1920年から1938年のパンコウ区 (Verwaltungsbezirk)
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1920年の大ベルリン成立にともない、それまでニーダーバルニム郡(ドイツ語版)に属していた下記の村 (Landgemeinde) と領地区域 (Gutsbezirk) からベルリン第19区が編成された。 パンコウ(ドイツ語版)村(629 ha, 57,962人) ブランケンブルク(ドイツ語版)村(400 ha, 1161人) ブランケンブルク(ドイツ語版)領地区域(282 ha, 156人) ブランケンフェルデ(ドイツ語版)村(547 ha, 549人) ブランケンフェルデ(ドイツ語版)領地区域(519 ha, 360人) ブーフ(ドイツ語版)村(284 ha, 3917人) ブーフ(ドイツ語版)領地区域(1612 ha, 2562人) ブーフホルツ(ドイツ語版)村(1155 ha, 4905人) ハイナースドルフ(ドイツ語版)村(394 ha, 1006人) カーロウ(ドイツ語版)村(533 ha, 949人) ニーダーシェーンハウゼン(ドイツ語版)村(551 ha, 18,913人) ニーダーシェーンハウゼン領地区域(シェーンホルツ(ドイツ語版)を含む66 ha, 362人) ローゼンタール(ドイツ語版)村の東部(479 ha, 1725人) ローゼンタール(ドイツ語版)領地区域(341 ha, 129人) ローゼンタール村のヴィルヘルムスルー(ドイツ語版)を含む西部はライニッケンドルフ区に編入された。区内で最も人口の多い地区の名を取り、「パンコウ」区と名付けられた。旧パンコウ村の役所が新設パンコウ区の区役所および区議会所在地となった。1930年にベルリン地下鉄のシェーンハウザー・アレー駅(ドイツ語版)とパンコウ(ヴィネータ通り)駅(ドイツ語版)の間が開通し、パンコウ区に地下鉄が到達した。
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