挙運動の姿勢からSLDは支援を放棄、オグレクの得票は2.4%と前回選挙で元党首のナピエノ・ラルスキが得た13.7%を遥かに下回る物となった。同年10月に行われた議会選挙では、TRやポーランド社会党(PPS、戦前に存在した同名の政党とは別個の政党)、労働連合、緑の党(Zieloni)と政党連合「統一左派」(ZL:Zjednoczona Lewica )を結成して選挙に臨んだが、7.55%の得票を得るにとどまり、政党連合が阻止条項である8%(ポーランド議会では政党連合が議席を得るには8%以上の得票が必要。政党単独では5%以上)を上回る事が出来ず、議席を獲得できなかった。この結果、戦後初めて旧共産党系政党が議会から姿を消すことになった。 選挙の翌年2016年1月に行われた党首選挙でヴウォズィミエジュ・チャルザスティを新たな党首に選出した。
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