音楽プロデューサー兼エンジニアとしてのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 22:04 UTC 版)
「ノーマン・スミス」の記事における「音楽プロデューサー兼エンジニアとしてのキャリア」の解説
スミスは、EMIがエンジニアからプロデューサーに昇進させた1965年の秋まで、ビートルズによるすべてのEMIスタジオでのレコーディングにおいてエンジニアを務めた。彼が録音した最後のビートルズのアルバムは『ラバー・ソウル』であり、スミスは合計するとほぼ100曲にのぼるビートルズのサウンドをエンジニアリングした。 ジョン・レノンは最初にスミスに「ノーマル」のニックネームを与え、それはすぐに他のビートルズ・メンバーにも使われるようになった。レノンは、のんびりした、何事にも動じず、人懐こいスミスの性格から、ユーモラスな表現としてそう呼んだのだった。 1965年6月17日にビートルズとの仕事をしている間、バンドの音楽出版会社であるディック・ジェームス・ミュージックから、彼が書いた曲をすべて購入するために15,000ポンドを提供された。 1967年初め、新しいグループであるピンク・フロイドと共に仕事をするようになり、1枚目、2枚目、4枚目のスタジオ・アルバム : 『夜明けの口笛吹き』『神秘』『ウマグマ』をプロデュースした。「Remember a Day」のセッション中に、ドラマーのニック・メイスンは、この曲に適したドラム・パートを思い付くことができないことに動揺した。しかし、スミスはどんなドラムが求められているかを知っていたので、自分でそのパートを演奏した。 1968年、スミスは最初のロック・コンセプト・アルバムの1つ、プリティ・シングスのアルバム『S.F.ソロウ』をプロデュースした。 彼はバークレイ・ジェイムス・ハーヴェストのアルバム『ワンス・アゲイン』を含む初期のレコーディング作品をプロデュースし、何年も後になってジョン・リースの曲「John Lennon's Guitar」の中で彼の名前が言及された。
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