16代ダービー卿の専属調教師として
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「ジョージ・ラムトン」の記事における「16代ダービー卿の専属調教師として」の解説
1893年に爵位を相続したフレデリック・スタンリー (第16代ダービー伯爵)は、競馬界でのダービー家の復権を実現するために、授爵と同時にサフォーク州ニューマーケットにベドフォード・ロッジ(Bedford Lodge)厩舎を開設し、ラムトンはそこの専属調教師の座に就いた。ラムトンは若い頃から幼駒の素質を見抜く才気だけは見せていたが、まだ調教師として実績がなく、ダービー伯爵としてはたいへんな抜擢だった。ラムトンを推挙したのは、ダービー伯爵の息子のエドワード(のちの17代ダービー伯爵)で、内気なラムトンに代わって父ダービー伯爵を説き伏せたのだった。 翌1894年、ラムトンはベドフォード・ロッジ厩舎の隣にあるセフトン牧場(セフトン・スタッド)のセリ市でカンタベリーピルグリム(Canterbury Pilgrim)という牝馬を購入した。カンタベリーピルグリムは第16代ダービー伯爵の名義で1896年にオークスを勝ち、ダービー伯爵の牧場の重要な基礎牝馬となった。 ベドフォード・ロッジ厩舎では1901年から毎年、伝染病に悩まされるようになり、ダービー伯爵は厩舎を別の場所へ移すことにした。そこで、隣接するセフトン牧場を所有者のモントローズ公爵から購入し、1903年にヴィクトリア朝建築の建屋を備えたスタンレー・ハウス牧場を開設した。 1906年には牝馬のキーストーン(Keystone II)がオークスに勝った。ダービー伯爵とラムトン調教師の組み合わせはイギリス競馬史に残る名コンビとなり、16代ダービー伯爵の代で、このふたりによる勝ち鞍は1000以上ある。
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