飛騨国の牛丸氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 02:17 UTC 版)
飛騨国大野郡牛丸邑を本貫とする一族で同地方の豪族・国人領主。飛騨国の名族であった。小鷹利城主の家柄。同じ飛騨国の有力豪族 江馬氏の当主 江馬輝盛と合戦に及びその勢力拡大を阻んでき。しかし天正11年(1583年)、鍋山城主 姉小路頼綱、高堂城主 広瀬宗域により攻められ勢力を失った。生き残った牛丸氏の嫡流 牛丸親綱(牛丸又右衛門)は翌年天正12年(1584年)、織田信長の家臣で越中国を支配していた佐々成政の下に逃れるものの、追い払われ越前国に向かい。織田家臣 金森兵部大輔長近(飛騨と接する奥越前と美濃一部を領国としていた)の家臣となった。天正13年(1585年)、羽柴秀吉が越中の佐々成政を攻め、さらに飛騨の姉小路氏を攻めた。この際に飛騨侵攻を任されたのが金森長近であり、その先鋒として各地で戦い、父祖の地である小鷹利城を奪還した。この戦功は関白羽柴秀吉にも賞され、飛騨国主となった長近から3,000石を賜る。
※この「飛騨国の牛丸氏」の解説は、「牛丸氏」の解説の一部です。
「飛騨国の牛丸氏」を含む「牛丸氏」の記事については、「牛丸氏」の概要を参照ください。
- 飛騨国の牛丸氏のページへのリンク