黒駒勝蔵研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:33 UTC 版)
幕末の侠客であった黒駒勝蔵について、堀内良平はその生涯にわたって熱心に調査を行った。黒駒勝蔵の生家は、堀内と同じ黒駒村にあり、親類の間柄であった。黒駒勝蔵の名誉回復を願ったものだともいわれる。 大正期、当時の流行作家であった松田竹の嶋人に資料を提供して、黒駒村を案内してまわり小説執筆を依頼した。これは大正13年から『都新聞』に『黒駒の勝蔵』として連載された。さらに堀内は、子母澤寛を山梨に招いて案内し、黒駒勝蔵に関する資料を提供したうえで、子母澤に黒駒勝蔵について長編小説執筆を依頼した。この依頼は堀内の死後、『駿河遊侠伝』として1962年に産経新聞で連載された。さらに子母澤は清水次郎長と黒駒勝蔵を対比させた『富岳二景』も発表している。 堀内自身は執筆した『勤皇侠客黒駒勝蔵』を「随筆程度」としており、同書は事実とフィクションを明確に区別した執筆姿勢でないことが指摘される。後年、黒駒勝蔵について小説を書いた今川徳三は、「『勤王侠客黒駒勝蔵』は堀内良平自身が直接書いたものではなく、別人が執筆したものだと聞いた」と書いている。また今川は『勤王侠客黒駒勝蔵』 について「資料不足のため、明らかにこじつけや誤りとみられる箇所がある」と指摘している。 一方で、同書には堀内が逸話・伝承などの聞き取りを行った関係者の実名など具体的な情報源が記されており、博徒研究において文献史料が少ない観点から、民俗資料としての価値も指摘される。
※この「黒駒勝蔵研究」の解説は、「堀内良平」の解説の一部です。
「黒駒勝蔵研究」を含む「堀内良平」の記事については、「堀内良平」の概要を参照ください。
- 黒駒勝蔵研究のページへのリンク