2・3歳時代 (1998・1999年)
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「モンジュー」の記事における「2・3歳時代 (1998・1999年)」の解説
1998年9月18日フランス・シャンティイ競馬場芝1600mの条件戦でデビューし勝利したモンジューは続くアイソノミー賞(仏リステッド)も勝利し2歳シーズンを2戦2勝で終え。年が明け3歳となったモンジューは初戦のグレフュール賞(仏G2)を制し、一躍クラシック候補に躍り出る。ジョッケクルブ賞の前哨戦リュパン賞(仏G1)ではアヤの2着と敗れるも、迎えたジョッケクルブ賞本番では4馬身差をつける圧勝でフランス3歳馬の頂点に立った。続くアイリッシュダービーも2着のダリアプールに5馬身差の圧勝、その後休養に入り、秋に行われるヨーロッパ最大のレース凱旋門賞へと駒を進める事を決定する。 迎えた秋、緒戦のニエル賞(仏G2)をアタマ差で制し(2着ビエナマド)、凱旋門賞へと向かう。この年の凱旋門賞には他に日本馬エルコンドルパサー(蛯名正義騎乗)とデイラミ(ランフランコ・デットーリ騎乗)も出走していたが、当日レースの舞台となるロンシャン競馬場はペネトロメーター5.1というレース史上類を見ないほど大量に水分を含んだ状態の不良馬場だったため、道悪を苦としないエルコンドルパサーとモンジューの一騎討ちというのが戦前の評判であった。ゴール前の直線では、逃げるエルコンドルパサーと追い込んだモンジューの2頭の勝負となるが、残り50mで逆転したモンジューが1/2馬身の差をつけて優勝した。 次に陣営が選んだのはジャパンカップで、名実ともに欧州最強馬ということや、凱旋門賞でエルコンドルパサーに勝利していたこともあり、日本でも非常に注目された単勝1番人気に支持される。しかし、レースでは4着に敗れ、初めて連対を外した。陣営はレース前日の取材で「体調が戻るまであと3日はかかる」「早く連れてくればよかった」と答えており、レース後のコメントにも、敗因は馬場ではなく輸送の疲れが抜けなかったことや調整不足を挙げた。こうして3歳シーズンを終え、この年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬を獲得した。
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