鹵獲後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 04:58 UTC 版)
「K XVIII (潜水艦)」の記事における「鹵獲後」の解説
日本海軍はKXVIIIを鹵獲したが、日本に鹵獲後の資料は残存しておらず不明である。日本国外の資料によると、日本海軍はK XVIIIIを浮揚・修復して、1944年(昭和19年)からジャワ島とマドゥラ島の間のマドゥラ海峡(英語版)でピケット用のハルクとして運用した。1945年(昭和20年)6月16日、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯06度48分 東経112度47分 / 北緯6.800度 東経112.783度 / 6.800; 112.783でイギリス海軍の潜水艦「タシターン(英語版)」に撃沈された。
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