黄色いハンカチ運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 09:48 UTC 版)
「旭川常盤ロータリー」の記事における「黄色いハンカチ運動」の解説
2003年(平成15年)に自衛隊イラク派遣に関する「イラク特措法」が成立、旭川市に拠点を置く陸上自衛隊第2師団から第1次派遣部隊として隊員が派遣されることとなった。そこで旭川商工会議所副会頭でスーパー「ふじ」会長の六車寛が、自衛隊員応援を目的として「黄色いハンカチ有志の会」を旭川市内の財界人と共に設立。地元の自衛隊員が無事帰還できることを祈り行う「黄色いハンカチ運動」の一環として、2004年(平成16年)1月27日にシンボルタワーの照明下部から全168枚の黄色いハンカチが掲げられた。 この黄色いハンカチは50×50cmの布で、タワーから地上まで全6本のロープに結びつけられたハンカチを、旭川市内の建設業者たちがボランティアで掲げたものである。当日にはロータリー交差点沿いに位置する旭川商工会議所の前で掲揚式が行われた。この式典には黄色いハンカチ運動に賛同したおよそ60人の市民が集まった。また、商工会議所ではハンカチの販売も行った。ハンカチが掲げられて以降、市内を中心に黄色いハンカチの配布や建造物への掲揚を促す運動が行われ、同年の『旭川冬まつり』では黄色い幟が立ち並んだ。 これら有志の会や運動は1977年(昭和52年)の映画『幸福の黄色いハンカチ』にあやかり行われたものであるが、同映画の監督山田洋次は、自衛隊員を送り出す際に黄色いハンカチが使用される点について苦言を呈している。 2004年(平成16年)5月31日、イラク復興支援部隊の隊員たちが無事に旭川へ帰還。帰国した隊員たちが旭川空港から駐屯地へ帰還するのを見届けたのちタワーに掲げられていた黄色いハンカチは下ろされ、黄色いハンカチ有志の会は解散となった。活動を終了させた背景には、第二次派遣部隊の陸上自衛隊第11師団が位置する札幌市でも同様の運動が行われたことが挙げられる。
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