1993-1994年:Jar of Flies
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「アリス・イン・チェインズ」の記事における「1993-1994年:Jar of Flies」の解説
長く大規模であった1993年のワールドツアーが終わり、「アコギを持って数日間スタジオに入って、何が起こるかちょっと試してみたかったんだ。俺達は特に発売する予定もなく曲を作っただけなんだけど、レーベル側がすごく気に入ったんでね。俺達にとっては4人の男がスタジオで一緒に作業をして幾つか曲を作ったっていうだけなんだけどね。」とステイリーが話している。 アリス・イン・チェインズの2枚目のアコースティックを基調としたEPであるJar of Flies(邦題:アナザー・サイド・オブ・アリス)は1994年1月25日にコロムビア・レコードからリリースされた。曲作りからレコーディングまで一週間でおこなわれ、Jar of FliesはBillboard 200で初登場1位を記録し、EPが首位を獲得するのはこれまでなかったことであり、そしてバンドにとっても初めての1位の獲得であった。 Jar of Fliesはバンドにとって初めてMainstream Rockチャートで1位をとった「No Excuses」がフィーチャーされている。次にシングルカットされた「I Stay Away」は同チャートで10位に、当該EPからの最後のシングルである「Don't Follow」は25位にチャートインした。Jar of Fliesは発売から1年以内にアメリカ国内で200万枚以上売り上げ、アメリカレコード協会からトリプル・プラチナム認定を受けている。このEPはグラミー賞の最優秀ハード・ロック・パフォーマンス賞(対象:I Stay Away)及び最優秀レコーディング・パッケージ賞の候補となった。 EP発売後にステイリーはヘロインの依存症のためリハビリ施設に入所する。1994年にウッドストック・フェスティバル出演などのツアー予定が入っていたが、ツアーのリハーサル期間中にステイリーが再びヘロインを使用し始めてしまう。ステイリーの状態の悪化により、ツアー開始日の前日に全てのスケジュールをキャンセルせねばならなくなりバンドは活動休止となる。 バンドは6ヶ月の間解散状態であった。1996年にキニーがローリング・ストーン誌に「あの時期は誰も互いに対して正直ではなかったんだ。もし俺達があのまま活動を続けていたらツアー中に自滅していただろうし、人前でそんなことが起きるのは絶対に避けたかったんだ。」と語っている。
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