領土の再編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 16:27 UTC 版)
「ロドヴィコ2世 (イタリア王)」の記事における「領土の再編成」の解説
863年、ブルグント南部とプロヴァンスを相続していた末弟シャルルが相続人なく死去すると、その遺領はロドヴィコと弟ロタール2世の間で分割され、ロドヴィコはアルル、エクス、アンブランの各司教区とプロヴァンス王位を獲得し、イタリア王国に併合した。869年には弟ロタール2世も嫡出子がないまま死去したが、この時にはロドヴィコはイスラム軍との戦いのためにイタリアから離れられず、ロタールの遺領であるロタリンギア(ロレーヌ)は叔父である西フランク王シャルル2世に奪われた。その後、ロタリンギアは東フランク王ルートヴィヒ2世も相続権を主張し、870年のメルセン条約において、ルートヴィヒ2世とシャルル2世との間で分割された。 875年8月12日、ロドヴィコ2世は男子相続人なくイタリアのゲーディで死去した。ロドヴィコは後継者として東フランク王ルートヴィヒ2世を選んでいたが、イタリア王国およびローマ皇帝位は教皇ヨハネス8世の支持を得た西フランク王シャルル2世が獲得した。
※この「領土の再編成」の解説は、「ロドヴィコ2世 (イタリア王)」の解説の一部です。
「領土の再編成」を含む「ロドヴィコ2世 (イタリア王)」の記事については、「ロドヴィコ2世 (イタリア王)」の概要を参照ください。
- 領土の再編成のページへのリンク