1000年頃、修道院創設
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「ジンスハイム」の記事における「1000年頃、修道院創設」の解説
ガウの伯オットー・フォン・ケルンテン(948年頃 - 1004年)はシュティフツベルクに修道院と教会を創設した。教会は最初ヴォルムス司教区に属した。オットーの没後、1024年にラインフランケンの領主ザリエリ家の統治に移り、クライヒガウとその周辺の領地はツァイゾルフ=ヴォルフラム家のヴォルフラム伯にレーエンとして与えられた。ガウの伯ツァイゾルフは神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世によって1064年に市場開催権を、1067年に貨幣鋳造権を与えられた。ツァイゾルフの弟でシュパイアー司教となったヨハネスはヴォルムスからジンスハイムのアウグスティノ会修道院を獲得し、1100年にハインリヒ4世臨席の下ベネディクト会修道院に改めた。この結果、修道院はそれまでよりも大きな所領を有することとなり、その中には現在のシュタインスフルト区が含まれていた。修道院は市場町として重きをなしたが、その後1108年にハインリヒ5世によって様々な権利を与えられ、さらに重要度を増していった。 1192年にハインリヒ6世がこの町に都市権を与えた。文献上初めて「civitas」(都市)の記述が現れるのは1234年からである。現存する最も古いこの都市の印章は1300年のものである。当時のこの都市の名前は、「Sunnensheim」であった。 12世紀、13世紀と過ぎるうち、領主家はクライヒガウとエルゼンツタールの伯になった。この後、ジンスハイムは何度も質入れされ、たびたび領主が入れ替わった。近隣の村との間で領土上の連携ができあがっていった。 バーデン辺境伯、ゲンミンゲン家、ヒルシュホルン家がこれを治めた。
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