麺の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 03:07 UTC 版)
富士宮やきそばに使用する麺の由来については、富士宮市の製麺会社でありこの麺の発明者ともいわれるマルモ食品工業が次のように述べている。 戦後の食料難の時代に創業者の望月晟敏が戦地で食したビーフンを再現しようと試みた過程でこの蒸し麺が生まれました。 — マルモ食品工業 後に会長となる望月は、台湾ビーフンの再現を目指していたのだが、その背景には他に以下のような事情が存在した。 富士宮市は富士山本宮浅間大社の門前町であり、富士登山者や寺社への参拝客が多く訪れていた。また富士宮には身延線の主要駅も存在し、静岡県と山梨県を結ぶ交通の要衝でもあるため、太平洋戦争の前後には山梨県から物資の調達に来る買い出し客や、物々交換で物資を求めて来る人たちもいた。こうした人々の中には山梨県にやきそばを持ち帰りたいという人がいたが、当時の保冷技術と交通手段は未発達であり、山梨県に到着するまでには麺が傷んでしまうという難題があった。この課題を克服するため麺作りに工夫がなされていったとされる。
※この「麺の歴史」の解説は、「富士宮やきそば」の解説の一部です。
「麺の歴史」を含む「富士宮やきそば」の記事については、「富士宮やきそば」の概要を参照ください。
- 麺の歴史のページへのリンク