1970年代:カーリー・サイモンとジェームス・テイラー
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「愛のモッキンバード」の記事における「1970年代:カーリー・サイモンとジェームス・テイラー」の解説
アメリカのシンガー・ソングライター、カーリー・サイモンとジェームス・テイラー は1973年の秋に「愛のモッキンバード」のリメイクを録音し、曲は1974年のサイモンの4枚目のアルバム『ホットケーキ』からのリードシングルとしてリリースされた。「愛のモッキンバード」のアイデアは、1965年のアポロ・シアターでのアイネズ・アンド・チャーリー・フォックスのライブ演奏でこの曲を知っていて、自身と妹のケイト・テイラーが10代のころに度々楽しんで歌っていたテイラーのアイデアだった。曲はテイラーによる歌詞のかなりの修正と、ドクター・ジョンのキーボード演奏、ロビー・ロバートソンのリズムギターとマイケル・ブレッカーのテナー・サクソフォーンのソロをフィーチャーしていた。 「愛のモッキンバード」は即座にヒットし、ビルボード・ポップ・シングル・チャートで最高5位に、ビルボード誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートで10位に達し、米国内で100万枚を売り上げてRIAAにゴールドディスク認定された 。このシングルはカナダ(3位)、ニュージーランド(7位)、オーストラリア(8位)、南アフリカ(13位)、およびイギリス(34位)でもチャートインした。 サイモンは1975年のテイラーのツアーで「愛のモッキンバード」をテイラーとともに歌うためにステージのライブ演奏への恐怖を克服し、デュオは1979年9月のマディソン・スクエア・ガーデンでの反核コンサートでのライブで「愛のモッキンバード」を演奏し、この演奏は1979年の二枚組のLPアルバム No Nukes: The Muse Concerts for a Non-Nuclear Future と1980年の映画 No Nukes に向けて録音された。近年ではテイラーは「愛のモッキンバード」を(サイモンとの間の)娘のサリー・テイラー(英語版)と演奏し、サイモンはテイラーとの間の息子のベン・テイラー(英語版)とライブで歌っている。2015年11月25日、サイモンは「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」でのライブでスティーヴン・コルベアと「愛のモッキンバード」をデュエットした。 ジム・ブリックマンの1979年のアルバム Destiny にはカーリー・サイモンが("Hash Li'l Baby" として)歌っている "Hush Little Baby" が収録されているが、これはブリックマンがサイモンのために選んだもので、「彼女が1974年に "Mockingbird "でトップ5入りを果たしたので、彼女がモッキンバードのことを歌っていたらかっこいいと思った」からである。
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