1860年~1902年の駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/23 09:03 UTC 版)
「バーゼルSNCF駅」の記事における「1860年~1902年の駅」の解説
1858年、スイス中央鉄道(Schweizerische Centralbahn)は、ランゲ通り(Langen Gasse)にある仮駅をエリザベス要塞(Elisabethenschanze)の前に移転して、新しい駅を建設することを決定した。同時に、新駅ではフランス東鉄道との接続を行うことを計画した(1854年にストラスブール・バール鉄道はフランス東鉄道に合併)。 接続を行うために、今日バーゼル・ザンクト・ヨハン駅(Bahnhof Basel St. Johann)となっている地点からフランスの鉄道線を新しい駅の位置まで延長する必要があった。路線は、現在のカンネンフェルト通り(Kannenfeldstrasse)とシュタイネンリンク(steinenring)の位置を通り、ビルジッヒ川(Birsig)の谷を高架橋で渡って駅にたどり着くものであった。 1859年、グンデルディンゲン地区(Gundeldingerquartier)に旅客駅と貨物駅を併設した新しい駅の建設工事が始まった。駅には貨物上屋、ギュター通り(Güterstrasse)側に入口を持った2つの大きな倉庫、スイス中央鉄道とフランス東鉄道それぞれの機関庫を備えていた。 1860年6月4日、スイス中央鉄道の新しい駅が開業した。駅舎は北側に入口を持ち、新しく建設された中央駅前広場に面していた。駅には左右にそれぞれホールを持っており、それぞれ2つの番線があって、東側はスイスの列車、西側はフランスの列車が使用していた。 その後、列車の運行回数が増えるにつれて、アルザス線の踏切の遮断時間が長くなってきた。この踏切の障害を除去するために、連邦参事会は1898年から1899年にかけて、アルザス線を町を囲む大きなカーブを描く半地下線にして、全体を2.7メートル掘り下げた位置に新しい駅を建設することを決定した。1902年半ば、既に掘り下げられた駅の南側に仮駅が建設され、1902年から1903年にかけて旧駅舎は解体された。
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