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飯高永雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/23 05:32 UTC 版)

 
飯高永雄
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上丹波守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 飯高宿禰朝臣
父母 父:飯高滝雄
継平
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飯高 永雄(いいだか の ながお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族宿禰のち朝臣。飯高滝雄の子とする系図がある。官位従五位上丹波守

経歴

承和3年(836年)一族の全雄・弟高らと共に、宿禰姓から朝臣姓に改姓する。承和14年(847年)の時子内親王仁明天皇皇女[1]嘉祥2年(849年)百済王慶明(尚侍[2]、嘉祥3年(850年)秀子内親王(嵯峨天皇皇女)と[3]、仁明朝末にかけて後宮の女性が薨去した際に葬儀の監護を務める。また、嘉祥3年(850年)5月の仁明天皇崩御後の修六七日御斎会では東大寺使を務めた[4]

文徳朝に入り、仁寿2年(852年播磨権介として地方官に遷任する。斉衡元年(854年刑部少輔に任ぜられて京官に復すと、中務少輔主税頭大蔵少輔と文徳朝中盤は京官を歴任する。

文徳朝末の天安2年(858年尾張守として再び地方官に転じると、清和朝でも越後守丹波守と地方官を歴任した。またこの間、貞観5年(863年)には従五位上に昇叙されている。

官歴

系譜

  • 父:飯高滝雄[5]
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:飯高継平[5]

脚注

  1. ^ 『続日本後紀』承和14年2月12日条
  2. ^ 『続日本後紀』嘉祥2年正月22日条
  3. ^ 『続日本後紀』嘉祥3年2月25日条
  4. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年5月3日条
  5. ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻6,飯高朝臣

参考文献




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