2007年4月 - 2010年3月
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「スーパーモーニング」の記事における「2007年4月 - 2010年3月」の解説
当初は総合司会交代を機に本番組を終了させる予定だったが、大幅なテコ入れをすることで番組名はそのままとした。放送開始時間は8:00に戻り(これに伴い『やじうまプラス』は8:00までの放送になる)、タイトルロゴも一新された。総合司会は2006年3月まで総合司会を務めていた赤江珠緒と『ワイド!スクランブル』の「特報サイト」を担当していたテレビ朝日アナウンサーの小木逸平のコンビ。赤江は2007年3月いっぱいで朝日放送を退社し、フリーアナウンサーとして復帰した。また、番組宣伝は、赤江を前面に出したものとなっている。また、携帯電話を利用したテレビ電話での中継を常態化。「スパモニ機動中継隊」としてリポーターやディレクターが現地報告することになったほか、内容もそれまでの政治関係を扱う割合が少なくなり、リニューアル以前手薄になっていた芸能関係の扱う割合を増やした。 2007年4月のリニューアルで山陰放送・宮崎放送(いずれもTBS系列:当時は両局とも8:30に飛び乗りネット開始:2009年3月27日まで)を除く全ての局が8:00スタートになり、朝日放送は初めてフルネットとなった。 2007年10月1日からは、スタジオセットとタイトルロゴの色が変わる(青→茶)。それ以前はコメンテーターの人数が多すぎ、満足なコメントの時間がとれないことで不評だったため、コメンテーターの数を5人から3・4人へと減らす(北野誠は自身のラジオで「降ろされた」と発言)。 2009年3月27日には、山陰放送と宮崎放送で本番組のネットが打ち切られ、47全都道府県での同時ネット番組ではなくなった。
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