預けられた赤穂浪士10名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 04:03 UTC 版)
「大石主税良金ら十士切腹の地」の記事における「預けられた赤穂浪士10名」の解説
大石主税(良金) 堀部安兵衛(武庸) 木村岡右衛門(貞行) 中村勘助(正辰) 菅谷半之丞(政利) 千馬三郎兵衛(光忠) 不破数右衛門(正種) 大高源吾(忠雄) 貝賀弥左衛門(友信) 岡野金右衛門(包秀) 元禄16年(1703年)2月4日に江戸幕府の命により上記の赤穂浪士が切腹した地で、久松松平家は赤穂浪士を冷遇したと伝わるが異説もある。松山藩の屋敷跡には赤穂事件の遺構は残っていなかったが、昭和14年(1939年)に徳富蘇峰が揮毫の「赤穂浪士十名切腹ノ地・伊太利大使館」碑が当時の駐日イタリア大使によって大使館敷地内に建立された。 敷地内のため立ち入りはできず、国際情勢に伴う在外公館の警備強化の方針で、見学不可。「赤穂民報」によると数年に一度は供養の行事を行っているという。
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